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2005/04/27

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GWまであと1日だぁ。
がんばろうっと。

休みもとらず、ここのところ仕事に打ち込んできたから、
明日からのお休みはまさに“黄金”である!

あたまにくることもあるけれど、
最近は静める術も覚えて。
それに、周りの方々の励ましに支えられて
なんとか乗り切ることができる。
優しく声をかけてもらったり、温かいハーブティーが机の上に置かれていたり。恵まれている。

2005/04/23

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体調が悪くてダラダラと家の中で過ごす。
夕方テレビをつけたら偶然、ゴッホとゴーギャンを採り上げた番組をやっていた。この二人の画家の絵は特別好きというわけではないけれど、二人の人生の背景を知ることにより、作品が深みを帯びてくると思った。ゴッホの理想であった芸術を志す者の共同体にたった一人賛同したのがゴーギャンであるが、その共同生活がわずか9週間で終わったことは有名である。ただ、今日の番組で、その後二度と会わなかった二人が、生涯心の奥深いところに友情を感じて過ごしていたことを知った。ぶつかりあいながらも、ゴーギャンを尊敬し信頼を寄せていたゴッホ。しかし、ゴーギャンはゴッホの元を去ってしまう。彼はゴーギャンが去ったあと、療養所で生活しながら、ゴーギャンの手法(想像して描くやりかた)を試みている。タヒチに渡ったゴーギャンは生涯を閉じる少し前、パリの友人に、ひまわりの種を送ってほしいと手紙を書き送ってもらう。そしてひまわりの絵を描くのだ。ゴッホが自殺してから11年も経ってのことだったという。ひまわりは、ゴッホがゴーギャンを共同生活に迎えるとき、歓迎の意を込めて彼のために描いたモチーフである。生前はまったく評価されなかった二人の画家がこうして現在、高い評価を受け、研究されている。皮肉なことだが、自分の才能を信じて死の直前まで作品を描き続けた二人はやはりそこが本物の芸術家なのであろう。

2005/04/16

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サンダルフォーのジャムが好きな私である。
何がいいかというと、そのビンが。
それと砂糖不使用というところ。
先日、図書館勤務のとき、夜食としてそのジャム1ビンと食パン1斤を買っていき、司書の二人(男女)に試食してもらったら好評であった。そのときはカシスのジャムにしてみた。それから2日後の昨日、伊勢崎のとあるスーパーに寄ったときのことである。買うものは決まっていたので早足で店内を突進していたら背後から「イシハラさ~ん」と声がしたので振り返ると、司書さん(女)がそこにいた。そして買い物かごのなかに、サンダルフォーのカシスジャムが入っていた。なんとも嬉しく、ほんわかした気分になった。

2005/04/10

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きのうの土曜日、1時で仕事を終えた私は春の気持ちいい空気に包まれ眠くなり、大学の学生駐車場に止めた車の窓を開け、ちょっとだけ読書をしてから昼寝をした。こんなに気持ちのいい昼寝をしたのは何年ぶりだろう。この感覚は、よく海に通っていたころは味わっていたものだ。海では波音が遠くに聞こえていた。そして、昨日はうつらうつらしていて聞こえてくるのは野球部の練習するバッティングのキーンという音や掛け声。30分ほどと思っていたのに、目覚めると3時半になっていた。深く眠ったせいで頭は冴えている。そして帰りがけに渡った小さな橋から桜並木が見えたので、車を回して降りてみた。人っ子一人いない並木。なんだかもったいないような気がして写真を撮った。

本日は日曜日。
母と寿司を食べに行く約束をしていたので、前橋まで。ウラのうちのおばさんお奨めのその店でたらふく食した私たちは大満足。ちょうど帰ってきたところへ、うらのおばさんが通りかかり、行って良かった旨伝えると、とっても嬉しそうであった。

「水曜の朝、午前三時」を読み終えた。
感想といえるほどのものではないが、bookのページに記した。
国家というのもは、想像以上に私たち個人の前に立ちはだかるものだと改めて知らされる。二人を引き裂いたものが何だったのか、それを知ったとき主人公同様、怖かった。

水曜の朝、午前三時

蓮見圭一 著
新潮社

とにかく読んでほしい。
今の自分に後悔はないけれど、もしかしたら、もう一つの人生があったかもしれないと思う人は特に。

2005/04/09

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昨日、用があって某教員の研究室を訪ねたら、そこでもミスチルのCDがかかっていた。偶然?春にはやっぱりミスチルが似合う。

2005/04/08

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ほんの20kmほどの車での通勤途中、この季節は桜などの春の木々が目を楽しませてくれる。今朝、ミスチルの曲を聴きながら走った。ミスチルがこの季節に合うのはなぜだろう?だぶん、新しい一年の始まりに、自分の心が自然にリセットボタンを押したがるせいだろう。あるがままの自分へ戻すためのボタン。通勤途中に景色を眺めながら、かなり心が洗われた気がした。
職場のある女性がこの前「大学で仕事してると、季節を感じることができていいですよね」と言っていた。ほんとそう。春は苦手な季節だけど、なんとか乗り切れそうだ。

2005/04/04

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ERの新シリーズがBSで始まっている。
今日放送の「失った友を求めて」は大変見ごたえあった。戦場で医療に携わるルカ。彼の訃報がとどき、現地で遺体を探し求めるカーター。一人一人テントに引きづられて連れていかれ、射殺される間の残りの者の恐怖は神経を痛めつける。敵も見方もなく治療に当たっている者までも人間として扱われない理不尽さ。考える隙もなく心に直に痛みが突き刺さり、オイオイと泣けてたまらない。

日々、私たちは物事をわざわざ複雑にしてしまっている。今回のERでカーターが言ったことがふと我に帰らせてくれる。「ここ(アフリカ)では、困っている人がいて、ただ彼らを助けるだけ。シンプルさ」

2005/04/03

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甥たちが来て、食事に行ったり読み聞かせをしたり、算数を教えたり、母は習字を教えたり、公園にサッカーをしに行ったり。盛りだくさんの一日。右の写真は習字(というより絵を描いていたりしたけど)の様子。幼いながら筆使いがなかなかよろしい。腕まくりなんかしているところがいい。読み聞かせは「てぶくろ」にしてみた。かなり楽しんでいたようだった。途中からは、3人で声をそろえて読んだ。この絵本は友人が私の読み聞かせのためにプレゼントしてくれたもの。最近はボランティアの読み聞かせに行けないのだけれど、こうやって身近な子供たちに読んであげられること、これでよいのだと思う。

職場の後輩に薦められた蓮見圭一の「水曜の朝、午前三時」を読み始めている。「石原さん、好きそうだと思います」と言ってくれた。確かに、引き込まれている。感想はまた書こうと思う。ここでは、気にとまった箇所を抜粋しておきたい。

「・・・内心では花見客を馬鹿にしていながら、偶然に桜の花を目にして、その美しさに圧倒されたりしていたのです。ピアニストが毎日休みなく鍵盤を叩くように、私は人生の練習を続けてきたのです。」

人生の練習。
この言葉に共感を覚え、私にとっては珍しく、かなり深く解釈することができるのである。

2005/04/02

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サッカーフェスタ終了。
自分の反省としては、直前からではなく、はじめの段階から関わるべきだったということだ。いろいろ感じた点はあったけど、こんな私には言う資格はないのだとハタと気づく。そして、もうひとつ。内々のことは事が全て終わってからでいいのだ。進行中はただ、外に対してどれだけ最善を尽くせるか、ということ。終わってみると思うように進まなかったと思うけれど、次にどうつなげていけるかを考えればいいのだと思う。

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