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2006/06/28

on my birthday

40歳になった。

人は歳をとるのだと、改めて気づき、いつか「こうありたい」と思っていた自分になれているかと考えてみる。なれているような気もするし、まだまだのような気もする。確固たる信念のようなものはない私だが、誰かのために何かをすること、そのことに関しては労力を惜しまない人間である。このスタンスは変えずに進もう。誕生日に少しだけ自分を褒めて。

2006/06/22

time

「私のマトカ」も「かもめ食堂」も読み終え、ちょっと淋しい。ここ1週間ほど、その世界にどっぷりと浸かっていたせいかな。「私のマトカ」で片桐はいりが、時間のことに触れていた。彼女は外国に行くと、現地で安物の時計を買って、現地時間に合わせるのだそうだ。そして、帰国してからも時計を日本時間に合わせることなく、現地時間を刻む時計を眺めてしばし、その地に思いを馳せると。それって、わかる!と思った。私は帰りの機内で、「まもなく当機は成田空港に到着します。ただ今の時刻は・・・」というアナウンスを聞き、腕時計を日本の時間に合わせるとき、とても不思議な気分になり、それまでいた地の時間の中にまだ居たいと、往生際が悪くなる。

ただ今のNYは深夜0時を回ったところ。

2006/06/17

father's day

半日勤務だったので、仕事帰りに日用品の買い物に行ったあと、読書のためにカフェに行く。気軽に行けるとなるとスタバしかなかった我が街に、タリーズも登場したので、両者をその日の気分によって使い分けている。さて、本日はタリーズに行ったところ・・・静かに本を読みたかったから、一人で読書に耽る人の隣の座り心地のよいソファを陣取って読書を始めた。ところが、隣の人はほどなく店を後にし、その後には私と同年代の女性二人が座ることとなってしまった。最初は気に留めず、群ようこの「かもめ食堂」をスルスルと楽しんでいたのだが、あまりに興奮して話をする隣の二人の会話に、いつの間にか耳を傾けていた。別に聞きたかったわけではないのだが、否が応でも聞こえてしまった。どうも、一人の女性(独身・両親と同居)のほうが、両親、特に父親とうまくいっていないようで、もう一方の女性に切々と父親の悪口を言っていた。会話の端々に聞くに堪えない言葉が飛び出していた。もう一方の聞き手の女性も、なだめることはせず、同調していた。ちょうど、そのとき「かもめ食堂」は、主人公のサチエが、諸準備を済ませ、フィンランドでレストランを開店させるべく発つという前夜に、そのことを初めて父親に話す、という場面であった。武道家の父親は、びっくりしたけれど、「むうう」と言って瞑想し、風呂に入って寝てしまう。翌朝、サチエが目を覚ますと、父は台所でおにぎりを作っていた。「持っていけ。人生すべて修行だ。」と自分に言い聞かせるように言っておにぎりの包みを両手でサチエに突き出した、というくだりを、私は隣の女性の父親への怒りの罵りを耳にしながら読んでいた。彼女の事情は私にはわからない。けれど、ちょっとその人のお父さんが可哀想に思えた。そして、どんな事情があるにせよ、親のことをあんなふうに語る彼女も、なんとなく哀れに思えてならなかった。

くしくも明日は父の日である。

2006/06/15

popeti

アニメとか人形劇とか、とんと興味のない私であるが、NHK教育の朝7:25~7:30のたった5分のこの番組を心から楽しんでいる。オランダ制作の小さなとぼけた人形をあやつる番組で、とても動きが繊細だ。とにかく、人の手(基本的には2人)で1つの人形を動かしていて、笑わせてくれる。今はこういったアナログのほうが、なぜか新鮮に思える。それともアナログ時代へのノスタルジアかな。そういえば、最近、友人と手紙のやり取りをしている。帰宅して玄関の下駄箱の上に手紙が届いていると、ときめくし、封を開けて何度も読み返したりもする。返事を書いて出すと、それは2日ほどかかるから、時間がゆったり流れる。きっと手紙は10年後、20年後にも読み返すだろう。メールだとそうもいかないような気がする。

ポペティについて http://www3.nhk.or.jp/anime/popeti/

平日朝、7:25になったら3チェンネルをつけてみよう!

2006/06/13

わたしのマトカ

片桐はいり 著

幻冬舎

今日から読み始めたので、まだ1/5ほどしか読みすすめていないのだが、書かずにはいられず。なぜかと言うと、私の分身のような人だと思ったからだ。著者が仕事で訪れたフィンランドでのことを中心にエッセイにしている。旅先で優先することとか、現地の人との触れ合いで感じることがとても似ている。それから、極端に計算が苦手というところも。著者いわく、チップを計算するくらいなら、タクシーを使わず、地下鉄とバスを乗り継ぐほうがどれだけラクか、と思うところ! 私との大きな違いは、帯にも「名エッセイ」と書かれているとおり、見事な文章力だということだ。うぅーんとうなってしまうほど、よく書けている。読み終えるのが惜しくなるような・・・ ところで、途中、ニューヨークの話が出てくる。地下鉄の駅名を見るだけで、その駅の地上がどんな景色かが分かるほど通なようだ。ローワーマンハッタンについて「そうだな~」と思わせる一文があった。それは、WTCがあったときは、“ローワーマンハッタンで道に迷ったときは、あの双子のビルを目印にして道を選んだものだ。”というくだり。確かにそうだったなぁ・・・と思う。

ところで、不意に思い出したのだが、学生のときに私は授業が終わるとよく映画を見に出かけていたのだが、何の映画だったか・・・確かメル・ギブソンの「燃えつきるまで」だったように思う・・・、そう渋谷の映画館で私の隣に片桐はいりが座ったのだ。お互いに一人だったと思う。映画が始まってから何気なく横を見たら、見覚えのある横顔が。すでに彼女はメジャーだったから、ピンときた。もちろん声などかけることはしなかったけれど。

まあ、そんなことはどうでもいいことだが。

この本、装丁もとても素敵。

2006/06/12

1月のニューヨーク

三井千絵 著

碧天舎

タイトルに惹かれて購入した。届いたその日と翌日で一気に読む。社会に出て10年を迎えた著者が1ヶ月のNY短期留学を果たし、その毎日を日記風に綴った内容で、読んでいるうちに一緒に1ヶ月間NYで過ごしているような気分になれた。留学先はコロンビア大学。数年前にこの大学を見学したことがあったので、校内の様子がなんとなく想像できた。寮でのインターネットの接続の様子とか、地下鉄やバスの様子など、詳細に記載されている。また、インターネットのことで接続会社に電話をかけるときの著者のドキドキ感などが、とってもよく理解できるような気がした。興味を持ったら、一人でもレクチャーに出かけていったりする著者の行動力には勇気づけられる。

2006/06/07

want to buy

いま欲しいものは、2つあって、CanonのEOSとVAIOのノートPC(TypeT)。ノートPCは持っているけれど、小型の手軽に持ち運べてノート感覚で使えるのも欲しい。デジカメは夜景や遠くのものまで綺麗に撮れるのがほしい。今持っているのは4年ほど前に買ったもので、やはりCanonで愛着を感じているが、性能が低いのがそろそろ気になりはじめている。ブランドはCanonが好きで、他者の製品など比べるもなく購入しそうだが、値の張るものについては慎重に比較したほうが良いのだろうか。こういうものは、少し時間をかけて買うほうが、本当に必要かどうか葛藤する時間ももてるし、購入したときの喜びが大きいような・・・

2006/06/04

What's eating Gilbert Grape

ラッセ・ハルストレム監督作品(1993)Pibf97019

たまたまテレビをつけたら放映していた。大好きな映画のひとつ。アイオワ州の小さな町で、一家を支える長男(ギルバート:ジョニィ・デップ)の心の揺れを見事に描いた秀作だ。アメリカというと、とかく華やかなイメージばかりが先行するが、そんな場所はあの広大な国においてはほんの一部で、哀愁漂う田舎町は数多く点在している。そんな場所を舞台に、知的障害の弟、夫の自殺後過食症になり巨体と化した母親、そして妹たちへの責任を一身に背負って日々坦々と生きるギルバートをジョニー・デップが好演している。町で笑いものになっている母親を心底思いやるところなど、よく演じている。また、知的障害者という難しい役どころを、これ以上になく天才的に演じているのが、レオナルド・ディカプリオだ。母親がアーニー(ディカプリオ)を“奇跡”というのだが、本当にそのように思える。また、風のように現れ、ギルバートの心をとらえるベッキー(ジュリエット・ルイス)も、野性味溢れていて素敵だ。

ギルバートとベッキーが、別れるシーンで、ギルバートが「何て言ったらいいのか・・・」と言うと、アーニーが “Say"Thank you."” と言うシーンなんか、最高である。アーニーが天使に思えてくる。時として重荷となっているアーニーに救われてしまうのである。人間って、それぞれ役目をもってこの世に生を受けるのではないか、と自然に思えてしまう。

エンディングもとてもいい。

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