« 2004年3月 | トップページ | 2004年5月 »

2004/04/30

GW

明日から5連休だ。
待ちに待った休みは小旅行に出かける。
休み明けからもまた引き続き忙しいけれど、2月から取り組んできた業務がまとまり、委員会も通過して、気分よくGWを迎えられる。

イラクで人質となった2人が記者会見にのぞんでいた。
いろいろな議論が巻き起こったが、この会見を見て、一区切りついたと思う。一番印象的だったのは、自衛隊の派遣が本当にイラク国民が望んでいることなのか疑問だ、という言葉だ。やはり実際現地に行って地元の人々の中に入っていった人のことばには重みがあると感じた。実際私自身も、彼らは無責任だと責める側の意見に同調する傾向もあったと思う。でも、いまこうして3人が無事に帰ってきて、会見を見て、現地の状況を伝え、見えなかった部分が明るくなってくると、彼らの渡航の意義も見えてきたような気がする。

2004/04/28

non title

なんとなく成り行きで見ているドラマ「光とともに」を見ていて強く感じることがある。このドラマは自閉症児をとりまく人々の話だ。人が本来もっている温かみというものを改めて考えさせられる。
そのときにどんな言葉を発するかは人それぞれだけど、それが本当の心の表れでありたいと思う。たぶん、勇気をもって言葉にしたなら、それはきっと伝わるし温かいものであるに違いない。
子供っていつの時代も純粋だと思う。物事をどんなふうに感じ、それをどうやってプラスの方向に考えつなげていけるかで心の豊かさが膨らむか縮んでしまうかが決まってくる思う。だから、たとえ小さな子供が相手でも「ありがとう」とか「うれしかったよ」と自分の気持ちを伝えていこうと思う。それはすごく大切なことのように思える。
仕事中心の毎日で、いつも効率とか短時間とかシンプルとかそんなことばかりが先に来てしまっている自分だが、人に対してだけはそうありたくないと、このドラマを見て思う。

今日は英語の日。
予告どおり短縮版のTOEICのテストがあった。
やっぱり語彙力のなさに愕然とした。
席順は今日から自由で、最初に隣の人との自己紹介のやりとりがある。たぶんこれは毎回あるのだと思う。今日は中学の社会科の先生をしている人が隣だった。社会の先生なのに英会話があんなにできるなんてすごいなぁ。私はこのクラスでは劣等性かもしれないけど、笑いを誘いつつ頑張りたいと思う。

2004/04/26

non title

昨日はワインを探して大泉のワインショップまで行ったのだが、あいにく専門家が不在だったため、リストを渡して帰ってきた。頼まれたワインなのだけど、そうはないだろうから、おすすめのワインがあればそれを買おうと思って。でも、お店にいたのはおじいちゃん、おばあちゃんで、ワインについてはさっぱり分かりませんという雰囲気だったので、出直すことにした。そうしたら、今日の午前中に電話が入り、リストのなかのいくつかはあるとのことだ。私の知る限りこの辺では一番のワインショップかもしれない。ということで、明日は夜間勤務のため午後からの出勤なので、午前中に買いに行く予定。

連休前にできるだけ仕事をすっきりさせたくて、今日は1時間早く出勤した。私がいまいる職場の男性陣はみな早く出勤してくるので、普段私が8時半ごろ出勤してくるともう皆さん仕事モードなのだが、今朝は私が一番乗り。今日もほぼ一日、自分の仕事と平行して、カラープリンターをフル回転させて広報用の資料の準備に追われる。このプリンターは大丈夫なのだろうか?

2004/04/22

non title

今日はひこうき雲を4本も見た。
そのせいかどうかわからないけど(たぶん、そのせいだと思う)ラッキーな出来事があった。ナイトブルーの手作りのガラス玉をゆずってもらったのだ。ナイトブルーというのかな。私はその色を見ると夜をイメージするから。そしてそれをペンダントにしたくて、学内のある人に相談したら明日、皮ひもをゆずってもらえることになった。

仕事が終わってから市役所のO氏を訪問。(ちゃっかりお菓子を取りに伺ったのだ)O氏のいるフロアーはすごくいい眺めでうちの大学も見えるのだ。かまぼこ型の体育館も見えるよ、と言われてなぜかうれしい。ほんと、かまぼこに見えた。

ここのところ、4月とは思えない暑さだ。
暑くてもカラッとしていれば調子は良好なのだ。ここ数年の春の中では最高によい春。(特に何があったわけでもないのになぜだろう?)

今日は日中、献血車も来ていたので400mlに挑戦しようとしたが、血液の比重が足りなくて200mlとなる。毎回問診に来る老医師がいて、1年以内に渡航した都市について質問されたとき、先生はどちらかに行きましたか?と聞くと、去年イタリアに行きました、とのこと。いつもの光景のなかにいつもの人がいてくれる。

2004/04/21

non title

県立女子大が開講する英語コミュニケーションセミナーに通い始めた。太田会場が設けられているので、仕事を6時ごろまでに終えればなんとか間に合う。12月まで週1回のきついけれど楽しい時間が約束されている。開校式で聞いたところによると、30名定員のところ4倍だったそうだ。それだけに、できるだけ休まずにがんばらなければ、とプレッシャーがかかる。受講者の中に、うちの大学の警備に入っている方がいてビックリ。その人はプロのサッカー選手だったというから、なおビックリ。ユニークな経歴の持ち主だ。高校生から主婦、高校の英語の先生まで幅広い人たちと一緒に勉強することになるので刺激になりそうだ。でも、目標はTOEICを受けることなので、結果がもろに出てしまうのだ。でも、私の目的は少しは話せるようになることなので、楽しみながら進められたらいいと思う。

先日亡くなった鷺沢萠の小説を読み返したくて本棚を探したら、「大統領のクリスマスツリー」しか見つからなくて、でもそれは気に入った作品なので、いま読んでいる。舞台はワシントン。ジョージタウンとかポトマック川とかアーリントンとか、訪れたことのある地名が出てくるので特に気に入っている。この本には、むかし、読み終えたあと友達と感想を述べ合った想い出もある。本のなかのある一文に「ひとの心をやわらかくする」という表現がある。その表現にとても惹かれた。そういうことを意識していた作者に哀悼の意を表したい。未だに何故?という気持ちが先行してしまうけれど、いまさらそれを知ったところでなんにもならないし、本人が選んだことと思うと、もしかしたらそれでよかったのかもしれないと思いはじめている。

2004/04/19

non title

昨日の日曜日のこと。
午前中は弟の子供たち(男子2名)が来るというので、動きやすい支度をして待ち構える。ふたりは、この前の下の子の誕生日にプレゼントした「おたのしみ券」をにぎってやって来た。「この券を持ってきたらお菓子がもらえるよ」ということを全部ひらがなで書いて、それらしく「券」にしてあげたのだが、張りきってやってきたので大成功といえる。お菓子はふたりに等しくちゃんと袋に入れて用意しておいて、それを渡すと、これ以上にないほど喜んでいた。

子供たちが帰ると、急いで上武大学の野球場へ。
天気は最高で野球観戦にはもってこいの午後。最近、日光に当たるということがあまりなかったせいか、気持よくって眠気が襲ってきて観戦中にウトウトしてしまう。なんだかすごく健康的。

いつも元気そうで、何の問題もなさそうに見える人ほど、その奥で苦労があったり悩んだりしていることがある。ちょっとでもサインを出してくれれば飛んで行くのに。あとから、笑い話として話してくれるところがまたその人らしい。
人の行動は紙一重だと思ってしまう。どんな拍子でどっちに転ぶかわからないなぁと。弱くなっているところに何が作用するかわからない。そんなふとした拍子に何かできたらいいと思う。特にがんばっている人については。

2004/04/15

non title

今週は毎晩11時からBS-2でメトロポリタン美術館を特集している。各回テーマがありしかも1時間たっぷり見せてくれる。昨夜は大富豪ロックフェラー家がメトロポリタン美術館に寄贈した数々の美術品を紹介していた。その中にクロイスターズ(分館)にある7枚のタペストリーがあるのだが、これはメトロポリタンのなかで私のお気に入りである。クロイスターズはマンハッタン北部のフォート・トライオンという場所にある。美術館の建物自体が中世の教会建築を移築したのもで、小高い丘にハドソン川を見下ろすように建っている。
ここのタペストリーというのは中世ヨーロッパに伝わった一角獣伝説をモチーフにしているもので、昨夜の番組の解説を聞くまではただその色とりどりの糸で織られた複雑さと一角獣にひかれ、漠然といいなぁと思っていたのが、それが実はロックフェラーの心を癒していたことや、7枚のうち特に私の好きな1枚はキリストの再生も表現していることを知り、感動は更に深まる。
クロイスターズに行くと、そこがマンハッタンだということを忘れるほど落ちついている。ミッドタウンからバスに乗ってハーレムを抜け雑然としていてあまり清潔とは言えない街並みを更に北へ走り(このあたりは一人だと心細くなってくる)、終点のフォート・トライオンに着くと本当にホッとする。でも、その道中はNYの影を垣間見る機会でもある。真冬に、まだ一度しか行ったことがないので、今度は暖かい季節に行ってみたい。

鷺沢萠が亡くなったという。「大統領のクリスマスツリー」や他のエセイなど彼女の書いたものが好きだった。なぜ死を選んでしまったのだろうか。そこまでの思いをなぜ書かなかったのだろうか。残念で本当に残念でならない。

2004/04/10

non title

12日間連続出勤して、やっと休みが来た。この時期は仕方ないのだけれど、休日はやっぱり必要だ。しかし、今日はかねてから両親が出かけるので祖母の面倒をみる約束をしていて、食事をとらせたりして一日が過ぎる。祖母は最近あまり声を出せなくなってきて、だからせめて笑わせてあげようとあれこれ試してみる。笑ってくれるとほっとするし、そうでないと心配になったり。まるで赤ちゃんみたいだなぁ、と思う。

夕方、何気なくテレビをつけたら、「大草原の小さな家」をやっていて、しばし見入る。アルバートが不治の病で余命いくばくもないという場面。あの西部開拓の時代なのに、ちゃんと本人に宣告して、どう過ごしたいのか、本人の考えを尊重するなんてすごいなと思う。日本でそういうことができるようになったのは、最近のことではないだろうか。人の死を受け入れ、めそめそくよくよするより、いま何をすべきか、本人は何を望んでいるのかを見極めること、そんなことを再認識させられた。

栃折久美子の「モロッコ革の本」が届いた。助言をしてくれた方に感謝です。今夜のお楽しみがこれでひとつできた。

2004/04/07

non title

新しいスカートを探しているのだけれどなかなか気に入ったのが見つからずの状態。夢の中でまで探していた。

昨夜遅く帰宅して、キッチン(というよりお勝手のほうが相応しいかも)に行くと、新しいダイニングテーブルが置かれていた。どっしりとした厚みのある木のテーブル。リサイクルで見つけたというから驚きで、私もすっかり気に入ってしまう。父もかなり満足している様子で、二人してなんだか用もないのにテーブルについたりしていたのが可笑しい。

イオンのなかに書店が入っているのは知っていたが、昨日初めて入ってびっくり。すごく広くて。あんなに奥行きがあるとは想像できなかったのだ。一番奥のほうにアート専門の棚があり山本容子の画集を見つけ、思わず購入。「東京50景」という画集。それと絵本も沢山あって、「かさじぞう」を甥にと買った。かさじぞうっていい話だと思う。雪の中に立つお地蔵さまたちにカサをのせてあげるような、そしてそのおじいさんに「良いことをしましたね」と言って迎えるおばあさんのような優しさをもった人に育ってほしいと願いを込めて。

2004/04/06

non title

先日の日曜日は休日だというのに出勤で、でも3時ごろには終わったのでその足で映画を見に行った。
恋愛適齢期 “Something Gotta Give”
印象に残るシーンは、ダイアン・キートンとジャック・ニコルソンがお互いのメガネを取り違えて月日が流れるのだが、パリで再会したときそれを返すシーン。ジャック・ニコルソンが「これでまたひとつ区切りがついたな」とつぶやく。そういう繊細な事柄を映画の一場面にするというセンスの良さを感じる。

新しい季節が始まって、すべてがぎこちなく動き出している。
さっき Captain とやっと電話でつながった。あの安心感がいまの職場にはないのがちょっと淋しい。Captainはもうすぐ異国の地へ行くという。

今日は市役所のとある方から異動されたとのメールが入る。新たな職場でもきっと変わらず活躍されることだろう。いつもエネルギーを分けてくれる人なのだ。今度は11階にいるというので、訪ねてみるつもりだ。

2004/04/04

non title

最近よく思い出しては改めて読んでみたい本がある。それは中学だったか、高校だったか忘れたが、現代国語の教科書に載っていた栃折久美子の「モロッコ革の本」だ。筆者は装丁家(という表現でいいのか分からないが)だったと思う。製本って何とも言えず美しい作業だなぁ、とそのころ感じたのを覚えている。私は本の外観に惚れやすい質だと自分で思う。ハードカバーの場合、表紙に一枚カバーのように巻いてあるが、それを外してみると思いがけず、いい質感や色や絵に出会えることもある。また、装丁が気に入って買ってしまって失敗(内容が期待以下)したことも多い。だから、本の内容と装丁の両方が気に入った本に出会ったときは最高だ。そういう意味では、今日bookのページに紹介した「大聖堂」はまさにその類の本だと言える。

アマゾンで「モロッコ革の本」を調べたら、即、マーケットプレイスの案内になってしまい、がっかりしてしまう。一応申し込みはしたけれど手に入るだろうか。こうなると、どうしてもどうしても読みたくて仕方がない。

大聖堂

レイモンド・カーヴァー著
村上春樹 訳
中央公倫社

短編集。
カーヴァーの作品が好きな理由は、普通の人々の日常のあるひとコマを切り取って淡々と表現していることだ。主人公たちはそれぞれ局面に立たされている。周囲の人達との関わりを描きつつ、不安から安心、安心から不安、さらには状況の消化、再生へと繋がっていく様子を読み手は愛情をもって受け入れることができる。それは、私たち自身の身に降りかかってくるかもしれないことであり、あるいは身をもって体験したことであるからではないだろうか。

« 2004年3月 | トップページ | 2004年5月 »

twitter

  • twitter
無料ブログはココログ