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2005/08/27

fireworks

仕事を終え、車を走らせて半分ほどに差しかかったくらいのところで、急に道が混みだして、その原因は伊勢崎の花火大会ということに気づいた。面白いようにどの道筋からも車は花火の方向に向かっていく。その中に巻き込まれながら、私は頼んであったものを取りに、イトーヨーカドーに向かった。やっと着くと、いつもは余裕のある駐車場なのに、1台分も空いてなくて、結局止められず、離れたところの路上に止めざるを得なかった。そして、案の定、店内はガラガラ。みんな花火を見るためにここの無料の駐車場を利用しているようだ。イトーヨーカドーは心が広いと思うけれど、本当に買い物をしたい人が止められないというのは、どうだろう。ちょっと考えさせられる。

でも、花火はいいね。幸せを感じられるし。みんな沿道に出てそれぞれの場所からそれぞれの誰かと眺める。私の場合、最近は、さあ花火に行くぞっていうことはあまりなくなったけど、思いがけず遠くにあがる花火を見たときとか、外国で見た花火などは、そのときのことをシャッターを切るように心に焼き付けてくれる作用があると思う。

2005/08/23

honesty

私にとって洋楽を聴く始まりは、ビートルズじゃなくて、ビリー・ジョエルだった。中学生だったか、高校生だったころ、ホットチョコというのがあって(ココアより少し軽い味)、そのCMにビリー・ジョエルのオネスティが流れていた。それは、確かアメリカのどこかの都市(私にはNYに思えた)のマンションの一室で、10代後半の男の子がホットチョコを、多分外は寒い冬空で、そのホットチョコを飲むというCM。それが私にとってのアメリカだったと思う。だから、ビリー・ジョエルの曲は、どれも都会的で、特にピアノのバラード調の曲は洗練されていて好きだ。図書館の片隅でお気に入り、または読みかけの本を読みたくなる。もしくは、仕事や学校は休みで、外は雪が舞っていたりするのだけれど、暖かい部屋の中でやっぱり本を読むか、写真集を見たりしたくなる。そんな気分にさせられる。

思えば、まだインターネットもなくて、外国を紹介するテレビ番組もあまりなくて、知りたい海外の情報は限られていて、たとえば、ラジオ「百万人の英語」のテキストの巻頭のカラー写真なんかで垣間見るアメリカや、洋楽から想像を膨らませていた。そういう感覚は音楽によってよみがえり、当時の印象は、そのまま頭の中に残っているものである。

bj

2005/08/19

香港日記(つづき)

旅先で書き留めておいたメモをちょっと紹介します。

(某年某月某日) 曇り時々晴れ  ~冬のある一日~

つづき

ショッピングエリアと思われる通りに出た。
そろそろ歩き疲れてきたけれど、まずは最初に目についたチャイニーズクラフトショップに入る。建物自体が新しく、清潔感のあるお店。お土産にリネンのクロスなどを購入した。

今回は、できれば自分のためにシンプルなゴールドのネックレスを見つけたいと思っていて、通りの両側に見当たったいくつかのジュエリーショップに入ってみた。そして値段も手頃で、イメージしていたものを見つけることができて、ショーケースから出してもらう。
対応に当たってくれたのは、ミスター・ラウ。この、ラウという名前はとても香港らしいなぁと思う。ラウさんは私に伝票を見せながら親切にも、どうしてそのネックレスがその値段になるのかを説明してくれていたようだった。100パーセントは理解できなかったけれど、思えば、ラウさんは値段の根拠なんか言わなくても済んだのに、外国人旅行者だからといって軽く見ないで、ちゃんと説明してくれたことが嬉しく、いい店で買ったネックレスに更に価値が出たような感じだ。

その後、もう夕刻になったので、九龍に戻るべくフェリーのピアに向かって歩いた。
そろそろ足が痛くなってくるが、タクシーを拾う距離でもないように思われ、ひらすら歩く。
ピアの近くで現在、香港で一番高いとされているビル(Two International Finance Center)のところを通過した。

真下から撮った2IFC 2ifc

九龍側のプロムナードから撮影(symphony of lightsで光を放つ2IFC2ifc2

(写真をクリックすると大きな画像になります)

Two International Finance Center(←詳細)

symphony of lights とは、名前のとおり音楽と光のショーであるが、涼しい風に当たろうと(冬だというのに、歩いていると汗ばむときもある)プロムナードを歩いていたら、偶然始まってビックリ。香港島のビルが音に合わせて点滅したり発光したり、約20分くらいだっただろうか、観光客を楽しませていた。

2005/08/17

メールより

日記を読んでくださった知人より届いたメールを紹介します。

公開にあたり、ご本人の了解を得られています。

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ところで、いつもになく珍しくメールで少し堅いことを書かせてください。
プログのテーマについて、いくつか思ったことを。

(1)ドイツと日本の戦後処理の仕方について
確かにドイツは戦後謝罪をキチンとして、戦争をした相手国とも友好関係を構築してきました。ただ、ドイツの戦後処理の仕方には、すべてをナチスの異常性のせいにして、当時ドイツを支配していたナチスのしたことについて、戦後のドイツ人が謝罪をしている面があります。そこには、戦争と戦後の連続性がなくて、自分たちの仲間でないもの、ナチスという異常集団が行った悪行として性格づけられていると思います。そんな異常な集団の台頭を許してしまったことについての謝罪があるだけで、実はそこにふつうのドイツ人もみんな参加していた、それに熱狂していたという現在のドイツ人とナチス期のドイツ人が連続していないという感じを受けてしまいます。それに対して、日本の場合には、戦前、戦中、戦後が連続していて、戦争を担った者も自分たちと同じ日本人であり、その人たちが国のために死んでいったのに、自分たちの同胞であるその人たちを悪く言ってごめんなさいと謝ることはできないという感覚が特に保守系の政治家の中にあるような感じがします。私自身は、ドイツの戦後処理の仕方はうまいとは思いますが、どちらが正しいかというとどちらも正しい途はいえないように思います。

(2)日本は被害国か加害国かということについて
確かに、日本がどちらか難しい面もあります。そもそも、戦争突入すらも、先進国に外交的に追い込まれたのであるという考え方もあるぐらいですから。ただ、沖縄戦、原爆を考えるというまでもなく一般市民は被害者です。ただ、私は、被害を国として考えるのでなく、市民として考えたいと思っています。そして、市民が誰の被害者であるかと考えたときに違う形が見えてくると思います。このような考え方を持つのは、父が沖縄の与那国島出身で、自分が広島育ちであるというアイデンティティのせいかもしれませんが。そして、その面から考えたときに、この戦争での日本国民に対する主な加害者は日本政府であったと思います。たとえば、沖縄では、ひめゆり部隊の例でも明らかなように、老人、子供や女性まで戦争にまきこむ戦いまでしてしまう、戦況が明らかに不利になっていても情報を公開せず、また降伏も考えないような当時の日本は、やはり、国民を国の所有物であると考えて、それを犠牲にしても平然としているような国家体制であったと思います。小泉さんが、知覧の特攻隊の記念館で特攻隊員の手紙等を読んで感激して、それがもとで終戦の日に靖国神社に参って、戦没者に感謝の念を捧げたいという希望をもったようですが、私は特攻隊員に国のために死んでくれたという感謝の念をもつのではなく、物のように粗末に扱ったという懺悔の気持ちを政治家として持つべきだと思います。軍人が戦争に参加する場合には、すくなくとも倒されるか倒すかで生死が50%です。戦争それ自体許されませんが、かりに戦略を考える場合に、必ず死ぬという戦略は間違っていますし、それは軍人である自国民を人として扱っているとは思えません。そんな日本が続いていないか、なってはいないかを国民が監視しなければならないと思っています。

2005/08/16

香港日記

旅先で書き留めておいたメモをちょっと紹介します。

(某年某月某日) 曇り時々晴れ  ~冬のある一日~

午前中はすっかり寝て過ごし、ランチに出る。
尖沙咀(Tsim Sha Tsui)のハーバーシティ向かいのビルの中に順番待ちの人たちで入り口が塞がっているレストランを見つけ、そこでランチをとることに決める。
モダンな飲茶レストラン。

番号札を受け取り、待つこと20分。ものすごくお腹が空いていたので、勢いよく食べ始めた。注文して出されたものはどれもとても美味しくて、それでもたのみすぎて残してしまったものを持ち帰るために、パックをもらって詰めてレストランを後にした。

その後、スターフェリーに乗って香港島へ。
タクシーでヒルサイドエスカレーターまで行く。
ここは観光名所のひとつとなっている場所で、香港島の急な斜面に建つ高層アパートメントの住人のためにつくられた全長800メートル、世界最長のエスカレーターだそうだが、実際は800メートルずっとつながっているわけではなくて、ところどころで途切れて、小刻みに降りられるようになっている。時間で上りと下りが切り替わるそうだ。そう、一方通行なのである。
エスカレーターを横断する細い道路や平行する通路沿いにはバーやレストラン、雑貨屋など、様々な小さい店が軒を連ねている。でも、何より私が興味を持ったのは、ヒルサイドにぎゅうぎゅうに建つアパートメントの佇まいだ。生活感があっていい。hillside3

この日記は、エスカレーターに乗る目的を果たしたあと、歩いて下る途中のカジュアルレストランで休憩しながら書いている。これから、ゴールドのチェーンネックレスを買いに、もう少し下ったところにあるショッピングエリアに向かう。(つづく)

写真はエスカレーターの様子。写真をクリックすると大きくなります。

2005/08/15

終戦記念日に

戦後60年という節目の年のせいか、紙面やテレビ番組は戦争について、平和についての議論が例年以上に目立つ。国内外の人々の意見を読んだり聞いたりするうちに、日本人とはどのような国民性なのかを考える。
中国や韓国の反日感情はますます高まる一方、日本も原爆が投下され、想像を絶する被害を受けたにもかかわらず、終戦記念日に相手国を批判する光景を目にすることはない。
日本では、悲惨さを語り継ぐことはしても、感情をむき出しにして騒いだりはしない。広島や長崎で行われた集いの様子は、唯一の被爆国として、静かに、だけど辛抱強く平和を呼びかける努力をしているように写る。相手を責めるのではなく、起こってしまった事実を受け止め、ひたむきに前進してきたように思える。私はそんな日本人の心が好きだ。

一方、確かに日本の歴史の授業では、日本が近隣の植民地や侵略地での行為を正確には教えていない。高校のときに読んだ「悪魔の飽食」で第731部隊の犯罪行為には衝撃を受けたことは覚えているが、学校で教わったことではなかった。だから、中国や韓国の人々が、もっと歴史を認識しろと叫ぶのは理解できる。

日本は被害国なのか加害国なのか、時に迷うことがある。

今日、小泉首相が発表した談話がどの程度近隣諸国を納得させるものなのか、私には分からない。まだまだ不足しているのか、ある程度のものなのか。今日の日経新聞の論説に、戦後の日本とドイツを比較した内容が掲載されていて目をひいた。『1970年、ブラント西独首相はワルシャワのユダヤ人強制居住区記念碑の前でひざまずいた。歴代首相の徹底した謝罪がなかったら、両独統一も欧州統合も実現しなかったはずだ。』この事実から日本は何かを学ぶべきだと思う。でも、日本だってこれまで近隣諸国に対して何もしてこなかったわけはなく、経済的援助は惜しみなくしてきているわけだし、その部分では高い評価を得ていいと思う。誇りにさえ思う。でも、それだけでは解決しきれないということなのだろう。

子供のころは、日本の社会はどんどん良くなる一方だと思っていた。発展するし平和も深まるって。でも、違っていたみたい。

いろんなことを考えてみても、さほど知識もないし、これといった答えを出す能力も自分にはない。でも、この8月15日という日に思ったことを少しだけだが書きとめておくことにしよう。

2005/08/13

ヘルシンキ

世界陸上がヘルシンキで開催されている。毎日テレビをつけては見ていたが、今日はマラソン男子があるというので心待ちにしていた。なぜならばヘルシンキの街並みをかけ抜けるわけで、街をまるごとライブで見ることができるから。スタートはシティーホール前から。しかも、首都だというのに面積は小さいので、ほぼ同じコースを3週もするというので、じっくり見ることができて満足。明日も女子があるので、楽しみにしている。北欧って清潔感あって住み易そうだなぁと思う。すっかり思い入れの深い場所となってしまっている。

2005/08/10

egg chair

昨夜、ディスカバリーが帰還した。宇宙から地球を見たらいま此処で直面している様々なことはどんなふうに思えてくるのだろうと考える。もし、宇宙に行ける切符を手に入れたら、自分は行くだろうか。いや、それよりも、まだ世界を見ていないから、抱えている思いを地球上で深めていくほうが先なような気がする。
なんて、宇宙に行けるはずもないのに、可笑しいな。

今日ものんびりと過ごす。部屋の掃除やPCに何枚かのCDの曲をコピーしたりして。iPodには気に入った曲だけ詰め込みたいので、PCにも余計な曲は入れないようにしている。そんな作業をしていると、自分の好みの曲は比較的穏やかなものやコミカルなもの、それとピアノによるソロが多いことに気づく。

話は変わるが、先日市内にあるインテリアショップに立ち寄ったとき、エッグチェアを発見。都内のショップなどは「座るときはスタッフに声をかけてください」など椅子の上にプレートがあったりするから、諦めるのだけれど、このお店はフリーであった。早速座ってみる。やっぱりいい感じ。これは一生のうちに欲しいものに入る。この椅子に座って読書できたら最高だろうなぁ。エッグチェアは以前から有名であるが、調べてみると1958年にコペンハーゲンのSASロイヤルホテルのロビーに置かれるためにデザインされたものだそうだ。egg01

2005/08/08

vacation

明日からようやく夏休み。ここ数か月、我ながらよく働いたな、と思う。だから夏休みは自分へのご褒美として楽しむつもり。明日から数日間は、後半の休暇のための準備をしよう。

国会で郵政民営化法案が否決され、衆議院が解散することとなった。政治には疎いのでなにがどういいのか悪いのか分からないのだが、いま解散したら、郵政民営化以外の重要案件はどうなってしまうのだろう。首相、拉致問題なども、今回の解散劇くらい気合いを入れて本格的に取り組んでみてはどうだろうか。

2005/08/05

so hot

猛暑の一日。こんな日に限って東京へ出張となる。外を歩いていると気持ち悪くなってくるほど空気が熱い。大人になるにつれて夏が苦手になってくるなぁ。乗り換え駅の大宮のスターバックスで抹茶クリームフラペチーノを食べて(飲んで?)帰途につく。注文したのは2回目なのだが、夏はこれに限るとまで思えるほど美味しかった。

アップルのミュージックストアのpodcastで日本語のプログラムがたくさんダウンロードできることがわかり、早速試してみる。我がiPod miniも少しずつ充実してきた。

2005/08/04

eyes

お昼のときに目の話になった。私はとても視力がいいのだが、視力の弱い人にとって、もし願い事がひとつ叶うならば、視力が良くなることをお願いするのだという。

話は少しズレるのだが、辻仁成の「幸福な結末」という、一度視力を失った主人公が、亡くなった女性から角膜を譲り受けて視力を取り戻すというストーリーがある。そして、元の持ち主の女性がかつて愛していた男性の残像が、主人公に見えるという不思議な現象が起こるのだ。
そんなこと現実にあり得るのだろうか、と疑問を持ちつつ、でも人とは愛する対象を見つめる動物なのだから、そんなことがあったらいいのに。あるはずだ、などと考えてしまう。

2005/08/03

non title

急遽、ブログを開くこととなる。
こういうことって勢いも必要なので、思い切って。設定はいたって簡単であった。

それでは、今後は下記のページで。
http://megumi1966.cocolog-nifty.com/

不本意

いきなりホームページを編集するサクサク作成君のサービスが停止となるメールが届き、なぜか焦ってブログを開設することにした。今までのスタイルが気に入っていたのだけれど。不本意だなぁ。でも、きっとこちらのほうが便利にできているのだろう。

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