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2006/12/24

Xmas crescent

Ny2006jan_0051 ニューヨーク市立図書館。午後8時。

クリスマスの夜の図書館はさすがに入館者も少ない。あと1時間で閉館となるまで僕は所定の位置に座っていつもどおり貸し出し業務に就かなければならないのだが、普段は調べ物をする人や地下の倉庫からの本を待つ人々で溢れかえっているリーディングルームも、今夜ばかりは閑散としている。体育館2面ほどもあろうかと思える巨大な空間。ふとその空間を見渡すと、女性が一人黙々と読書しているのが目に入る。週に必ず3回は見かける痩せていて、でも理知的な彼女。思えば僕はこの部屋を見回すとき、自然に彼女の姿を探していることにいま気づいた。30代前半だろうか。話をしたことはないが、貸し出し窓口で数回、本を手渡したことはあったと思う。

本を読む人の姿は美しいと思う。性別や年齢にかかわらず、みな美しいと思う。誰もが本の中の世界にどっぷりと入り込んで、そこに居るのにそこに居ない、その状態が特別な現象のように思えてならないのだ。

8時55分、ふと我に返ったその人は静かに本を閉じて黒のロングコートを羽織り席を離れる。

“Merry Christmas”

彼女がカウンターの前を通り過ぎるとき僕は自然にそう言っていた。

“Merry Christmas”

彼女も微笑みながら返してくれる。

僕にとっては、いつもと変わらないマンハッタンの夜。これからアパート向かいのレストランで熱いスープでも飲んでから早めに寝るとしよう。クリスマス・イルミネーションを楽しむ陽気な人々や観光客で溢れかえっている5番街を歩くのを避け、コートの襟を立てながら足早に図書館裏のブライアントパークを抜けるとき、ちょうどそこにポッカリ空いた四角い夜空に小さな三日月を見た。高層ビルが林立するミッドタウンで月を見るのは珍しいことだ。あの人もつい数分前にこの月に気づいたのではないだろうか。そんなことを考えながら僕は地下鉄の駅へと向かった。

2006/12/23

non title

クリスマスだからといって特別なことはしないのだけど、本棚から「クリスマスの思い出」を手にとってお気に入りの箇所を朗読してみる。毎年決まってのことだ。ただ、今回は読んでいて祖母のことを思い出してしまう。まだ亡くなってから1年も経っていないのに、5~6年が過ぎたようにも思えたり、まだ階下の部屋にいるように感じるときもある。20日は彼女の誕生日だった。仏壇にお線香をあげながら「誕生日おめでとう」と言ってみたりする。

この季節、わが家では、大根の煮物が食卓に出ることが多いのだが、大根には祖母との愉快な思い出がある。私がまだ小学生だったころ、祖母の家に泊まりに行ったときのこと。(その頃は祖母とは別居していた。)祖母の家の前の道を二人で渡ろうとしたとき、目の前を走って行ったバイクが見事な大根を一本落としていった。「あの~」と呼び止める間もなくバイクの人はどんどん遠くなり、仕方なく(というより幸運だと思っていた二人)頂戴することになる。言うまでもないが、その晩は、祖母が上手に作った大根の煮物がメインであった。以来、祖母と私はそのことをたまに思い出しては「あの時の大根、美味しかったよね」と語ることになる。何十回語ったか知れない。しかし、もう大根の話をすることはないんだなぁ、と思う。

「クリスマスの思い出」も、そんな類の話である。

不変だと思っていたことでも、ついにその終わりが来てしまう。そうすると、とても些細なことどもが、突然、輝きを帯びるのである。他の誰にも邪魔されないストーリィに姿を変えて「永遠」となる。

2006/12/17

ニューヨークでがんと生きる

千葉敦子 著

文春文庫

新聞記者を経て、フリーランスのジャーナリストとして活躍した筆者が、自らのがん闘病をレポートした内容。乳がんの再々発の不安を抱えながら、ニューヨークに移り住むことを選択し、そこでアメリカでの最先端のがん治療を受ける。日米の当時の(80年代)医療方針の違いを克明にレポートしている。現在は日本も、インフォームドコンセントが進んできているが、医療については、医師が絶対的であり患者は訳もわからず言いなりになっているようなところが散見されると私も感じる。著者ががん治療を受けた80年代はそれが顕著であった。その治療がどんな副作用をもたらすかなど、患者には充分な説明がなされていなかったという。アメリカではどんなことでもいいから医師や看護師に質問しなさい、とされていたという。それが患者の役割だと。また、その病気に対する情報量の面でも、日米では格段の差があったとも書かれている。80年代のアメリカではすでにオンラインや論文や書籍などあらゆる文献から、患者自身が治療についての情報を得ることができたそうだ。いまはきっと、その差は縮まっていると思う。もし、千葉さんがいまも生きていたら、インターネットを駆使して、便利な世の中になったと喜ぶに違いない。

千葉さんが亡くなる直前の87年2月に、千葉さんの居るニューヨークに私は確かにいた。あのニューヨークを彼女はこう記している。

「毎朝起きたときの“ウェルビーイング”(幸福感、満ち足りた気分)にわれながら驚く。ひどく気分の悪い朝でさえ“何か意外さが待ち受けている一日”への期待感に胸をふくらませて目を覚ます。これは間違いなくニューヨークのせいだ。」

もし自分が病気により死を意識せざるを得ない事態に陥ったとしたら、どんな行動をとることができるだろう、と深く考えさせられた。ただただ途方に暮れるようなことだけはしたくない。そのためには、強い精神力と豊かな知識も必要とされるだろう。苦しさと闘いながらも、何か意義のあることを残すことができるように。または、自分が幸福と感じられる場所に行く行動力を湧き立たせられるように。

アメリカの医療も、富裕層と貧困層とでは、受けられる医療内容に大きな差があり、社会問題にもなっているという。しかし、この千葉さんのレポートによって、自分でも病気についての勉強をし、疑問点は医師に確認するという前向きさの必要性、治療の辛さを忘れられるほど熱中できること(仕事だっていい)を持つことの重要性などを学んだ。

本書にヴィレッジにあるNY公立図書館の分館であるジェファーソンマーケット図書館のことが記載されていた。千葉さんお気に入りの場所として。私も訪れたことがあり、なんとなく親近感を覚える。

webで調べたら、ニューヨークタイムズ紙に千葉さんが87年7月に逝去した際の記事があった。がんと闘った日本のジャーナリストと。

ニューヨークには千葉敦子という人の生き様が息づいているのだ。

2006/12/03

The Devil Wears Prada

NYが舞台とあっては見ない理由はないと思って、でも、実はあまり期待していなかったのだが、見終わってみると、なかなか心に残る作品であった。NYの街角を堪能できただけでなく、主人公のアン・ハサウェイがチャーミングなのである。終始、釘付け状態。

ここはこうしたほうがいいのではないか、と思う場面もあったけれど、劇場を後にした私にはなんとなくパワーがみなぎっていた。

ところで、途中、パリからニューヨークに戻るシーンでは、空中から撮影した摩天楼が映し出された途端、懐かしさを覚え、あぁ、やっぱりニューヨークはいいなぁ、と思えた瞬間だった。

プラダを着た悪魔公式サイト http://movies.foxjapan.com/devilwearsprada/index.html

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