2012/05/21

金環日食

ドリカムの「時間旅行」で2012年の金環食を知り、それはもう20年くらい前のこと。その頃わたしはまだ20代で、2012年なんてまだまだ先だと思いながら、でも2012年の自分はどこで何をしているだろうと考えていたことを、いまでもよく覚えている。
そして、永遠に来ないかのようにも思っていたその日はとうとう来たのである。

何を思ったか。
20年前のことなどを。
それからのことなどを。
そして、こうして元気でいるいまのことを。情けない自分、だけどまだがんばってる自分についてを。

静かな朝だったなぁ。

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2012/05/20

しあわせのパン

映画『しあわせのパン』を見た。

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北海道でひっそりとパンとコーヒーがメインのカフェを営む夫婦と、カフェを訪れる人たちの話。大泉洋と原田知世が演じる夫妻が、とても控えめだが、こころを込めて人とかかわっていく。映画では語られないが、この夫婦はここまでたどり着くまでに、きっといろんな辛いことや悲しいことがあっての「いま」なんだろうと思わせる。

たんに、「大自然のなかでまったりした人生を送りたくて」的な軽いノリではない、謙虚さがある。

しあわせのパン公式サイト

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映画の前に地元のカフェに行った。

古い民家を改装したなつかしい雰囲気のお店。とても気に入ってしまう。

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↑季節の野菜を使った素材を味わう料理

カフェ ひびきや

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2012/05/15

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最近の出来事

といっても、特筆することもなく・・・

映画「幸せの教室」を見たくらいでしょうか。

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この映画を上質なものに仕立てているのは、やっぱりトム・ハンクスとジュリア・ロバーツという役者だからこそだと思う。わたしくらいの年齢の人が見ると、かなり勇気づけれられる一品である。

幸せの教室公式サイト

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最近、気に入っているサイトのご紹介。

気まぐれカメラ「ブイヨンの日々。」 ←クリック!

最高に楽しです。

写真もさることながら、写真に添えられた文章が秀逸。さすが糸井重里という感じです。

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おまけ

最近、マックのハンサム写真の撮影に成功。

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2012/05/05

恵比寿

連休後半のようやく雨が上がった今日、気の向くままに東京に行った。

久しぶりに恵比寿に行ってみたくなって。

そして久しぶりに写真美術館にも行ってみた。

ロベール・ドアノー展というのを見てきた。名前を聞いただけでは最初わからなかったのだが、この写真を見れば、きっと誰もが「ああ、あの!」というだろう。

Paris

こんなロマンチックな一瞬を切り取ったかと思うと、戦時中のパリのレジスタンス活動の様子を記録した写真も撮ったり、有名人(画家や詩人など)のポートレートを撮ったりなどいろんなタイプの写真を見ることができた。

当時の市井の人々の写真を見ていると、この人のその後の人生はどうだったのだろう・・など、写真の前で足を止めて考えてしまう。時代も住む場所も違う人の姿がいま自分の目の前に写真という形で存在していることの不思議さも思う。

東京都写真美術館 ロベール・ドアノー展については こちら

ところで、以前からこのサイト内で書いていることだが、恵比寿ガーデンプレイスがとても好き。映画館がなくなったことがとても残念だけど(どうやらK-POPステージ?になっているようだった??)、それ以外は変わってなくて、今日は天気もよかったので、中央を気持ちいい風が吹きぬけていた。

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ガーデンプレイスを外れて散策したいといつも思うのだけれど、いつか実現したいと思う。

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大型連休の前半、友人が誘ってくれて足利のワイナリーへランチを食べに行ってきた。

(そのあと桐生や尾島も回る)

ココ・ファームはできたばかりのころ、収穫祭というのに職場の人たちと一度行ったことがあった。もう10年以上前だと思う。

今回、デッキランチ(プレートのランチ)をいただいた。テラス席で!

屋外でランチできるところは、このあたりではあまりないと思うので、季節がよいとき(暑くなく寒くない春秋かな)は、おすすめです。

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ココ・ファーム・ワイナリーのサイトは こちら

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2012/04/21

ヘルプ ~心がつなぐストーリー~

映画『ヘルプ~心がつなぐストーリー』を見に行った。

地元の映画館では上映しないので、車で小一時間ほどかかる映画館へ。どうしても見たかったので、がんばって行ってきた。

Pic_intro ストーリーはこちら

地球上のそれぞれの国、それぞれの土地での歴史は急に始まったわけではなく、その時代時代の問題を乗り越えては新たな問題が起こり、問題のない社会などきっと実現はしないのだろうと思う。だから、そこで問われるのは人として正しい行動ができているか、ということなのかもしれない。それは時としてギリギリのところでの行動になることもあるかもしれないが、自分のなかにきっぱりとした人としての誇りがあれば、そしてその思いがたくさん集まればムーブメントになって次の時代へと動きだすのだろうと思った。(なんだか言いたいことがうまく言えないのだが・・・)

映画の終盤で、白人女性(意地悪な役)が黒人メイドをおとし入れようとして、工作をするのだが、そこで黒人メイド(この映画のキーパーソン)が、意を決してこう言う。「疲れませんか?」と。世の中には個人の威厳を保持する、ただそれだけのために奔走する人がなんと多いことかと思う。そのためには労力を惜しまない人が。しかし、そんなことをすることはきっと「疲れる」ことだろうと思う。そしてそれが達成できたとしても心は空虚だ。人は愚かだなぁと思う。でもこの現象はこれまでも、そしてこれからもなくなることはないのだろうとも思う。それが人なのだろう。

この映画の時代(60年代)のアメリカの人種差別問題は、おそらく南部と北部とでは様相が違ったと思うし、たとえば南部では白人と黒人との間で良好な関係もたくさんあったのだろうと思う。その後、差別は薄らいできても、もしかしたら以前の両者の関係を懐かしむ黒人もいたかもしれない。時代なのだ。すべては。

映画は淡々と進む。

一か八かの本の出版で、「ある物が入ったパイ」を意地悪女が食べたことが「保険」になった話は小気味よかったなぁ。

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2012/04/08

サクラと鯉のぼり

館林市までお花見を兼ねたお食事会に出かけた。

職場つながりの方々で、こうして楽しくおしゃべりしながら桜の咲く川辺を歩いていたら、なんだかとても有り難く思えてきた。春のうれしい一日になる。

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川に沿って桜の並木道が続いている。

満開のちょっと手前といったところだった。

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そして、川にはミニサイズの鯉のぼりが渡してある!

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天気が良かったせいか、ねこも気ままに散歩しているようだった。

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カメラの使い方を少し教わりながら、、ホワイトバランスというものを変えてみたりして撮影。どの数値がいいというのはないと思うが、自分が納得できる写真を撮るのはとても難しい。

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2012/04/01

sakura

この週末はまだ桜は開花せず。

あと一息。

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Summer Days

(日曜日に書くショートストーリー)

その絵を見たときに以前どこかで見たことがある、と思った。しばらくその場に立ち思い出そうとした。じっと動けないまま。

ジョージア・オキーフの Summer Days
赤褐色の山の上は広い空がキャンパスいっぱいに描かれ、そのど真ん中に動物の頭がい骨がうかんでいる。そしてその下、やはり空の空間に夏の花があしらわれている、というシュールな構成。でも、色使いの潔癖さと、山、頭がい骨、花の迷いのない位置が、その絵が強い意志を表現しているように感じる。

美術館を出てからチャイナタウンで遅めのランチをとろうと思ったので、地下鉄の駅に向かう。この街に来て10日が経った今日は9月の初旬で、まだまだ蒸した暑い空気が肌にまとわりついてくる。この街の夏は暑い。そんな季節にわたしは期限を決めずに滞在している。15年勤めた会社を辞めて、一旦自分に休息期間をあげるために。いまの自分にはそういう時間が必要だと感じている。ただ朝起きてコーヒーを飲み、シャワーを浴びてから街や公園を歩くこと、美術館や博物館に入ってひたすら作品を眺めること、教会の祭壇やステンドグラスを見ること、古本屋に入って画集や写真集を手にとってみること、ただそんなことをしていたかった。その間はこれまでのこと、そしてこれからのことを一切考えないことに決めていた。

地下鉄の入り口から階段を下りていくと、ムッとした饐えた鼻につんとくる臭いが上がってくる。壁や空気そのものに染みついたこの街の臭い。この街に暮らしたり、通過したりした様々な人種の体臭や食べ物などありとあらゆるものが混ざったそれは、不思議と受け入れることができる。そうなることを避けることなどできなかった諦めのような臭いだからだと思う。

少し長めの滞在になるかもしれない今回は、節約のためにトイレ・バス・キッチンが共有のアパートメントホテルに宿泊している。周囲は大学があったり図書館の分館があったり、街のシンボル的広場があったり、文化的な雰囲気がある。アパートメントスタイルのため、半分くらいは住人が定まっているようである。以前、2度ほどこのホテルを利用したことがある。その頃ポーターのような役割をしている年配の黒人男性がいて、彼は片目がなかった。朝食をとるために半地下に降りるエレベーターのカギを操作してくれた彼は(なぜかエレベーターで地下に行くときはカギが必要だった!)まるで現代の人間ではなく、おとぎ話から出てきたのではないかと思えるような風貌で、一言でいえば愛着を感じる人物であった。狭い狭いエレベーターの中でわたしは彼に自己紹介をして彼ももちろん返してくれた。名前はもう覚えていないが、それがかれこれ10年くらい前のことである。
そしてもうフロントや廊下を見回しても彼の姿はない。もしかしたら、と思う。そのポーターは最初からいなかったのではないかと。だいいち、こんな小さなホテルにポーターがなぜいたのだろう。でも、それはいまとなってはどちらでもいいような気がする。だから敢えて彼のことはフロントで尋ねることはせず、夜更けに近くのカフェにコーヒーを買いに出て帰ってきたときに、ロビーで夜勤についている彼と再会などできることを想像していたりした。そんな時間帯に彼はひょいと現れる、そんな役割を担って生きてるのではないかと本気で考えたりしている。

こんなふうにしてだらだらと目的もなく毎日を過ごしていたが、唯一、2日に1回はあのsummer daysが展示されている美術館に行くことにしていた。何か思い出せそうで思い出せない、ひっかかるものを感じていたのだ。
朝から雨が降っていた。9月の下旬、さすがに半袖ではいられず、バッグからパーカーを引っ張りだして羽おってバスで美術館方面へ向かう。
以前はバスがあまり好きではなかった。時間が正確でないのが自分の性格に合わないと思っていた。でもいまこうして気ままな時間を過ごす身になると、バスという乗り物がこの上なく上質なものに思えてくるから不思議だ。ぼーっと車窓から街並みを見ていて、当初降りる予定にしていなかった場所でも、あっ!と思ったときに予定外に降りる楽しさがある。地下鉄だとこうはいかない。クリスマスのイルミネーションの季節など、バスの座席から一流のショーウィンドウの飾り付けが楽しめるだろう。

雨のせいだったのだろうか、それとも美術館に入ったとたんコーヒーの香りが館内のカフェから漂ってきたからだろうか、わたしはsummer daysをかつてどこで見たかをこのタイミングで思い出した。学生のときに、特に雨の降る日に一人でよく行った喫茶店にその絵のレプリカが飾ってあったのだった。わたしが好んで座っていた奥の窓際の、通りが見下ろせる席の横の壁に。あるいはそれはポスターだったかもしれない。画鋲で止めてあった類のものだったかもしれない。ただそこに描かれているものが、あまりにもストレートに何かを訴えているように思えて、雨の日にそぐわないその作品に、また物事にたいして素直に受け止められない時期だったからか、わたしには好きというのとは程遠い一枚の絵であったように思う。

そうだ、この絵が描かれた場所に行こう。
確かにいまそう思った。それがどの場所なのか、または空想の場所なのか。どうか実在の場所でありますようにと祈りながら、そう誓う。
そして、そこを原点にしよう。まだ何も始まっていなかったあの雨の日の喫茶店にいる学生のころの自分をもう一度取り戻そう。
そう決心したと同時にsummer daysについて質問をするために、わたしはロビーの職員のところに向かって走っていた。

(おわり)

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Summer Days, 1936
Georgia O’Keeffe
(Whitney Museum of American Art)

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2012/03/20

散歩

自分が住む町を好きになりたいなと思って、今日はカメラを持って散歩に出かけた。

気が向いたら写真を撮ってブログに掲載してみようと思う。

今日の1枚。

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そしておまけ↓

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日光浴するカメ。3兄弟(?)も笑えるが、左の1匹の後ろ足に注目!

緊張感まるでない。

彼らもこの町の住人である。

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2012/03/17

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(即席ショートストーリー)

その都市の中央駅前に、そのカフェはある。
カフェは国立の美術館に併設されていて、美術館の閉館時間後も、カフェのほうは深夜0時まで営業している。

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2月。

その日は午後から街に雪が降っていた。
こんな日にカフェに寄る人は少なく、近くのホテルに滞在している旅行者や、アルバイトを終えた大学生がぽつりぽつりと来て小一時間ほどすごしては去っていく。

23時。
雪は本降りになってきた。そして、カフェには誰もいなくなる。
わたしはそろそろ店を閉めようと準備していた。こんな日はもう客も来ないことが多いから、早めに閉めてもオーナーからは咎められることもない。だいいち深夜の店番はわたし一人なので、早終いしたところでオーナーが知ることもないのだ。

そこへ、運悪く客が入ってきた。
30歳くらいの女性。こんな時間に一人でどうしたのだろう。カウンターでカプチーノを注文して待っている。普段なら「もう閉店なのです、すみません」と言って断るところだが、「お待ちください」とわたしが言ったのは、その女性の目にうっすら涙が見えたからだ。
そして、彼女はわたしが差し出したカップを手にとり、代金をカウンターに置くと、一番奥の壁ぎわのソファー席に座る。シンプルな黒いソファーに。

彼女の頭上にはこの美術館の看板作品「傷ついた天使」のレプリカが掛けられている。二人の少年が天使--布で目を覆われていて、羽は傷ついている--を担架に乗せて歩いている作品だ。天使は野に咲く花を携えている。この絵がどうして人気があるのか不思議だが、実はわたし自身も強く惹かれる一人だ。背景はこの国の国土を連想させ、少年と天使はキャンバス全体に大きく描かれている。少年たちの表情はとても暗く、天使は担架に座ってうつむいている。

今夜、一人の女性がおそらく傷ついていて、この絵の下に座り時をすごしている。

室内が冷えてきたので、暖房の設定温度を少し上げた。

時計を見ると0時10分。

わたしは店の入り口に「CLOSED」の札を下げてから、2杯のコーヒーとシナモンロールを2個トレイに乗せて、奥のテーブルに向かった。ほんの少しだけ世間話でもして、傷ついた天使に寄り添うつもりで。

おわり

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2012/03/11

3月11日に

あの日はどんよりとした天気で、確か空は厚い雲に覆われていた。

わたしは職場でデスクワークをしていて、思い出すのはその少し前に宇都宮から来たというワッフル業者の人が営業でワッフルを売りに来て、職場のみんながせっかくだからと購入したこと。あの地震のあとあのワッフル屋さんは無事に帰れただろうか。

わたしは普段のちょっとした揺れでもすぐに建物の外に避難しようとする方だったので、あの日は何の躊躇もなく外に避難した。大きな揺れがおさまるどころか長くうねるように続き、いま自分が立っている足下の地面が割れるのではないかと思ったことを覚えている。そして、直立していられなくて地面に膝をついてしまうほどだった。

普通なら車で20分くらいのところ、帰宅時間に2時間以上かかった。家に帰ると置時計が落下していたり、食器棚のグラスなどが割れてしまっていたり。マック(ビーグル犬)は外の犬小屋でおとなしく待っていた。そのあと外出していた両親が無事に帰ってきた。家族がみな無事だったことにまずほっとした。

あとから、あの揺れのあともう一度大きな揺れが来たよね、と誰かが言っていたが、わたしはそのことを覚えていない。極度の恐怖からなのか、あまり細部を覚えていないのだ。

あの震災に対して、わたしはいったい何をしてきたのだろうか。被災者に対して何か支援できただろうか、と考えるとき愕然とする。阪神大震災のときはもっと冷静に客観的に見つめることができたのだが、今回は自分や家族にも実際に降りかかるかもしれないという恐怖が先立ってしまって、なかなか現実のこととして受け入れることができないという情けない状態になっている。それから、被害の規模があまりにも大きすぎて、自分ができることと言えば定期的な義援金の寄付くらいで。実際に被災地に行って瓦礫の撤去ボランティアなどをしている方々が身近にもいて、でも自分にはなかなか余裕がなく参加できなかった。

自分は弱い人間だなぁ、と思う。

恐怖のときに足がすくんでおののいてしまう。

自分のことでいっぱいいっぱいになってしまう。

もっと強くありたい。

心に余裕をもった生き方をしたい。

3月11日にそんなことを考えている。

被災地は徐々に復興しているのだと思う。その歩みはとてもとても遅く、被災者は政府の対応にもどかしさを通り越して、怒りを感じることだろうと思う。でも、確実に前に進んでいることを信じて、数年後に振り返ったときに、あのときがが我慢どきだったと思えるはずだと信じて、前を向いて生活していただきたいと願う。そして、そういう方々がいることをいつも心に置いてわたしも毎日を大切に生きていきたいと思う。

いま、震災に関する書籍やら映像やらが反乱しているように思う。わたしは敢えてそれらを見ないことにしている。いまじゃなくて、もっとずっと後になってから語られることを待ちたいと思う。いまはそういうときじゃないような気がしている。(これはあくまで自分の考えです)

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2012/03/04

マンハッタンという宝石

各国の国際空港は大抵、中心地から離れた殺伐とした場所にあるように思う。ニューヨークも摩天楼に空港があるはずもなく、JFK国際空港はマンハッタンから離れたクイーンズ区にある。何度か行った旅の際、わたしはいずれもタクシーでマンハッタンに入った。そのときに思うこと。それは、ほかのどの空港から中心地に入るよりも、マンハッタンに入るときは特別な感覚がある、ということ。もちろん思い入れも大きく影響しているけれど、まず、マンハッタンは島であること、それにその島に高層ビルがギュッと凝縮されたように建っていて、島全体が宝石のように見えることによると思う。ニューヨークの場合は、感動がひとしおなのである。空港からのタクシーがマンハッタンに近づいてくると、やがてあれがマンハッタンだとわかるほどのビル群が見えてくる。すると、あー、来たんだなぁ・・と、強く実感するのだ。

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この写真は確か、タクシーでマンハッタンを後にしたときのものだと思う。真ん中のビルはエンパイア・ステイト・ビルディング。朝日が当たったマンハッタン。街が目覚めた時間。

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2012/02/25

やっぱりjazz

ここのところ、あまり音楽を意識して聴いていなかったのだが、先日NHK-BSのエルムンドにフィンランドのジャズバンド、The Five Corners Quintetが出演、生演奏していて、思いっきりジャズに引き戻された気がした。このバンドはすでに解散していて、来日公演のために一時的に再結成されたそうだ。なかでもトランペットのユッカ・エスコラ(Jukka Eskola)の演奏に聴き入ってしまう。正統的なかっこよさを感じる。

とりあえず、近いうちにアルバムを手に入れたいと思う。

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2012/02/11

ドラゴンタトゥーの女

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映画『ドラゴンタトゥーの女』を見た。

原作『ミレニアム』にはわたしもハマり、でもシリーズ3までのうち、2まで読んで中断していたのだが、映画化されたと知って、とても見たいと思っていた。いつものとおり、予備知識をもたずに映画館へ。すると、ハリウッド映画と行ってから知る。それまでは、スウェーデン映画と思っていたのでちょっと驚く。でも、映画を見進めるうちに、これは見る価値あると思えたし、2時間超えの上映時間を長いと感じさせないほど、また、まだ続きを見ていたいと思うほどだった。

まず、冒頭の音楽(レッド・ツェッペリンの移民の歌のカバー)が最高。この映画のイメージにぴったりで、即、映画に観客を引き込む効果が出ていたと思う。

そして、なにしろ、リスベット役の女優が素晴らしく、この映画を最上のものにしたのは、彼女のリスベット役に対する役作りによるものだと誰もが思うのではないか。暗くて不健康そうでナイーブで強くて優しくて頭がキレて幼さがあり孤独で・・・原作を読んだ人の多くは、このキャスティングに対して首を縦に振ると思う。

ミカエルについては、両論あるのではないか。わたしは最初、違う、と思った。まず、わたしのミカエル像は金髪だったし、もう少し柔らかい雰囲気をもっていた。でも、映画を見てみて、だんだん納得してきたし、悪くなかったと思った。

スウェーデンには行ったことないが、北欧のややどんよりとした、そして清潔ですべてがシンプルでちょっと冷たさを秘めた(あくまでもわたしの個人的なのもだが)イメージが、原作で感じたままに映画に表れていると思う。

映画を見ようと思った場合は、本を読んでから見ることをおすすめしたい。その方が描写や景色や登場人物の行動や表情などをより冷静に見られて楽しめると思う。

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2012/02/04

灯かり

以前、旅行で撮った写真をいくつか眺めていたら、ニューヨークのどこで撮ったか正確な場所は覚えていないが、後から見ても目がそこに止まってしまうものがあって、その写真でニューヨークを少し思う。

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まだクリスマスの飾りが残っている、これは確か1月初め。

窓の灯かりの中にもツリーが見えている。品のよい雰囲気の建物。灯かりの空間はどんな目的で使われているのだろうと、どんどん想像が膨らむ。レストラン?それとも個人宅?

4階は全部灯かりがついていて、その上の階では、窓にひとつだけ灯っている。わたしは所詮、数日しか滞在しない一旅行者で、だからこんなに近い窓辺も、とっても遠い。その距離感は、わたしにとってのニューヨークを象徴していると思う。いくら憧れとか好きな街だと言っても、そこで学んだり働いたりしているわけでもなく、旅行者という中途半端なかかわり方であり、そんなかかわり方をしている人に対して、ニューヨークはそれに見合ったラインまでしか踏み込ませてくれない。だから余計に憧れて、好きで、泣きたくなりそうになる。

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2012/01/25

時間が経過しても(かもめ食堂を通じて考えること)

そういえば、以前『かもめ食堂』が公開されたときも、きっと感想を書いたはずだと思い、ブログを見返してみた。一緒に見に行った人のことなどを思い出しながら。それはかれこれ5年半も前のことなんだなぁ。そして、かもめ食堂という映画に対する感想について、今回見て感じたものが、5年半前とほとんどブレていない。複数回映画を見たりすると、その時々の自分の状態で感想は変化することも多いと思うが、かもめ食堂にいたっては変わっていない自分がいる。それだけ、この映画が伝えたいものがストレートに表現できているということなのだろう。

こちらが、2006年の感想↓

http://megumi1966.cocolog-nifty.com/megumi/2006/08/post_8ff5.html

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2012/01/23

かもめ食堂のnon-music効果

何気なくチャンネルを回していたら、映画『かもめ食堂』をやっていた。途中からだったけれど、それに以前劇場で見たのだけれど、やはり最後まで見てしまう。

登場人物が好きで、ヘルシンキが舞台なので、何度見ても飽きない。

映画でかもめ食堂として使われたレストランは、現在もヘルシンキにその姿がレストランとして残されているそうだが、実はそこには行ったことはない。かもめ食堂ツアーなるものもあって、日本人観光客には人気のようだ。

個人的には、映画やドラマの舞台は、心のなかだけのものにしたいという思いがある。

この映画で使用されている食器や調理用具は、どれもシンプルで欲しいものばかり。料理もできないのに、そんなところには目が行く。サチエがイッタラのオリゴシリーズの小さなカップにシュガーを1個1個詰めるシーンなど、とてもいい。

『かもめ食堂』を見て、普通レストランには音楽がかかっていると思うが、かもめ食堂では音楽が流れていないのが不思議だった。もしここで使うとしたらどんな音楽が効果的かと考えると、最終的に音楽なしに至った理由が理解できる。ヘルシンキの日本食レストランで、芯のピンと伸びたサチエのかもし出す雰囲気を出すには「無音」が一番に思えてくる。

日々やるべきことを淡々と、真面目に行うことの美しさを教えてくれる映画だと思う。

Kamome

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2012/01/14

集合住宅

集合住宅に惹かれる。

テレビ番組や雑誌の特集で、海外の集合住宅を紹介されると、住んでみたいと思う。

たとえば、コルビュジェのユニテ・ダビタシオンもそのひとつ。マルセイユのものが特に有名のようだ。ベルリンにもある!

コルビュジェの建築物は非常に機能的でコンパクトといった印象で、わりとカチッとした規定された空間が好きなわたしは、だから惹かれるのだろうと思う。

ユニテ・ダビタシオンが完成した1950年代(?)に、一番最初に入居できた人々は、どんな感想を持ったのだろう。当時の暮らしぶりや、共用スペースの様子などを写した写真や映像が見たいなぁ。

この時代にこのモダンさ。鉄筋コンクリートが、古くなってもモダンさを維持させているし、この集合住宅の構成が、面倒くさがり屋のわたしにはもってこいのところだ。(たとえばショップが入っていたり<いまはないかも>、1階部分はピロティ<支柱>で支えられていて、通り抜けができる<建物の向こう側に行くとき回り込まなくてよい>、幼稚園が入っている、体育館もあるなど)

もちろん、石造りやレンガ造りなども深みがあって好きだけれど。

何年か前に森美術館でコルビュジェ展があったときに、ユニットハウスや、コルビュジェが晩年過ごした休暇小屋を再現したものも展示されていて、実際にその中に入ることもできる展示になっていたのだが、狭いながらなんとなく落ち着く感じがしたのを覚えている。

調べてみると、ユニテ・ダビタシオンにはホテルも入っているようなので、いつか宿泊してみたいなぁ。

それから、去年行ったベルリンにも、ユニテ・ダビタシオンのほかに、巨大な集合住宅がいくつかあるようなのだが、時間の関係で見に行くことができなかった。もし行けたとしても、外観しか見られないのではつまらないし。居住空間を見たいものだ。

集合住宅とは言わないけれど、たとえばニューヨークのブラウンストーンの建物が並んだストリートなどは、やはり素敵に思う。考えてみると、大都市の建物と建物がぴったりくっついているような居住エリアはどこもわたしには集合住宅のように見える。

それから、ホテルに宿泊するのも好き。いろんなものが完備されていて、箱に収まる感じが好き。

恐らく、人の気配や対面している家々の灯かりなどが、安心感を与えてくれるというところも、密集した住宅に心惹かれる理由のような気がする。(となり近所がうるさいと、それはそれで不満になってくるのだろうけど)

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2012/01/09

ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル

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『ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル』を見た。

2時間を超える上映時間があっという間と感じさせる面白さ。

トム・クルーズ演じるイーサン・ハントが窮地に追い込まれたときに下す咄嗟の判断は、かっこよすぎてホレボレ。できる、できない、じゃなくて「やる」「成し遂げる」という前に向かう意識が、できないことをできるようにしてしまう。

しかし、トム・クルーズは何歳なんだ? ますますかっこいい。

あのテーマ曲もかっこよく、一気に脳内が活性化された。(と思う)

ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル オフィシャルサイト

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2012/01/04

ニューイヤーズ・イブ

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そういえば、年末に映画『ニューイヤーズ・イブ』を見たのでした。(新年に「大晦日」という映画を見ましたというのもヘンですが・・)

31日に見るのは、あまりにベタだと思って、30日にレイトで。

よくあるハリウッド映画というか、予告を見ただけで全てが見通せるような映画だということは分かっていて、とにかくわたしには「ニューヨーク」「ジョン・ボンジョヴィ」というキーワードだけで十分。

そして、思いがけずザック・エフロンの魅力を再認識してしまったりも。あと、ミシェル・ファイファーが冴えない中年女性を上手に演じているのも見所だった。ミシェル・ファイファーというと美人でイカす女性というイメージが強かったのだが、この映画ではほんとうに役どころどおり冴えなく見えた。現にミシェル・ファイファーだということに気づいたのが、だいぶ後だったほど。

とにかく、これはおとぎ話だと思ってみると素敵だと思う。普通に見てしまうと、そんなバカな・・という設定が多いのである。大晦日のカウントダウンのタイムズスクエアで、すぐに人を見つけられたり、J.ボンジョヴィがライブをする2箇所の位置関係もあいまいだったし、カウントダウンのあと急いで家に帰ってドレスに着替えて馬車でレストランに駆けつけたサラ・ジェシカ・パーカーの早業も現実的ではない。でも、そこはOKとして見ないとこの映画は成立しないのである。

いくつかの男女の組合せがストーリーを織り成すのだが、個人的にはやはりザック・エフロンとミシェル・ファイファーがよかった。最後のダンスシーンまでこの二人はよかった。

あと、ハル・ベリーはさすがに綺麗だった。

それから欲を言えば、もっとニューヨークの本物の街角を映してほしかったなぁ。

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