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2004/06/27

The Human Stain

映画「白いカラス」を見た。
何から話せばいいだろう。この作品は複雑だ。
人は相手の表面しか見ないものだなぁと思う。本当は何を考え、どんな傷があるかなんて知りもせずに。映画を見終えてもなんの答えも見出せない、そんな感じである。
アフリカ系アメリカ人だが、見た目はまったく白人で通る容貌の主人公が、その時代故にとった選択は、結局生涯癒されることのない傷となる。ただ、家族を捨ててまで白人として生きる意味があったのだろうか?などという疑問は正直言って浮かんでこなかった。なぜならば、それほどまでに人種差別は耐え難いことだったことがこの作品から想像できるからだ。アンソニー・ホプキンスはその役を完璧に演じていたと思う。それにも増して光っていたのは二コール・キッドマン。義理の父、夫から虐待を受け、子供を事故で失った悲劇の女性の複雑さを、あのように演じられるのはすごいことだ。ホプキンスとキッドマンは恋に落ちる。どうして傷をもっている者同士は、不思議なタイミングで出会うのだろう。そういうことって、ひょっとすると珍しいことではないような気がする。
全体的に暗い雰囲気が漂うなかで、唯一、ゲイリー・シニーズが登場する場面はどれも安心できる。この安心感は何なのだろう?この人物も決してハッピーな人生ではない役柄なのにもかかわらず。そして、ホプキンスとシニーズが踊るシーンがあるのだが、その場面が良い。場所が夜のテラス(ガラス張りのとても雰囲気のある空間)で、ランプの明かりが温かみを強調している。
男同士で踊るのだが、二人とも楽しそうに踊る。それがなんとも言えず良い。
それと、若い頃のホプキンス役の青年が失意の恋人とニュージャージーからニューヨークへ汽車で戻ってくるシーンで「最終ペン・ステーション」とアナウンスがある。今はグランド・セントラルがNYのメイン駅であるが、当時はペンシルベニア・ステーション(通称ペン・ステーション)だったことがうかがえる。
原作を読んでみたくなった。

2004/06/24

non title

昨夜は英語のクラスに出席したあと、同じクラスの方と食事した。ストレートな質問などあったりして、うまく答えられたか心配だが、察してくれただろう。
ラスベガスの話をいろいろ聞いて、行ってみたくなる。カジノだけじゃないそうで、一生のうちに一度は行ってみたいと思った。
その人は今日から会社の人たちと香港に旅行に行くそうで、なんとも羨ましい。いま、「香港はモワッと蒸し暑いだろうね」と言っていたが、同時に「でも仕事で行くわけじゃないからOK」とも。ほんとうにその通りだ。香港は暑いときに行くと香港らしさが味わえて良いのではないかとも私は思う。話のなかで旧空港(カイタック空港)への着陸も経験あるとのことで、実に羨ましい。

2004/06/21

non title

台風が接近している月曜日。
今朝、通勤途中に見かけた小学生が、新聞紙に大きな紫陽花の花を包み下に向けて持ち、学校に向かっていた。男の子だった。
いまでも家に咲いている花を教室に持っていって飾る子供がいるんだな~と思い、小学生のころを懐かしく思い出す。私も年に1回くらいは庭に咲く花を持って学校に行った。先生が花瓶に生けてくれると嬉しかった。それはなぜ嬉しかったのだろうと考えると、その花を持たせてくれた母のことを思って嬉しかったのだと思う。教室に飾られた花は特別に思え、一日でも長く咲いているように願っていたはずだ。

2004/06/19

non title

大事に読んでいた「ニューヨークの古本屋」を読み終え、bookのページに感想を書きました。

本を3冊注文した。
いずれも「ニューヨークの古本屋」に出ていた情報。その中で楽しみなのが大岡昇平の「萌野」と植草甚一の「コラージュ日記〈2〉ニューヨーク1974」である。両方とも著者の70年代のニューヨーク日記。本でも読んで気分をNYに持っていかないと。

ニューヨークの古本屋

常盤新平 著
白水社

「老い」を意識しはじめた著者が、過去訪れたニューヨークを振り返り、また99年に「最後になるだろう」ニューヨークを訪ねたときの記録となっている。常盤新平という人は、NY通中のNY通なのだと思ってきたが、この本を読むと決して「通」ではないように感じる。ただ彼は自分の「好きな場所(書店やホテル、バーなど)」に繰り返し通いつめ、味わっている、ただそれだけだ。

さらに著者はこれまで私生活については言及してこなかったのだが、本書では繰り返し自身のことについて触れている。いわゆる「不倫」を実らせた少数派であることを、私は初めて知った。本書のなかでその過程を語っているわけではない。ただ、新しく妻となった人が時折現れる。それはあたかも、長い年月中途半端な状態にあった(作家として表現してあげることのなかった)相手を、この本をもって正統化してあげているかのように思われ、常磐新平という人の人間性を感じることができた。70歳を過ぎた現在、人生の終盤を迎え、遅まきながら相手にしてあげられる唯一のプレゼントのように私には思えた。

文章の数ヶ所に「(NYの)ここに来るのは最後だろう」という文章があり、淋しさを覚える。

ニューヨークの古本屋

常盤新平 著
白水社

「老い」を意識しはじめた著者が、過去訪れたニューヨークを振り返り、また99年に「最後になるだろう」ニューヨークを訪ねたときの記録となっている。常盤新平という人は、NY通中のNY通なのだと思ってきたが、この本を読むと決して「通」ではないように感じる。ただ彼は自分の「好きな場所(書店やホテル、バーなど)」に繰り返し通いつめ、味わっている、ただそれだけだ。

さらに著者はこれまで私生活については言及してこなかったのだが、本書では繰り返し自身のことについて触れている。いわゆる「不倫」を実らせた少数派であることを、私は初めて知った。本書のなかでその過程を語っているわけではない。ただ、新しく妻となった人が時折現れる。それはあたかも、長い年月中途半端な状態にあった(作家として表現してあげることのなかった)相手を、この本をもって正統化してあげているかのように思われ、常磐新平という人の人間性を感じることができた。70歳を過ぎた現在、人生の終盤を迎え、遅まきながら相手にしてあげられる唯一のプレゼントのように私には思えた。

文章の数ヶ所に「(NYの)ここに来るのは最後だろう」という文章があり、淋しさを覚える。

2004/06/17

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桐生へ出張。
久しぶりの桐生。実は私はこの土地で母のお腹に宿ったということだ。だからなのか、なんだかとっても懐かしい気がする。活気のあった商店街はさびてれしまい、シャッターの下りたお店のほうがそうでないお店の数より多いような感じだが、ちょっと入った路地には、昔ながらの喫茶店やその他の商店が今でもひっそりと存在するのが桐生の良さなのではないだろうか。6時に出先での仕事を終え、近くの伽羅(きゃら)というこぎれいな喫茶店に入り、思わずハヤシライスを食べた。これの旨いこと!年輩の女性が一人で切り盛りしており、手作りのチーズケーキも素朴で美味しい。もう、これだけで満足してしまう。
帰りはもと来た道をたどり、途中、父の元の職場をかすめ、小学校のとき、桐生で公演された演劇を、仕事を終えた父と見るために伊勢崎からバスに乗って一人で桐生までやってきたことをにわかに思い出す。何故か、その日の服装までよく覚えている。錦桜橋を渡ってちょっとした並木通りを過ぎたところが父の職場だった。その場所は今も変わらない。

2004/06/15

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今週は進学説明会2会場担当。最初は苦痛と思っていたが、慣れてきてだんだん説明の要領も良くなってきたのではないかと思う。うちのブースの近くに、以前他の会場で名刺交換をした他大学の女性の方がいて、終了時間間際に話をした。風邪をひいていて辛そうなのに、穴をあけずにがんばっているようだった。もしかしたらそれは普通(あたり前)なのだと思う。でもその頑張っている彼女にエールを送らずにはいられなかった。

2004/06/12

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凝縮された一日というものがある。
自分にかかわるあらゆる物事が、その日をめがけてほとばしるのだ。寸分もたがわぬタイミングと優しさをもって。
そして、いつもはコントロールできるのに、そのときばかりはそれが効かず、感情がじわじわと溢れ出てしまうのである。

トニー賞の授賞式の模様がBSで放送される。
あれだけNYが好きなのに、まだ一度もブロードウェイでミュージカルを見たことがない。一度だけ見た舞台は「ブルーマン」というオフオフ・ブロードウェイだけ。
受賞者のスピーチは様々であるが、とくに心に残ったのは、ある舞台女優のことば。「子供のころからどうしたらここに立てるかっていつも考えていました。今はわかります。絶え間ない努力と神の恵みによるものだと。」

ちょうど読み終えたオンリー・ミーで、三谷が書いている。
「面白い芝居は面白い映画より面白い」と。
成功した舞台、本場で一度は見てみたくなった。

オンリー・ミー

三谷幸喜 著
幻冬舎文庫

日記にも書いたが、思わず噴出してしまう一冊。
落ち込んだときに読むと、かなり立ち直れるんじゃないかと、ちょうど落ち込んだときに読んだ私は心から思う。読み終えたあと、人生ラクに行こうと思い直せる。

2004/06/09

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ニューヨーカー誌に掲載されていたジュンパ・ラヒリの"HELL-HEAVEN"を読み終える。初めてだ。英語で小説を味わえたのは。もちろん知らない単語は沢山あって、最初は辞書を引きながら読み進めていたのだが、だんだんそれらの単語を飛ばしながらでもストーリーを理解できることに気付き、気がついたら最後まで到達していた。(次は単語をきちんと調べながら丁寧に読みたいと思う)
ラヒリは昨年ピューリッツァー賞を受賞した作家で、ベンガル人を主人公にした独特の作風をもっている。特にいいなぁと思えるのは、その回想形式のストーリー展開と、遠いインドから移住してきたベンガル人の新天地アメリカでの生活風景、主人公の目を通して淡々と語られる周囲の人々の心理描写だ。"HELL-HEAVEN"は、女性が恋する気持ちを母と娘の関係を巧みに交えながら描いている。読み終えたあと、その余韻がいつまでも心に留まっていて、いくつもの場面はそのままふとしたときに思い出せるほど、見事な物語だと思う。

ラヒリの作品との出会いは、昨年の8月14日にニューヨークで起こった大停電がきっかけだった。確か読売新聞の1面のコラムに、そのときの停電の話題とともにラヒリの短編集「停電の夜に」が紹介されていたのだ。それですぐにその本を注文したのであった。

ニューヨーカー誌は質の高い文芸誌だと思う。常盤新平の本には、彼がニューヨーカーファンであることもあり、この雑誌にまつわるエピソードがよく出てくるのだが、それらによれば、この雑誌は構成内容が創刊当時から首尾一貫していると思える。そして、ピューリッツァー賞を受賞したような成功した作家が、未だにこの雑誌に作品を掲載する事実からも、その質の高さがうかがえるのである。表紙はそのまま額に入れるとアートになってしまうようなデザインで、金額は1冊$3.95。

2004/06/08

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三谷幸喜の「オンリー・ミー」を読んでハマっている。読みたくてウズウズして、昼休みが待ち遠しい。だから学食の窓際に一人座り、お昼を食べながら本から目が離せない。このエッセイは93年ごろ書かれたもので、三谷幸喜がまだ30代前半のころ。1961年生まれということなので、今年は43歳ということになる。このエッセイ、本当に面白い。私は本を読みながら笑うことはあまりないのだが、これは読んでいて顔がにやけてしまったり、吹き出したりしてしまうほど面白い。思うに私はこういう性格の人って好きなんだろうと思う。すごく面白いことをやっているのに、本人は真面目で、人を笑わせようと思ってやってるわけじゃなさそうなところが。そういう人にある意味あこがれてしまうのである。すごくカッコ悪いのにすごくカッコいい。

2004/06/07

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とうとう梅雨入り。
先週末はカラっとした良い天気で、土曜日は気分も良く、仕事を半日で終え、館林美術館に行った。版画展。中でもウォーホルのキャンベルスープはお気に入りの作品なので、見ることができて満足。その他にもリキテンシュタインやホックニーの作品もあった。また、ジャスパー・ジョーンズのカラーの数字シリーズの展示コーナーが、照明など、その作品の雰囲気にすごく合わせてあり、見ごたえあったと思う。女性の学芸員が小学生に作品の説明をしていて、途中から合流して一緒になって説明を受ける。知識をもって作品を見るとより楽しめる。よく、「これのどこが芸術?」と言う人がいるけれど、一番先にやったらやっぱりそれは芸術と成り得ると思う。キャンベルスープの一連の作品なども、今は見慣れてしまったけれど、最初に見たときは、カッコイイと思ったし、今でも好きだ。版画の良さは一点ものではないので、一流作品が身近にあったりすることだろうか。今回の展示作品の多くが富士ゼロックスからのものであることからも、そのことがうかがえる。この会社、良い趣味している。

日曜日は部屋の掃除をしたり、英語の予習などしながらダラダラ過ごす。英語は予習しないとついていけない。前回は夜間勤務で休まなくてはならなかった。後日、同じクラスの例の元プロサッカー選手だった方が営業の途中に職場に寄ってくれて、どこまで進んだか教えてくださった。この人の話しは底がないのではないかと思えるほど話題が豊富だ。聞いていて愉快。そしてこんなにも楽しそうに話する人を私は初めて見たような気がする。

2004/06/04

full moon

昨夜友人から「月がきれいだから見て」とメールが入る。気付いたのが少し遅かったのだが、6月とは思えないくらい空気が澄んでいて、月光が冴え渡っていた。そのときは満月がほぼ南の空高く輝いていた。メールが届いた早い時間にはきっと空の低い位置でもっと大きく見えたのだろうと思うと、その時間に携帯をチェックしなかったことを本当に残念に思う。ただ、その時間、空を見上げながら、目を見開き月と対面しているその友人のことを想像すると、自然にそのまんまるの月も目に浮かぶのである。

アフガニスタンとようやくメールでつながる。
その内容を読むにつけ、想像以上に過酷だということが伝わってくる。と同時に現地に出向いた友人の偉大さに改めて気付かされるのである。そして1日の日経新聞の夕刊にその記事が掲載された。国際貢献という言葉を耳にする機会が多くなってきているが、いざ自分も参加したいと思っても簡単にできることではない。それまでの経験、語学力、バイタリティー、人間性…いろんな資質を備えていなければ『貢献』はできるはずがない。また、危険を伴うこともあるので覚悟も必要だ。その人柄はきっと、現地の人や他国の退役軍人からも信頼され、大変でも充実した期間を過ごしているのではないかと思う。ただただ、無事を祈っている。

2004/06/02

non title

今日は某高校に進学説明会に行き、そして帰ってきてから夜間勤務である。ちょっとハードな一日。でも、出先で県内の専門学校や大学の広報の人たちと名刺交換できて、それだけでも行った甲斐があった。
図書館で棚を見回していると、鷺沢崩の「ウエルカムホーム」があったので借りてみる。ここのところ、忙しいし疲れていて本を開くと1ページも読まないうちに眠りに入ってしまうのだが、読む本が手元にあるとなんだか幸せな感じで良い。

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