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2006/04/02

short story (2)

つづき

 12月22日。お昼近くに目覚めてホテル近くのカフェへ行った。6番街に面した窓際の席に座り、数日間の行動予定を考える。ここヴィレッジは、高層ビル群によって空が狭いミッドタウンに比べると、建物の高さが規制されているので、冬の澄んだ青空が広く見えている。熱いスープを胃に流し込み、まず僕が向かった先はあの日まで律子と過ごしたアパートである。前日、ホテルにチェックインしてからすぐに向かうこともできたけれど、なぜかできなかった。怖かったのだと思う。ただ、彼女がまだそこに住んでいるのかいないのか、それを確かめたかった。もしも窓際に彼女の姿を見ることができたなら、もう一度やり直したい、その言葉を伝えてみようか、などとも考えていた。しかし、実際にはどんな行動を自分がとるのか、僕にはぼんやり分かっていたような気がする。
 律子とはメトロポリタン美術館のルーフガーデンで知り合った。僕はニューヨークに転勤になったとき、しばらくの間、週末になるとルーフガーデンから見える景色を楽しみにこの美術館へ足を運んでいた。そこは世界でも有数の美術館のうちのひとつにありながら、あまり知られていない場所で、館内がいくら混雑していてもルーフガーデンに登ってくる観光客は少なく、セントラルパークが見渡せる僕のお気に入りのスポットとなった。そして、ルーフガーデンにやって来ていた律子を3週続けて見かけたのは、公園が紅葉で黄色と赤に染まった10月末だったと思う。毎回彼女もひとりで来ていたから、声をかけてみようと思った。肩ほどまでに伸びた黒髪を無造作に一本に結わえて、チノパンに黒のセーター姿で本を読んでいた。それが日本語の本のようだったので彼女が日本人だと確信し、思い切って話しかけることにしたのだ。すると、意外にも律子は僕が勤務しているオフィスが入ったビルの1ブロック先にあるビルで働いていることを知り、以来ランチの時間帯が合うときは、近くのデリで待ち合わせして一緒に昼の休み時間を過ごしたりした。週末にはすでにニューヨークに住み始めて2年経つ律子にいろんなところを案内してもらった。中でも忘れられない場所は、マンハッタンの北部にあるクロイスターズというメトロポリタン美術館の分館である。中世の修道院を思わせる佇まいは、それこそここがマンハッタンであることを忘れさせる力を放っていた。コレクションのなかで僕たちが心を奪われたのは、高さ60センチほどの十字架だった。“世に比類なき”とうたわれるベリ・セント・エドマンズ十字架で、旧約聖書、新約聖書のいくつかの光景がそのありとあらゆる面に細密にに掘り込まれている。
 そんな楽しい週末の過ごし方を、僕はかつて二人で暮らしたアパートに向かいながら懐かしく思い出していた。

つづく

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