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2005/08/17

メールより

日記を読んでくださった知人より届いたメールを紹介します。

公開にあたり、ご本人の了解を得られています。

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ところで、いつもになく珍しくメールで少し堅いことを書かせてください。
プログのテーマについて、いくつか思ったことを。

(1)ドイツと日本の戦後処理の仕方について
確かにドイツは戦後謝罪をキチンとして、戦争をした相手国とも友好関係を構築してきました。ただ、ドイツの戦後処理の仕方には、すべてをナチスの異常性のせいにして、当時ドイツを支配していたナチスのしたことについて、戦後のドイツ人が謝罪をしている面があります。そこには、戦争と戦後の連続性がなくて、自分たちの仲間でないもの、ナチスという異常集団が行った悪行として性格づけられていると思います。そんな異常な集団の台頭を許してしまったことについての謝罪があるだけで、実はそこにふつうのドイツ人もみんな参加していた、それに熱狂していたという現在のドイツ人とナチス期のドイツ人が連続していないという感じを受けてしまいます。それに対して、日本の場合には、戦前、戦中、戦後が連続していて、戦争を担った者も自分たちと同じ日本人であり、その人たちが国のために死んでいったのに、自分たちの同胞であるその人たちを悪く言ってごめんなさいと謝ることはできないという感覚が特に保守系の政治家の中にあるような感じがします。私自身は、ドイツの戦後処理の仕方はうまいとは思いますが、どちらが正しいかというとどちらも正しい途はいえないように思います。

(2)日本は被害国か加害国かということについて
確かに、日本がどちらか難しい面もあります。そもそも、戦争突入すらも、先進国に外交的に追い込まれたのであるという考え方もあるぐらいですから。ただ、沖縄戦、原爆を考えるというまでもなく一般市民は被害者です。ただ、私は、被害を国として考えるのでなく、市民として考えたいと思っています。そして、市民が誰の被害者であるかと考えたときに違う形が見えてくると思います。このような考え方を持つのは、父が沖縄の与那国島出身で、自分が広島育ちであるというアイデンティティのせいかもしれませんが。そして、その面から考えたときに、この戦争での日本国民に対する主な加害者は日本政府であったと思います。たとえば、沖縄では、ひめゆり部隊の例でも明らかなように、老人、子供や女性まで戦争にまきこむ戦いまでしてしまう、戦況が明らかに不利になっていても情報を公開せず、また降伏も考えないような当時の日本は、やはり、国民を国の所有物であると考えて、それを犠牲にしても平然としているような国家体制であったと思います。小泉さんが、知覧の特攻隊の記念館で特攻隊員の手紙等を読んで感激して、それがもとで終戦の日に靖国神社に参って、戦没者に感謝の念を捧げたいという希望をもったようですが、私は特攻隊員に国のために死んでくれたという感謝の念をもつのではなく、物のように粗末に扱ったという懺悔の気持ちを政治家として持つべきだと思います。軍人が戦争に参加する場合には、すくなくとも倒されるか倒すかで生死が50%です。戦争それ自体許されませんが、かりに戦略を考える場合に、必ず死ぬという戦略は間違っていますし、それは軍人である自国民を人として扱っているとは思えません。そんな日本が続いていないか、なってはいないかを国民が監視しなければならないと思っています。

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