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2007/05/30

Helsinki 3

テンペリアウキオ教会は、ヘルシンキの観光名所となっている場所だ。岩盤をくり抜いて造られていて、それがとても珍しいためだ。中央駅から徒歩20分くらいの住宅地に忽然と存在している。観光客がバスや徒歩で代わるがわるやってくる。Ukio2

Ukio4 Ukio3

天井は銅? 丸いかたち

壁が岩のせいか、空気がヒンヤリしている。この教会は設計コンペである兄弟の案が採用され、1969年に完成したそうだ。

その教会でのクラシックコンサートに行ってみた。チケットは現地に行ってから、ストックマン(デパート)の上階のチケット売場にて購入した。金額は25.5ユーロ。チケット売場では、最初、要領が分からなくて、しばらく椅子に座ってどんなふうに購入するのかを観察し、みんながまず、呼び出し番号を機械から取って待つことが分かり、同じようにやってみる。

コンサート当日、それはもう明日帰国、という晩のこと。教会は宿泊していたホテルから徒歩で行ける距離だったので、開演の19時ちょっと前に出かけた。教会に近づくと、少し人の波ができて、みんなコンサートに向かうのだと思うとだんだん気分も盛り上がってくる。

Ukio6

住宅地を歩いていくと、奥に岩の教会が見えてくる

ぎりぎりまで開場されず、人々は各々、おしゃべりに興じていた。2階席までほぼ満席。補助椅子まで用意されていた。

コンサートの前に、これはプログラムを見て初めて知ったのだが、Medeaというミュージカル(?)が最初の演目で、女優が一人で何かを演じ、合間合間に生の音楽が演奏される、というもの。これがフィンランド語で、さっぱり意味が分からなかった。ただ、その女優が嘆いているような感じだったので、とても悲しい話なのだろうと、それだけは理解できた。

Ukio1 夜の7時というのに、外はまだまだ明るい

次にいよいよ、クラシック。The Sixth Floor Orchestraによるベートーベン、シンフォニー第5番。フェスティバルとしての企画なので、一般市民に親しみのあるものになっているのだろう。このオーケストラの名前の由来は、パンフによると、シベリウス・アカデミーの建物の6階が発祥の地だからだとか。指揮は、フィンランド人のThomas Ollila氏。同じくシベリウス・アカデミーで学び、最初はヴァイオリニストとしてキャリアをスタートさせた1965年生まれのソフトな顔立ちの人であった。

コンサートホールと違って、会場が小さいから、オーケストラがとても近くて、しかも、コンサートが始まるころは日が沈み、天井の明かり取りからは夜色が映って、とてもよい雰囲気を感じることになる。

Ukio5 The Sixth Floor Orchestra

明かり取りの美しいナイトブルー

観客はどちらかというと年配者。質素だけれど、みなさん上品に着飾ってきていた。

席に着くとき、隣の人が軽く挨拶してくれたのを覚えている。

*写真はクリックすると拡大されます

2007/05/29

Helsinki 2

Helsinki_163

ヘルシンキからバスで1時間ほどのポルヴォーという街から、3時間かけてフェリーでヘルシンキに戻った。長時間外気に触れていると、夏とはいえ、体が冷え切ってしまいそうになったが、水辺に面したコテージなどは目を楽しませてくれた。 (でも3時間はちょっと退屈)

港に着いたのは午後7時を回っていて、その日はヘルシンキ・フェスティバルの企画のひとつ、夜8時からの、St. Jone's Churchでのオルガン・リサイタルに行こうと思っていたが、間に合うかどうか迷うところで、でも大急ぎで、カフェで軽食をとって、タクシーを拾って教会まで行ってみた。帰りはトラムでホテルまで戻るつもりだったので、タクシーの運転手に教会前を走るトラムの路線名を尋ねると、親切に教えてくれて、ちょっと安心する。住宅街で静かすぎる場所だったし、治安は悪くないとはいえ、暗くなってしまうと、道に迷うのは恐かったから。

教会に集まってきていたほとんどの人は、地元の人たち。どこかの国の観光客もちらほらいたと思う。演奏前に主催者の挨拶があり、それはフィンランド語だったため、さっぱりわからず。そして、6曲のオルガン演奏が始まる。演奏者はすべて入れ替わった。そして、驚いたことに、オルガンというのは、教会の巨大なパイプオルガンだった。その日私は、生まれて初めて、生でパイプオルガンの音色を聴いたのだった。身近に教会があって、こんなに心落ちつく音楽を日常的に聴くというフィンランドの人々の生活は、なんというか、「成熟度の高さ」のようなものを感じる。そんな空間で私は、後ろのほうの、隅のほうからちょっとだけ味わわせていただくという謙虚な気持ちになっていた。

Helsinki_166_1 Helsinki_177 左:教会内部正面

右:後方のパイプオルガン

Helsinki_200 St. Jone's Church

写真はクリックすると大きくなります

2007/05/28

for them who couldn't say the word "love"

「愛」という言葉を口にできなかった二人のために

沢木耕太郎 著

幻冬社

知人(後輩?)より薦められて読んだ。沢木耕太郎はノンフィクションを中心にたくさん本を書いているが、私は「深夜特急」シリーズしか読んだことはなかった。今回の本は、映画に関する32編のエッセイで、薦められたから言うわけではないが、とても気に入った。その理由は、内容が映画評に留まっていないからだと思う。沢木という人が、映画そのものを味わえる人のように思えた。私はその映画の監督が誰だとか、そういうことにはあまりこだわらないほうだ。そして、作品のなかにたとえあり得ない(考えられない)ことが描かれているとしても、それを帳消しにする何かがあれば、そんなものは吹っ飛ばせる。(気にしない。)このエッセイを読んでみたら、そんな部分が共通すると思えた。映画の見方とでも言おうか。

現時点での私の生涯の5本に入る「ライフ・イズ・ビューティフル」についても書かれていたことも気に入った。この映画の中に主人公のグイドが強制収容所で、以前ナゾナゾ解きで親しくなったドイツ人医師と再会する。グイドは収容所からの脱出の手助けをしてくれるのではないかと微かな望みを抱くのだが、ユダヤ人にとって地獄の収容所内にあっても、このドイツ人医師には、グイドとのつながりはナゾナゾ解き相手以上のものはない。このシーンを、沢木はエッセイで、人間には、自分と無縁の不幸に対してはどこまでも鈍感になれる本質がある、と述べている。この映画のその部分に着目して言及しているところなど、ピタッときた。

そのほかにも、「ブロークバック・マウンテン」や「ブラス!」など、なるほどとうなずける見方をしている。そして、全ての作品について、これから見る人のために、種明かしはしていないところもいい。

2007/05/27

Helsinki 1

昨年の夏の終わりにヘルシンキに滞在したとき、ちょうどヘルシンキ・フェスティバル期間中だった。これは言わば、芸術祭。毎年開催されているイベントで、例えば教会でのクラシックコンサートや演劇、美術館展示室でのミニ・オペラ、特設会場でのダンスなど、様々な企画が用意されていて、街のあちこちに置かれたパンフレットで案内されている。私は約1週間の滞在期間中、どっぷりとこのお祭りに浸っていた。

ここでは、そのうちのひとつ、アテネウム美術館でのパフォーマンスを紹介したい。

実はパンフレットでは「アテネウム美術館でのジャズコンサート」とあった。念のため時間を確認するためにホテルから美術館に電話をすると、その日はジャズのコンサートは予定されていないという。ただ、ちょっとした演奏がある、とかなんとか電話の向こうの人は言うので、予定のお昼きっかりに間に合うように出かけてみた。この美術館は、ヘルシンキ中央駅前にあるなかなか風格ある建物で、主にフィンランド出身の画家の作品を収蔵している。(現代アートは、同じくヘルシンキにあるキアズマというモダンな美術館にある)4年前にヘルシンキに来たとき、ホテルからすぐ近かったこともあって、この美術館には確か3回くらい来たことを思い出す。(理由の一つは、インターネットができるPCが無料で使用できたから。)そのときまで、私はフィンランドの画家についての知識はまったくなかったに等しいのだが、そこ、アテネウム美術館の作品に魅了され、特にヒューゴ・シンベリの独特の作風が気に入ってしまう。彼の絵はどれも、とても暗い。天使とか悪魔が人間とともにモチーフとして使われている。そして、その背景の多くがフィンランドの森や湖、農家の軒先などである。北欧の自然のどことなく寂しい雰囲気が感じられ、なぜかとても引きつけられる。

さて、前置きが長くなってしまった。コンサートを期待して行ったところ、その時間に合わせたように人が集まってきたので、期待して玄関ホールで待機していると、正面階段の上から一本の太いロープが下ろされ、次にトロンボーンを持った男性が現れた。やはりジャズをやるのかな?と更に待っていると、一人の女性が登場し、ロープを使ったパフォーマンスが始まった。トロンボーンとのコラボレーション。そのパフォーマンスの美しさに観客の視線はくぎ付けになる。とても優雅にロープを使った演技をしていたが、かなりの体力と運動能力がないと出来ないであろうもので、終わったとき大拍手であった。

Helsinki_221_2 アテネウム美術館の展示室。ここは天井から自然光が入るようになっているメイン展示室。奥(隣の部屋への入口右)に見えるのは、シンベリの作品”The Wounded Angel"

Helsinki_219_1

ロープを使ったパフォーマンス。左の黒服の人がトロンボーン。

二人の女の子が食い入るように鑑賞していたのも、いまでもよく覚えている。

*写真はクリックすると拡大されます

アテネウム美術館 http://www.ateneum.fi/default.asp?docId=11876

2007/05/22

Dad

晩秋 1989年 アメリカ映画

何気なく見始めたら、最後まで見ずにはいられなかった。あらすじは、ありきたりの家族のストーリーなのだが、この映画が素晴らしかったのは、ひとえにジャック・レモンの名演技のおかげだと思う。

誰にとっても父親は、いつになっても大きな存在であってほしい。しかし、気付くとそこには年老いた父親が弱々しく居る。いつも家族や自分を守ってくれた父親を、今度は子供が労わり、理解して、老いていくその全てを受け入れてあげなければならないときがくる。認めたくない、という人もいるかもしれない。でも、もしそうなりそうになったら、いつか自分が子供だったころ、愚痴一つこぼさず毎日家族を養うために仕事に向っていた父の姿を思い出すだけで、受け入れることができるはずだ。

晩秋あらすじ http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD7363/comment.html

2007/05/20

baseball

200705201309000 上武大学の野球場に本学の野球部の応援に行く。対松本大学。昨日は残念ながら負けてしまったとのことで、今日はもう後がなく・・・

いきなり1回裏、本学の1番バッターがホームラン。幸先いいスタートだったが、以後両チームとも無得点が続き、9回表に同点に追いつかれる。そして、延長10回裏、本学が1点返し見事勝利。打った瞬間、ベンチから選手がみんな飛び出してきて、感動の場面であった。明日、勝てば1部との入れ替え戦。がんばってほしい。

200705201321000

半端じゃない強風の中、ベンチ入りできなかった大勢の選手が一塁側外野席からメガホンをもって応援していた。

200705201527000 試合終了。お疲れさま! 右一塁側の清々とした白いユニフォームがうちの野球部。礼の姿勢も見事にそろっている。

2007/05/19

non title

200705191934000 5/19帰宅後、門を閉めてふと夜空を見上げたら、月の左斜め上にすごく大きな星があった。それが何星なのかは知らないのだが(金星?木星?)携帯のカメラで撮ってみたら、このとおり。(右下が月)

non title

土曜日の出勤。午前中にデスクワークを済ませ、午後は予定していた作業を実施。学内で以前から目をつけていた使用していないキャビネットを用務の方とトラックで運び出し、広報課に設置する。引出しを全部洗って、キャビネットの中を隅々まで拭いて・・・なかなか気持ちのいい仕事だ。そして、予定どおり自前の各種チラシをそこに納める。最後はテプラで見出しを付けて完成!ものすごく気分が良い。(家でもこれくらい頑張れればいいのに・・・)

このキャビネット、中に入っていた資料を見たら、平成7年のものがあり、少なくとも12年以上前に購入したものと知る。これをある場所で見かけたとき、中はほとんど空っぽだったので、これはいい!と上司を通じてようやく許可を得た。使ってないのだから、移動して再利用するのがダメなわけはないのだが、手続をふまないとあとでやっかいなことになりかねない。ある時期に便利に使われていたものが、突然不要となり・・・でもまたこうして活躍することもある。これからは、ますますこういうことが必要な時代ではないかな、と思う。

200705191625000 完成後の姿

2007/05/09

Me and You and Everyone We Know

映画「君とボクの虹色の世界」 2005年 アメリカ

アメリカのどこにでもあるような街のある人々にスポットを当て、それぞれが平凡で退屈な日常のなかで誰かと繋がりともとうとする姿が描かれている。中心的な人物は、自称アーティストの女性で、街のショッピングモールの靴屋の店員に恋をする話。彼女は実に個性的で、その個性の素敵さがすんなり私の中に浸透してきた。風邪をひいて薬を飲んだぼんやりした頭でその映画を見ていたら、なんだかとてもその世界に入り込んでしまった。映画の展開は退屈してしまう人もいるかもしれないほど淡々としているにもかかわらず。

心に残る場面

■クリスティーヌが新しいピンクの靴を買って、それに「ME」と「YOU」という文字をマジックで書く。そして、それを履いて両足を寄りそわせてみたり離してみたり・・・それを真上からとらえている。まるで、彼女の心の内そのものだ。

■リチャードが自らガソリンをかけた左手に火をつけてやけどするのだが、ようやく包帯が取れたときに、「この手には新鮮な空気が必要だ」と言って、さらに「だから手の散歩をしてくる」と言い、夜の街に散歩にでるシーン。そこで一つの幕が下り、新しい幕を開けるようなすがすがしさがある。

■孤独なある女性がチャットである男性(?)とエッチなやり取りをするのだが、ある日街の公園で会う約束をして、そこに現れたのが7歳の小学生でチャット相手が小さな子供だと分かり、でも、無言でキスをしてそこを去るシーン。二人の間には会話は一切ない。なぜか分からないけれど、ある意味その女性は救われたのではないかと見ている私には思えた。それが、中年の男性や若い男性、あるいはティーンエイジャーではダメだったのだと思う。7歳の小学生だった、というところに救いがある。

■車のルーフに置き忘られたままの金魚が入った袋。その車は既に走っている。それを同じく車を走らせているクリスティーヌと横に座る老人が哀愁を込めて見ているシーン。忘れられたもののはかなさ。

アメリカというと、ニューヨークやロスのように華やかなイメージが先行するが、実は広大な国土の多くは寂れていたり、ありふれたステレオタイプの街で埋めつくされている。そんな街の片隅には、華やかな都市に住む人々と同じ数の変わらぬスピリットをもった人々が生きているのである。それは、また世界中のあらゆる国においてもきっとそうに違いない。

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