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2006/03/23

short story (1)

 タクシーは、荒んだ景色にしか映らない地区を走りぬけ、次第にマンハッタンに近づいていく。マンハッタン島はそこだけが華やかで、クイーンズやブロンクス、スタテン島、ブルックリン地区は“ニューヨーク市”であって“ニューヨーク”ではない。空港から伸びるハイウエイ沿いの家々は、色とりどりのマッチ箱のようで、マンハッタンの古くても趣のあるアパートメントに比べると、安っぽくて無機質で悲しく映る。

 僕はその年のクリスマス、ようやくまとまった休暇を取ることができ、念のため、しかし休暇が取れますようにと祈るような思いで予約しておいた航空券をにぎりしめニューヨークへと向かった。5年ぶりに。そう、5年前の暮れ、僕はニューヨークで律子に別れを告げ帰国したのだった。その頃はお互いに日系企業の支社で働いていたから、それなりの収入もステイタスもあった。「美術館に出かけるから、その間に出ていって。」それが僕が聞いた律子の最後のことば。それ以来、お互い一切の連絡を絶っている。

 僕を乗せたタクシーは今にも凍りそうなイーストリバーを渡り、夕刻のミッドタウンへとすべり込む。何のあてもなくやってきた旅行者にとっては、クリスマスのイルミネーションが、少しだけ、少しだけであるが優しい。ニューヨークは初めてか?とお決まりの質問をする運転手に、「ええ、そうです。」とだけ答えておいて、ぼんやりと窓の外に目をやっていた。タクシーの運転手を相手に、かつてこの街で過ごしたときに抱いた思いの一端でさえ語る気にはなれなかった。彼女はまだこの街にいるのだろうか。いつか彼女と何気なく交わした会話のなかのある約束を僕は今でも忘れることができないでいる。

つづく。

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