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2005/12/31

New Year Eve に

めずらしく紅白でいろんな歌を聴いた。

一番響いてきたのは、ドリカムの ”君を呼ぶ声 力にしてくよ~” というところかな。

あと15分で2006年。

2005/12/30

Paris 番外編

辻仁成の著書「いつか一緒にパリに行こう」のなかに「ビズの肌触り」という章がある。フランス人の習慣 bisous(ビズ)について触れた内容で、ビズというのは、お互いの頬と頬をくっつけて行う挨拶で親しい間柄で交わされることなどと説明されている。握手より身近でキスより軽いものなのだとか。

そして、私は、この夏の旅行中、とても自然なビズを見かけた。セーヌを運行するバトービュスで、夕刻のセーヌを周回していたときに。
バトービュスには、運転手と、乗客の乗り降りの際にチケットを確認したり、岸にロープを掛けたりする助手のような役割の人が乗船している。その助手はほかに、船が通りかかる名所についてマイクで案内したりする役目もある。確かフランス語と英語と・・・スペイン語だったかな?私が乗船したときは、20歳前後の清楚な美しい女性だった。そして日が沈みかけるころ、ある停留所で別の助手が乗り込み(引継ぎのためであろう)、そのあとしばらく助手2人体制で船は私たちを乗せて夕闇の川を進んだ。乗り込んで来たのは、やはり20歳すぎくらいの学生風の男性。2人のユニフォームの上着はおそろいで、セーラー服のようなデザイン。女の子のほうは紺のパンツ、男の子のほうは紺のショートパンツ。そして2人ともデッキシューズを履いていたと思う。船が一旦動き出し、名所の説明が終わると、しばらく彼らは何もすることがなく、2人は川面を渡ってくる風にあたりながら、楽しそうにおしゃべりしていた。
いまでも、彼らについて、こうして記憶が鮮明なのは、女の子のほうがある停留所で仕事を終え降りるときに、さりげなく2人が交わしたビズのせいだと思う。その行為はとても自然だった。それは私が見たパリのいろんな光景のなかで、一番パリらしい光景だったと思う。

■辻仁成は本書でこのように書いている。

人生は実は触れ合い合戦なのだ。

心と心。体と体。心と体。

どういうタイミングで相手の心に触れるか、が最も大事なこと。

そのタイミングを人は探して生きているのに違いないし、そのタイミングが全く摑めなくなる時、人は別れを経験する。

eiffel2 バトービュスから見たエッフェル塔

パリっ子のビズの光景と重なって思い出される1枚

Paris 5

シテ島から右岸に渡るとルネサンス様式のパリ市庁舎がある。city_hall_de_paris
ちょうど通りかかったとき、夕方で、庁舎全体がラベンダー色に美しく染まっていて、しばし見とれてしまう。

パリ3大美術館のひとつ、国立近代美術館は建物の外観がポップなポンピドゥー文化センターの5階と6階にある。pompidou2 ニューヨークでいうとMoMAのような存在。思い出せるだけあげると、ピカソ、ジャコメッティ、マティス、ウォホル、ジャスパー・ジョーンズ、ジャクソン・ポロック、モンドリアンなど錚錚たるアーティストの作品がそこここにあり、それは満足のいく時間を過ごせた。私としては、偶然、メープルソープの写真を発見したのが特に感激であった。その写真は彼の作品のなかでは非常にエロティックな作品。でも、不思議と芸術的なのである。だからこそ、この由緒ある美術館の所蔵品になっているのだと改めて思った。

ポンピドゥー文化センターの広場では、なにやら親子を対象にしたイベント中で、芸人らしき人が皆を笑わせていた。pompidou3
とってもいい光景だったので、思わず上から撮影した

pompidou 右のほうで棒のようなものをかかえている白い服の人が芸人

view_from_pompidou 国立近代美術館から見えるモンマルトルの丘

view_from_pompidou2 同じくエッフェル塔

パリの街並みはとても統一感がある。こうやって上から見るとそれがよくわかる。

2005/12/29

Paris 4

サン・ジェルマン・デ・プレは文化の香りのする地区である。
メトロの駅を出ると、もうそこはサン・ジェルマン・デ・プレ教会で、しばらく外観を眺めてから、中に入ってみる。

st_germain_des_pres サン・ジェルマン・デ・プレ教会

青空には飛行機雲。パリの晴れた空を見上げると多くの飛行機雲が目に入る。

奥のほうからは賛美歌が聞こえてきて、その歌声のほうに近寄ってみた。
祭壇右奥の一角に7、8人のグループが輪になって、一人ずつ聖書の一節を読みつつ、賛美歌を歌うという行為を、誰の合図もなく行っていた。それは、まるで何百年も昔からそのような行為を受け継いできているかのようだ。
一旅行者には立ち入ることのできない、とても厳かな空間。教会を訪れるとき、私はいつもそのような感覚になる。
ステンドグラスとか聖母マリア像とか、そういったものを見るだけでは、教会を知ることはできない。パリでは4つの教会に入ったが、隅のほうでじっと内部の様子を見ていて、美しいな、と必ず思う光景があった。それは、その教会に通う地元のひとたちが教会に入ってまず行うこと。入り口を入ってすぐの場所にある清めのための器の水に手を浸けて、その後に十字をきる行為だ。それをごく自然に行う姿を美しいと感じるのである。生活のなかに教会が融けこんでいる。その部分は、旅行者との間に明らかな一線を画している。

一人の男性が教会に入り、十字をきったあと入り口脇にある小さな祭壇で、しばらく祈りを捧げていた。その人はとても痩せていて、僧侶のような格好だった。そして、祈りを終えると、先に書いた讃美歌のグループに加わったのだった。光景自体が美しく、それを言葉にすることは難しい。

教会を出て、すぐ近くのドラクロワ記念館に行ったあと、雑貨屋でハート型の石鹸を購入した。それはシリア製だったのだが、質感も香りもよくて。st_germain_des_pres3

ドラクロワ記念館前の広場

お昼に入ったレストランでデザートに出たクレーム・ブリュレは、この旅行で味わったものの中で最高だったと思う。(フランスは食文化を味わうべき国だと思うが、今回の旅行で食べたものって、今振り返ると、とても質素であった。パンを買ってかじりながら歩いたり、フードコートの軽食で済ませていた。)ここで食べたクレーム・ブリュレは、日本のケーキ屋で売っているもののような濃厚さはなく、すごくあっさりしている。
赤ワインも1杯飲んで、気分よくレストランを後にした。(1杯が限度。顔はかなり赤かったと思う)

その後向かったのは、サン・ジェルマン・デ・プレから1キロもないくらいのところにある中世美術館musse_national_du_moyen_age ここにある「貴婦人と一角獣」のタピスリー6枚シリーズは美術館のメイン展示品であるだけに素晴らしい。この6枚のためだけの特別展示室は、薄暗いライティング。私は中央にある椅子にかけてたっぷり1時間はそこにいたように思う。室内に用意されていた解説書を読みながら、1枚1枚を丁寧に見た。そして、ニューヨークのクロイスターズの一角獣のタピスリーをその場で思い出していた。

clu_5_96FE15426 これはその6枚のうちの1枚(中世美術館のHPより)

すべて織物だなんて。

中世美術館 www.musee-moyenage.fr

つづく 次回は最終回。

2005/12/28

Paris 3

宿泊したホテルはパリ19区、中心地からはだいぶ外れにあり、基本的にはメトロで移動していたのだが、明日はどこに行こうかと、夜、ガイドブックを見ていたら、ホテルから比較的近い場所に、サンマルタン運河を下る遊覧船の発着場があることを知り、観光地でない庶民的な街並を見ながら移動できるのではないかと思い、翌日、朝9:45発の時間に合わせて向かった。その日はシテ島にあるコンシェルジュリー(マリー・アントワネットが処刑される前の最後の日々を送った場所で有名)や、ノートルダム大聖堂に行く予定で、ちょうど遊覧船の終着点はバスティーユ広場で、そこは比較的シテ島に近いこともあり、我ながら名案だと思ったわけである。ホテル最寄駅CRIMEE(クリメ)から一駅のRIQUET(リケ)で下車して、地図を見ならが運河の方向へ歩いた。観光客らしき人はいなくて、少し不安になるが、とにかく路地を早足で進み、運河に出た。パリの夏はカラッと湿度が低くて、歩いていてもあまり汗ばむことはない。この日は晴天だったので、水辺に着いたときは、気分は最高であった。運河にかかる橋を渡ろうとしたら、やはり旅人らしい人が運河の写真を撮っていた。軽く挨拶をしたら、返ってきた。canal_louroq2 橋からは遊覧船の乗り場が見えたので、すぐに向かった。切符を買おうと小屋に入ると、店番の女性がいて、残念だがシーズンオフとなり、朝は出てないと言われる。かなりショックだった。午後には出るというのだが、そのためにここで時間を潰せるほど滞在期間は長くなく、やむなく断念。そのあとは、またメトロでシテ島方面に向かった。でも、2時間半もかけて運河を下るなんて、なんと魅力的なことだろう。canal_louroq3運河は水門があったりして、水位を調整して遊覧船を通過させるのだろう。

canal_st_martin
サンマルタン運河は、帰国前にまた行ってみたくなり、帰る日にまた足を運ぶことになる。canal_st_martin6

2005/12/25

さいはての二人

鷺沢萠 著  角川文庫

今週、上野駅の構内にある書店で購入した文庫本。

すごく危なっかしいけれど、これ以上密着した関係ってあるだろうか。分かり合うということは相手の全てを知ることではないということを気づかせてくれる。この世界には、きっとお互いを必要としている人はいて、めぐり合えたらそれは素敵なことだ。最後はとても切なかったけれど、奇跡を携えて終えているところが、鷺沢という人の強さだと思った。

Paris 2

オルセー美術館

各写真をクリックすると大きくなります

1900年に鉄道の終着駅として建てられたが、わずか39年でその役目を終え、1986年に美術館に生まれ変わった。駅舎としての建造物がどのように改装されたのか、ということもこの美術館に対する関心事であり、それは同美術館で買い求めた本にある当時の写真と比較することで楽しめる。写真では、まさに、建物の真ん中に線路が引き込まれているのだ。

orsaybefore2 美術館の公式サイトに、当時の写真を見つけた

orsaybefore 駅建設工事の様子

inside_orsay5 これは自分で撮った館内

美術館誕生の経緯から、そのたたずまいのユニークさが浮かび上がる。
天井は自然光が取り込めるようになっていて、開放的な空間なので、とても落ち着いている。写真を見るとわかると思うが、広さを目いっぱい残して、左右に小さな空間を作ってある。その小さな地上階の空間と、中階、上階の仕切られた空間に、貴重な作品(主に1848~1914までの作品)が展示されている。

この写真の大時計inside_orsay2 駅舎時代の写真に同じものを確認することができる。掛けられている場所もまったく同じ。こういうところが心憎い。ついでに、一緒に写っているシロクマは、フランスの彫刻家ポンポンの作品で、館林美術館にも小さめの同じシロクマが常設展示してあるので、とても親しみを感じてしまった。このどっしり感とやさしいフォルムと、それに白という色がいいなぁ。

inside_orsay

inside_orsay4 やはり駅舎時代をそのままに生かした内壁も、フランスらしさが出ていて、その模様をカメラにおさめておく。

view_from_orsay 美術館の窓からモンマルトルの丘が見えた。オルセーにいた時間は、確か夜の7時から8時半くらいだったと思うが、この明るさ。ヨーロッパの夏は日が長い。丘の上に立つのは、サクレ・クール聖堂

館内を歩いていると、画集やテレビでよく目にするそれは有名な絵画(特に印象派の作品)が次から次へと現れる。ルーブルと違って作品を眺める空間がそこにはあり、訪れる人々も鑑賞に来ている。これら有名な絵画を写真に撮る意味などないことをみんな知っているかのようだった。その絵を直に見ること、その絵を、彫刻をオルセーで見たということ、それでいいのだ。

たまたま、夜間開館の日に行ったのがよかっただけかもしれないけれど、オルセー美術館は想像していたとおりの素敵なところだった。

オルセーを出ると、ようやく日は完全に沈んで、あたりは暗かったけれど、またセーヌ川を渡りたくなって、歩き疲れた足をひきずって、今度はオルセー前にある比較的新しい歩行者専用の橋を渡って右岸に戻った。その橋の名前はソルフェリーノ。歩道面は木でできていて、ジョギングしている人やベンチに座って川を眺めている人、パフォーマンスしている人などを見かけた。右岸に渡って、そこからどうやってホテルに戻ったのか、どうしても思い出せない。たぶんだが、遅い時間だったのでオペラ座あたりからタクシーで帰ったのではないかと推測される。

オルセー美術館公式サイト http://www.musee-orsay.fr

つづく。

2005/12/24

Paris 1

初日に日本人だけを対象にした半日市内観光を入れてしまったせいか、初めてのパリがなんとなくしらけて見えてしまう。私にはこのスタイルは合わないように感じる。初めて行く場所なのに、ガイドさんが、余計なアドバイスをするものだから、特別な感動もないままにその半日が過ぎた。

metro ←click

メトロ(丸みがかった天井が好き)

午後1時すぎに開放されて、さて次はどこに行ってみようかと考え、やはりルーブル美術館には行くべきだと判断してメトロで向かう。ルーブルはもともと宮殿だったが、フランス革命後1793年に美術館としてオープンしたとのことだ。建物はコの字になっていて、中央の広場にはあの有名なガラスのピラミッドがある。そこが一般の入場口となっている。このときは並ばずに入れたが、2回目のときはものすごい長蛇の列でとても待てない私は、3日間有効のパスを持っていたこともあり、ガイドブックの隅っこに書いてあったポルト・デ・リオンというすごく端にあるちょっとした秘密の(?)入り口から難なく入場した。なんと、ここでは入場券をチェックすることさえなかった。(たまたまだったのかな?)

louvre2 ←click

ルーブル美術館のピラミッド

louvre5 ←click

夜のルーブル

初めてのルーブルの感想。
あまりにも作品が多すぎて、そして広くて、目が回りそうになり・・・
まずは、恐らく、初めての人は誰でもそうするであろう行動、つまり有名な作品を探すことにする。最初に向かったのは、ご多分にもれず「モナ・リザ」である。モナ・リザの部屋は、多くの人がそこに向かっていくせいか、案外すぐに見つかった。そしてそこは想像以上に人で溢れて鑑賞どころではない。カメラのフラッシュが絶えず、正面から見ることは最初から諦めて、前のほうの少し右よりから見た。確かにそれはあの有名な絵で、想像以上に小さかった。けれど、やはり惹きつけられる何かを感じたことは確かである。

ニューヨークの美術館では、絵画の前で記念撮影、という光景はあまり見かけないのだが、ここルーブルでは、鑑賞するというより、作品の前で記念撮影することが、観光客には最も優先されることのようで、これも興ざめであった。作品をゆっくり眺める雰囲気ではなかった。

ルーブルの中で一番印象に残っているのは、ドラクロワの作品である。すごく大きいものだから、驚きも大きかった。そんなわけで、後日、サンジェルマン・デ・プレにあるドラクロワ記念館にも足を伸ばすことになる。

musee_delacroix3 ←click

後日訪れたドラクロワ記念館(左の建物はアトリエ)

閉館近くまでルーブル館内で過ごし、ガラスのピラミッド下にあるカフェで友人に絵葉書を書きながら休んだあと、その足で、その日は夜10時近くまで開館していたオルセー美術館に向かうことにする。今回の旅行の一番の目的はオルセーであった。

ルーブルの広場で、50代くらいのフランス人に声をかけられたことを思い出した。英語で。日本人ですか?というので、そうだというと、その人は日本に切手の商売で行ったことがあると言っていた。だからか、日本人を親しく思うのだろうが、ここで騙されるようなことがあると大変だと思い(周りにはたくさん人がいたから安心していたけど)、立ち去ろうとすると、これからどこに行くのか?と言うので、オルセー美術館だと言うと、もうそこにすぐ見えているけど、道順を教えてくれた。

それから、ロワイヤル橋を徒歩で渡り、左岸にあるオルセーに向かった。
ちょうど日が沈む時間で、橋を渡りながらゆっくりとセーヌ川を眺めた。パリで何が一番好き?と聞かれたら、私は迷わず「セーヌ川」と答えるだろう。それほど魅了された。夏の夕刻の涼しい風が、一日歩きまわった旅行者に優しかったからだろうか。でも、そのあと何度か渡ったセーヌの流れは、どの時間帯も美しかったと思う。橋の上から、右岸、左岸の川岸を歩きながら、それにノートルダム寺院のあるシテ島から、そしてセーヌ川を運行するバトービュスから・・・あらゆる角度からセーヌを眺めた。

seine__orsay3 ←click

ロワイヤル橋から見たセーヌとオルセー

orsay__eiffel2 ←click

セーヌ・オルセー・エッフェル搭

seine ←click

夕暮れのセーヌ

batobus ←click

セーヌを走るバトービュス

オルセーについては、つづく。

2005/12/22

Mercian

仕事で東京の専門学校を訪問したあと、夕刻(18時すぎ)から、中央大学大学院の講座に出席した。灰色の脳細胞を持つムッシュNの特別な取り計らいにより。講師はメルシャン㈱の代表取締役会長CEO、鈴木忠雄氏。出席者は、企業の経営者や管理職らしき人や、若い女性も若干、それに院生。

メルシャンの前身である山楽が、当時の英国首相サッチャーの「日本社会の結果の平等」批判に端を発した規制改革(?)により、主力商品であるオーシャンウィスキーの価格設定を2倍にしなければならず、そのため経営改革を余儀なくされた経緯、そしてそれをどう乗り越えたかの話は貴重である。鈴木氏いわく「新しい条件に自分から耐えられるようにするしかない」は、これからの社会にいろんな場面で必要とされる考え方であると感じた。

コーポレート・ガヴァナンスという言葉はよく耳にしていたが、今日の講座ではさらに、CSRが出てきた。N氏は、大学で考える場合はUSRで、と教えてくれた。

ワインを買うときは外国の安くて美味しいものを買い求めてきた傾向のある私であり、メルシャンのワインは、積極的には買ったりすることはなかったのだが、原料となるぶどうの日本での価格の高さなどの事情により、外国のワインのような安価には設定できないなどの話や、企業の姿勢についてなどの話を聞くうちに、メルシャンのワインも飲んでみようと思ったりしたのであった。消費者の心理というのは、こんなものである。だから、鈴木氏の言うように、「企業がどんなことをしているか」「社会に対してどんな取り組みをしているか」などを広告することも必要だ、ということがよく理解できる。成熟された社会では、消費者にとって、商品を選ぶ場面で、価格と並んで企業のまさにCSRが大きな要素となるのだと改めて認識した。大学も然り、である。

毎年NYで開かれる世界的に有名なワインのテイスティングイベントにも、日本からは一社、メルシャンだけが招待されるのだという。

メルシャンホームページ http://www.mercian.co.jp/index.html

2005/12/19

It's fruitcake weather!

12月に入ってから首を長くして待っていたフルーツケーキが届いた。今年はユニークな絵本とともに。ちょうど先週、高崎の友人とメールで、そろそろ届くころだよね、って話してたところ。日々のめまぐるしい変化のなかで、毎年変わらないあたたかい気持ち。彼女は今年、パリとイスタンブールに行ったとカードに書いてあった。私の今年について、これからメールで報告しなければ。いつもありがとう。

200512192019000 ←click

きれいにラッピングされたフルーツケーキと絵本とカード

ここで、この心温まる贈り物のきっかけとなったカポーティーの"A Christmas Memory"で、気に入っている一節を記念に記しておきたい。この箇所を読むとき、私はなぜか、いつもジーンとしてしまう。

But she says her favorite gift is the kite I built her. And it is very beautiful, though not as beautiful as the one she made me, which is blue and scattered with gold and green Good Conduct stars; moreover, my name is painted on it, "Buddy." "Buddy, the wind is blowing."

村上春樹の訳ではこうなっている

でも彼女は言う、自分が貰った中でいちばん気に入ったのは僕が作った凧だと。なにしろすごく綺麗なのだもの。でも彼女が僕のために作ってくれた凧はそれよりももっと綺麗である。その凧はブルーで、ところどころに金と緑の善行章の星が散らしてある。それだけではない。そこには僕の名前がちゃんと描きこんであるのだ、「BUDDY」と。「ねえバディー、風が吹いているよ」

このあと、二人(少年と老婆)は、草の上に大の字に寝転がって、それぞれが贈りあった凧が空をはねまわっているのを幸せな気持ちで眺めるのだ。胸がいっぱいになる。私の大好きなくだり。

2005/12/17

クライマーズハイ後編

佐藤浩市が石原さとみに告げた言葉がいつまでも残る。

「ことばはそこに居続ける」

そのときに感じたこと、そのときの、その状況におかれた自分自身が感じたこと、それをことばにしてみることの意味。たとえ翌日、何かがまた自分を突き動かして、昨日のことばを後悔するようなことになっても、「また書けばいい」。そのとき、その瞬間に感じたこと、それは永遠にそこに在り続け、誰にも消すことはできないのだ。

2005/12/16

忘年会in新宿

ハードな出張のあと、突然お誘いを受けた忘年会に飛び入り参加させていただき、楽しいしめくくりの一日となった。全国規模で集まるというメンバーとのことで、きっとそれだけ気の合う仲間なんだろうな。そんな輪に入れてもらえて、幸せものである。皆さん大人で、それでいてとても愉快で。会場は新宿にある若乃花のちゃんこ鍋のお店。料理は申し分なく、鍋はすべてテーブル脇で店の人が作って取り分けまでしてくれて、このスタイルはラクでいいな。

クリスマスプレゼントに本をいただく。「ちいさなちいさな時間の旅」

2005/12/15

Friends

今夜、テレビのチャンネルを飛ばしいてたら、偶然にも群馬テレビが映り、ドラマ「フレンズ」が始まるところだった。毎週木曜、夜10時。嬉しいな。しかも、ちょうどレンタルのDVDで見たところの続きっぽい内容である。いつからやっていたのだろう。

ロス フィービー レイチェル ジョーイ モニカ チャンドラー

愛すべきキャラクターたち

http://www.friendsontv.co.uk/

2005/12/10

クライマーズ・ハイ

ドラマ「クライマーズ・ハイ」前編を見た。
日航ジャンボ機墜落の大事故を柱に、地方の新聞社の人間模様、主人公のぎくしゃくした家族模様を際立たせている。見応えある内容で、佐藤浩市が熱演している。
特に残った場面は、御巣鷹山の事故現場から帰ってきた記者が、佐藤浩市に促され、机に向かい記事を書くところ。惨状を、見たままに、見えたままに。翌日の朝刊に掲載するためには、時間との勝負であり、その部分が新聞記者とはすごいと思う。結局、その文章は一面にならないようだったが、佐藤浩一が、部下の魂からの記事を一面にしてほしいと社長室に乗り込む場面も、読みもせずに決めてしまうトップに「読んでみてください(読めばわかるさ)」と訴える人間性に惹かれる。
それから、岸部一徳が、スクープのような大きな記事も、小さな取材で得た小さな記事も、同じなんだよ、と佐藤浩市に言う場面も印象深い。
横山秀夫の原作が読みたくなった。

Cape Cod

アメリカ東海岸のコッド岬を愛したエドワード・ホッパーの1枚。

light_house_hill

←click (Lighthouse Hill)

2005/12/05

BON JOVI

ボンジョヴィの HAVE A NICE DAY を購入。

かなりお気に入り。かっこよすぎる。

2005/12/03

無題

新宿までパジェロで迎えに来てもらって、半島を目指した。三浦半島。

■観音埼灯台
生まれて初めて灯台に登った。
シンプルなものを好む私にはとって、灯台の構造と光を放つきれいなレンズが印象に残る。それから、灯台にたどりつくまでに地層も楽しめる。木の根っこがむき出しになっていたりして見ごたえあり。

■城ヶ島の馬の背

この背の部分がいつか崩れる日がくるときは、自分が生きているうちか、その後か。いろんな物事を見とどけたいと考える私は、自分が生きているうちに崩れてしまえばいいのに、などど思ってしまう。ばかだな。

■最後に立ち寄った場所で思ったこと
人の習性っておもしろい。先へ先へ進めるところまで、上へ上へ登れるところまで、下へ下へ降りられるところまで行こうとするところ。
この島国のとある半島のとある端っこで起こった出来事はspecialだな、と感じる。
この地名を忘れました。至急、教えてください。>to パジェロ

■自分のことを人に話すことについて
大切なことも口にすることで陳腐化してしまいそうで、語ることは避けていたけれど、優しい時間のなかでなら、それらのことがそれらのままで伝えられることを知る。

富士山も江ノ島も見えた!日ごろの行いはあまりよくないのに。

miurahantou_011a

観音埼灯台

miurahantou_009a

観音埼灯台の頂上から

miurahantou_007a 灯台のレンズ

miurahantou_002a 地層も楽しめる

200512031309000

馬の背

2005/12/01

Rockefeller Center Xmas tree

日本時間の今朝、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーが点灯された。

そしてその模様を伝えるサイトを見つけた。

http://www.wnbc.com/christmastree/index.html

このサイトの感激してしまうところは、ツリー付近のライブ映像が見られるところである。ずーっとながめていても、ぜーんぜん飽きない。

12/2

日本時間の夕方、一息入れた時間にしばし、このライブカメラの映像を見ていた。なんとも言えない気持ちになる。夜中の4時ごろ、ツリーの明かりは消えていて、スケートリンクではもちろん誰も滑ってない。ビルの間に見える5番街はイエローキャブやトラックがたまに通過している。時折、人がツリーの前を通りかかる。一様に初々しいツリーを見上げていく。

いま見えているその場所が、いまこの時間のNYだということを受け入れるのに、私は少し時間がかかってしまう。なぜって、そこは憧れの地だもの。

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