« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »

2007/02/27

Star Ferry

以前開いていたホームページに掲載していたエッセイでお気に入りのものを、若干修正してみました。

香港島と中国本土に続く九龍半島を結んでいるスターフェリー。航路はいくつかあるが、一番親しまれているのが尖沙咀と中環をわずか10分ほどで運行しているものだ。公式サイトによると1888年12月の地元紙にフェリーサービスの記事が見られるということである。
香港のなかで何が一番?と聞かれたら、迷わず「スターフェリー」と答える私である。この愛嬌のある名前のフェリーは、観光名物であると同時に、地元の人々の生活の足にもなっている。今は、海底を走る数本(2本?)のトンネルと、地下鉄を利用することもできるが、時間に余裕があるときはフェリーで渡ることをお奨めする。出航間隔は多分、10分おきくらいだろうか、あまり待たされるという感じはしない。そして何といってもその料金の安さには驚かされる。HK$2.2(約40円)。香港の物価は日本とあまり変わらない印象なので、それを考えるとその安さがわかる。
ところで、公式サイトのフェリーの写真を見ると、実際に乗ったときは気にとめなかったのだが、その船は2層(2階建て)になっている。でも、記憶では乗り込み口は一ヶ所しかなく、中で階段を利用できるようになっていなかったような気がする。どうも乗り込み口は自動的に2階の部分に連結されている様子。
窓があるのだが、開け放たれていて、潮風が感じられる。座席は硬い木でできた長いベンチで、背もたれを動かすことで、前後を変えられるように工夫されている。
いまこれを書いていてふと思ったのだが、なぜ香港島と九龍を繋ぐ橋が存在しないのだろう。その距離は橋を架けるには容易いものであるにもかかわらず。地図を広げてみたけど、やはり橋は存在しない。でも、ビクトリア・ハーバーには近代的な橋は似合わないとも思う。九龍側と香港島側が呼応しているあの独特の雰囲気が橋をもって壊れてしまう恐れがある。橋がないおかげでスターフェリーの存在感も保たれていると思えるし、ずっとそうであってほしい。
街は人で溢れかえり、つい早足になってしまう香港という都市で、唯一フェリーに乗っている時間だけは、時間がゆっくり流れ、人々をかつての優雅な時代の香港へと引き戻してくれるのではないか。と、そんな時代を見てきたわけでもないのに勝手に想像してしまう。フェリーの乗客はみんな幾分楽しそうに見えるし、窓の外を眺めている。地下鉄で見られるような光景(本を読んだり、新聞を読んだり、携帯でおしゃべり)はあまりない。
Star 香港に行ったら、スターフェリーに是非!
そこには古き良き英国統治時代のロマンティックな香港があります。

願いがいくつか叶うなら、中国返還前の香港に行ってみたい。もちろん空港はカイタック空港。高層ビルの夜景を眺めながらのランディング。

2007/02/24

BOBBY

「ボビー」 2006年 アメリカ映画

公式サイト http://www.bobby-movie.net/

JFKの実弟、ロバート・F・ケネディが凶弾に倒れた1968年のある日のアンバサダーホテルで交錯する人々を追った実話に基づいた作品。ケネディの熱の入った演説に、クローズアップされた人たちの人間模様が重なる形で、不思議な感覚を与えている。とても練り上げられた内容だと関心した。

ホテルという場所は、人間を「切り取った形」で描くのにはもってこいの空間だと考える私には、この映画はすごくしっくり来るものであった。

それから、ケネディ上院議員の遊説の風景も興味深い。アメリカの大統領選は、国民にとってある意味、ビッグイベントなんだと思う。日本ではこの感覚は味わえない。折りしも、2008年大統領選に向けて、すでに選挙活動が始まっている。民主党ではヒラリーとオバマ、どちらが浮上するのか。オバマのカリスマ性は見逃せない。それに、911を乗り越えるために尽力した共和党のジュリアーニ元NY市長も出馬を表明している。いつも関心すること、それは大統領候補となる人たちの見事な演説の言葉だ。魔法のような。大統領ではないけれど、キング牧師の有名な演説の出だし”I have a dream.”なんかもそうである。どうも私はその類の物事に弱い。

2007/02/23

The Secret Life of Words

「あなたになら言える秘密のこと」 http://www.himitsunokoto.jp/

この映画の感想を書くのはとても難しい。

2007/02/22

non title

日に日に春が近づいていると実感するのは、構内(2号館の校舎の南)にあるモクレンのつぼみが少しづつ膨らんできているのを見るときだ。たまにちょっと触ってみる。もうすぐ乳白色の大きな花を開く。私たち人間の感情とまったく関係なく、毎年木々は芽吹き、ちゃんと季節は巡る。そのモクレンはやがて大きな葉を広げ、夏には幹の周りの地面にいくつもの穴があき、セミの幼虫が出てきて孵化して、幹にしがみついてミンミン鳴くときがやってくる。そして、秋が来て葉っぱが落ち始め、冬になると木は裸になるけれど、そうかと思うと枝の先には小さなつぼみがたくさん生まれていて、また春の準備が始まっているのである。その間、私たちの感情はいろんなことに影響されながら彷徨い続けてしまう。

2007/02/20

chorus

2004年 フランス映画

「コーラス」オフィシャルサイト http://www.kadokawa-herald.co.jp/official/chorus/

しばらくぶりの感動作と思える映画だ。

「ニューシネマパラダイス」などにヒントを得た感はあるが、それを越えるものがある。音楽教師マチューの抑え目の演技が光る。それと、ピエール役の少年のルックスと美声はこの映画の要となっている。

教師マチューは地味な風貌であるが、心がとても温かい人間味ある人物で、荒んだ寄宿舎生活を送っていた子供たちはたちまち彼の愛に導かれ、明るさ、素直さを取り戻す。マチューは子供たちに決して媚を売ったり、大げさな褒め言葉をかけない。あくまで教師としての威厳を保つ。そして、一人も差別することなくコーラスの指導を始める。上手いな、と思ったのはある子供たちには“役”を与えるところ。まだ歌えない小さな子には“助手だよ”と言って、譜面やタクトを手渡させたり、歌が下手な子には“君は譜面台だ”と言って楽譜を持たせたりと。(そんな役は特に必要ないけれど、あえてそうさせて、役に立ってる、という喜びを与えてあげるのだ) 子供の純粋な心にまごごろで相対することで、マチューに出逢えた子供らは救われる。

マチューが学校を追われ、去るときに、校舎から優しく響くコーラスと、窓から振られた小さな子供たちの手が脳裏に焼きついて離れない。マチューは不当な解雇で学校を去るのだが、不思議と悲壮感がない。それは、彼はどこに行っても誰に対しても、きっと優しく人を幸せにする人であり続けるだろうし、一度マチューの愛によって更正された子供は、そのまま善き人間に成長するのだろうということが、すごくよく伝わってくるからであろう。

Edward Hopper

日経新聞のエドワード・ホッパー特集の最終回を読み終えた。

私がホッパー作品をなぜ好きなのか?について考えると、それはとてもアメリカを感じる作品だからだと思う。ホッパーはパリに数年間滞在していたそうだが、決してヨーロッパの伝統的な手法を模倣することなく、独自の世界観を切り開いた一人だ。私自身、かつてあこがれを抱いたアメリカの、一番良かったアメリカの最後の部分を見出すことができる、だから惹かれるのだと思う。

記事によれば、ホッパーは1967年、ニューヨークのワシントン・スクエア・パークを見下ろせるアトリエの椅子にかけたまま静かに亡くなったそうである。そこは、マンハッタンのダウンタウン、ニューヨーク大学のビルが点在する一角。60年代のその公園はどんな雰囲気だったのだろう。70年代、80年代はちょっと危険な匂いのする場所だったようだが、今はチェスをする人や犬を放せるスペースなども設置され、とても平和な公園だ。

ホッパーの絵の中で、一番好きなのはやはりあの有名な「ナイトホークス」だ。記事では、この作品には、不吉なことがこのあと待ち受けている、という見方が紹介されていたが、私はそう考えない。大都会NYだから、人々が寝静まった深夜でもカフェが光をたたえ、夜更かしを楽しみたい大人の世界を演出している、そんなふうに思いたい。ナイトホークスはシカゴ美術館所蔵ということだ。目下の目標はこの絵を生で見ること。

H497i

←クリックすると絵が大きくなります

2007/02/16

non title

流れ星を見る夢を見た。南の夜空のかなり低い位置に。
とてもスローに流れて行き、消えるまでに願いを込めることができた。

心躍ることがあると、いつもの景色がまったく違って見えるのは不思議だ。
迎えては過ぎ、また迎えては過ぎ・・・
そんなことの繰り返しが波動となって、つまりはそれが人生なのかもしれない。
(なんて、ちょっと茂木健一郎さんの影響を受けている感じの私である。)

日経新聞は職場のを読むので、日曜版はほとんど見ないのだが、先日の日曜に出勤した際、目を通したらなんと、エドワード・ホッパーの特集が大きく2面に渡り掲載されていた。NYのホイットニー美術館のホッパーの作品専用の部屋のことも書かれ、そこは好きな場所でもあるだけに、入念に、そして何度も読む。2/4と2/11と連載されていて、最後もう1回掲載されるはず。恐らく2/18だろう。今日は2/4分を古新聞から発見したのでこれからゆっくり読む予定。極上の楽しみ。

2007/02/15

non title

最近、とてもとても“この人好きだなぁ”と思える人、それは脳科学者の茂木健一郎氏だ。最近はテレビ番組の司会などもしているから、有名になりつつあるが、なんかその、本当は人には教えたくないと思えるような人。その、例えて言うなら、すごく美味しい隠れ家的なお店を見つけて、誰にも教えたくない、という感じ。彼の考え方がものすごく好き。

例えばこんなことを氏は書かれている。

「ある具体的なことをやって、時間が
経っていてしまうことを、
もったいない、割り切れないことだと
思春期には感じていたけれども、
今は没我こそが至上の過ごし方だと
思えるようになった。」

たとえそれが、自分の意に反することである場合でも、それを乗り越えるために必死だったり、無我夢中だったり、また、規制されたなかでも最善の結果を出すために努力していると、それはきっと人生の中で意味を成すのだろうと思った。

「そうした時間をつないでいくという
ことが人生の一つのうるわしい姿
なのだろう。」

この茂木さんの言葉は、私をとても元気にしてくれる。

2007/02/13

non title

NHKの番組で「未来への提言」というのがあり、現在、世界で注目されているキーパーソンたちに日本人がその地に赴きインタビューする内容である。

以前見た別の回では、宇宙飛行士の若田光一さんが、アメリカの理論物理学者にインタビューした回で、そのときは若田さんの英語力に驚嘆したのだった。(宇宙飛行士とはマルチじゃなきゃなれないと改めて感じた。)

昨夜はフィンランドの教育改革についての内容で、東大教授の佐藤学さんがフィンランドを訪問し、元教育大臣、オッリベッカ・ヘイノネンさんへ果敢にインタビューしていた。

フィンランドの学力水準は現在、世界一を誇っている。ヘイノネンさんが90年代に教育大臣に就任したときに手がけた教育改革について、じっくりと語ってくれている。

その中で特に心に残ったこと。

★“学ぶ”ということはとても繊細で個人的で複雑なこと。教育する側はこのことに注目し、個人個人全てに対応していかなければならない。

★教育は全ての国民に平等でなければならない。

★人はひとりひとりが違うのだ、ということを理解したうえで教育は行われなければならない。

★教育する側は、される側がどうしたら新しいことを学ぶモチベーションをもち続けることができるかを常に考えなければならない。

フィンランドでは、授業料、給食、教科書やノートまでも無料なのだという。大学も授業料が無料。裕福な家庭の子供も、そうでない家庭の子供も。またヘルシンキなど都会の学校も、北部の北極圏の学校も全ての学校の教育内容に差が見られないそうである。

ヘイノネンさんの教育改革の大きな点は、中央(国)の教育指針はおおまかな目標だけを記し、細かい方法に関しては全て各学校のやり方を認めた、というところにある。これにより、学校は大変な責任を課せられたことになるが、それを重圧と思わず、創意工夫に満ちた教授法を模索し展開している。すごいと思ったのは、教師は自己の能力向上のために、研修を受けたり勉強する充分な時間が与えられている、というところだ。放課後のクラブ活動の指導や補修授業は、それを専門とするスタッフが別にいて担当するので、教師たちは真の教育の部分に専念できるというのである。分業がうまくいっているのだと関心する。日本の場合、一から十まで一貫してやらなければならないことが多々あり、重点をおかなければならないところに十分な時間をかけられないでいることがあるように思えてならない。

フィンランドは面積こそ日本とそう変わりはないが、人口はわずか500万人強。この小国だから短期間に成し得た改革であろう。従ってこの改革内容をそのまま日本に応用することは難しいと思う。ただ、ヘイノネンさんのことば、“人はひとりひとり違うのだということを理解しなければならない”にとても重みを感じた。この意識には“優しさ”が漂っていると思うのだ。授業に遅れている生徒の補修授業の場面で、先生がとても褒めていた。他の人よりもたくさんの時間勉強して偉かったね、と。優しさがある。

そういえば、ヘルシンキを旅したとき、人々がとても優しかった。

郊外に向かうバスの運転手さんは、田舎道のバス停から乗車してくるひと一人一人に笑顔で挨拶していたし、教会のパイプオルガンのリサイタルに向かうために乗ったタクシーの運転手さんも、帰りのトラムの乗り方を教えてくれたり、レストランでは若いウエイトレスさんにメニューについて質問したら親切に答えてくれたし、まあ、旅行者には特に親切なのかもしれないけれど。人々は少々シャイであるが良心的な国民性である。日本人に通じるところがある。

話は反れたが、最後に言いたいこと。それは、ヘイノネンさんのことである。インタビューに対する回答の姿勢がすごく素敵なのだ。原稿などない。ひとつひとつの事柄を自己のとても深いところから沸き立たせ言葉にしている、という感じなのだ。それは、とても大きなプロジェクトを成し遂げたからこそ、自然に滲み出てくるのだなぁ、と思えるほど説得力あるもので、まさにフィンランドの教育が目指す人物像に思えてならない。

2007/02/09

non title

今日のとある会合で、新聞の読み方の話題になり、大変興味深かった。人それぞれこだわりがあったりと面白い。

ちなみに私は

編集手帳(一面の一番下のコラム) → 一面をざっと → テレビ欄(BS) → 国際面 → くらし面(特に人生相談) → 社会面 → あとはパラパラと。

本日の課題

「自分がこだわりとしていること」

次に課題にしようと思うもの

「似て非なるもの」

新聞といえば、

日本の新聞と米国の新聞(確かニューヨークタイムズ紙)の比較をしていた記事を以前興味深く読んだことを思い出し、その詳細をさらに思い出そうとしたが、ダメである。何に書いてあったかさえ思い出せたらなぁ。とても納得できることだったのだが。

2007/02/08

non title

仕事から帰って、一人居間で夕食を食べていたら、母が来てドラマを見始めたので、一緒に見入った。それは、仲間由紀恵が主人公のドラマで「親孝行」をテーマにした回であった。途中、私自身、ホロッとなる場面があった。それは、松坂慶子のセリフ「子供は親の前ではいつでも笑ってなきゃいけない、笑顔でなきゃいけない」というもの。これは、成人したら、親に余計な心配をかけたらダメだよ、という意味である。本当にそうだと思った。

ドラマが終わって、父が自分の部屋で同じドラマを見ていたようで、隣の寝室で母に、「いいセリフがあったよね」と話しているのが聞こえた。私がホロッとなった場面に違いない、と耳を澄ませて聞いていたら、違っていた。父が共感したセリフは「親にとってはどんな子であっても、子は宝物」というところだったらしい。なんだか、その会話に、またホロッときてしまった。もちろん私がその会話を聞いているなんて知らない二人である。

いつまでも親不孝な私である。

2007/02/05

non title

今日もいろんなことがあって、あっという間に一日が過ぎた。忙しいのはいいのだけれど、出来れば心穏やかにいられますように。何事もお互いの理解が必要である。

最近の出来事。

風邪で発熱。なんとか仕事に行き、夕刻、倒れこむように帰宅。その後24時間眠り続ける。(土曜が休みでよかった!) 周囲の気遣い、有難いと感じる。

スタバでの悩み。コーヒー豆が切れたので、今日仕事帰りにスターバックスに寄った。今年はエコロジーを意識しようというのが年頭の誓いのひとつであり、その一環として豆を入れる袋を持参している。そうすると20円引きにもしてくれるのだ。ところが、レジで何の気なしに会計を済ませ、豆を挽いてもらっている間に手にしていたレシートに目を落とすと、20円値引きされた痕がないではないか!まあ、エコの観点からはクリアされているのだから、20円くらいなら余計に払っても良いくらいなのだろうが、、良いことして値引きになるという魅力、これには勝てない。しかし、たかが20円くらいで、クレームをつけるのも恥ずかしいものだ。しばし悩んだ末、恐る恐る聞いてみた。なぜか、「次回からでいいんですけど」という言葉を添えて。もちろん、店員さんは申し訳なさそうに20円を返してくれたのであった。

« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »

twitter

  • twitter
無料ブログはココログ