« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007/08/27

non title

今日も朝から気温がグングン上がり、残暑が身に応える月曜日だった。朝、職場の冷房の利きが悪くて(一向に冷風が出てこなかったのもだから)、一瞬ヒヤッとしたが、間もなく正常になって安心する。

昨日の新聞に「芸術新潮」がNYの美術館特集だと載っていて、早速、大学の図書館に行ったがまだ開架されてなく、拍子抜け。あとのお楽しみにとっておこうと思う。

夕方6時半前に帰宅するときに、空気は暑さでムワッとしているが、不思議と秋を感じた。だんだん早まる日没のせいかもしれない。エンヤのCDを聴きながら運転していたからか、辺りがしっとりと落ち着いて見えて、夏が暮れていく感が深まる。家に着くころには、南東の空に丸い月があって、それがまた秋の月に見えた。明日が満月のようだ。月って不思議だ。背後にあっても、その気配を感じてしまう。

昨日、ぼんやりテレビを見ていたら、BSで再放送だったようだが、フィンランドの森やそこで暮らす人々を紹介していて、またフィンランドへのあこがれが強まる。森の色は、柔らかい緑の色で、どこか北海道の雰囲気に似ているかもしれない。森というと、一般的にはうっそうとしていて、恐いイメージもあるが、フィンランドの森はそのほとんどが人の手が加えられているということもあり、どこか安心感があるように思う。また、人々は森には妖精が宿っていると信じており、その精神も可愛らしく、フィンランドの国民性を象徴しているように思える。すごく感動したのは、(森に住む人や、森に隣接したところに住む人の風習だと思うが)誰かが亡くなると、家族が森の松の木の皮を削り、むき出しになった木の幹に故人の名前と生まれた年・月、亡くなった年・月を彫る慣わしだ。松は生命力が強く、その後年月を経るにつれ、皮がまたゆっくりと幹を覆うという。生きた証が松に包み込まれ、松の命あるかぎり記憶を残すように思え、素敵な行いだと思わずにいられない。実際に、1800年代に刻まれた木を見ることができた。これには言葉を失う。それから、もう一つ、人々は森にお気に入りの木があって、悲しいときや辛いときなど、その木を見ることで、触ることで心が安らぐそうだ。

この番組は、視聴者からのリクエストが多かったので、再放送となったそうだ。反響が多かったのは肯ける。

2007/08/23

non title

先日、ある新聞に、あるテーマで、写真とそれにまつわるエッセイを募集するという記事があって、最優秀賞が旅行券100万円とあったせいで、応募することに決めた(欲があるとこういう場合だめなんでしょうけれど)。仕事の帰りにスタバに行って、400字という制限の原稿を一気に書いた。そして、家に帰ってパソコンに入力しながら推敲するも、なかなか400字以内におさまらず、夜中まで四苦八苦。少ない字数に伝えたいことを収めるって難しいことなのだと思った。子供のころは、5枚の読書感想文を書くのに、その5枚という分量が途方も無く多いと思っていたのに。応募した写真は、以前ホームページだったか、ブログだったかで紹介した下の写真。自分にとって記念碑的な一枚である。車窓からローワー・マンハッタンのトリニティー教会を撮った際、偶然にも(後になって現像してから知ることになるのだが)ワールドトレードセンターが、しかも2棟ともに写っていた。ツインタワーが21世紀になってすぐに姿を消されてしまうなんて、あのころ誰が想像できただろう。アメリカは不景気だったけれど、NYの治安も悪かったけれど、こんなに悲惨なことが起こるとは思いもよらなかった。空に向ってまっすぐに伸びるツインタワーは、そこで働く人々のエネルギーも相俟って、気持ちがいいほどに美しかったなぁ。

New_york_2 click

2007/08/22

non title

相変わらず30℃を越える日が続いているけれど、朝晩は涼しくなってきて、少しほっとする自分がいる。今週は秋の気配(空が高く思えたり、夜は虫の音が聞こえたり)も感じられる。

今週、たまたまテレビをつけると、BBCとアメリカのDiscoveryが制作したドキュメンタリー・ドラマ「ニュルンベルク裁判」を放送していて、3回のうち2回を見たのだが、これはかなり衝撃的な内容であった。実際の裁判の映像を織り交ぜてあったせいか、ドラマといえども迫ってくるものがあった。1話では、様々な証言や証拠をもって責任を追及してもなおシラをきるアウシュビッツの副所長(?)の態度に驚き、さらに彼の弁護士は、アウシュビッツに到着した人々を、収容所内での過酷な労働者とするか、ガス室に送るか・・選別した彼の行為を、その選別があったからこそ、ユダヤ人は絶滅しなかったのだ、彼のその行為によって、ユダヤ人は救われたのだ(生き残れた人がいたのだ)とする見方(弁護)をしていて唖然とするばかりであった。もう1話はナチ党の幹部であるルドルフ・ヘスにスポットをあてた内容。ヘスは裁判で記憶喪失の症状を見せるが、それがウソなのか本当なのか、疑問の渦の中裁判は進み、結局彼は終身刑となる。最終答弁でヘスは、ヒトラーの独裁によるユダヤ人迫害は、ユダヤ人自身が招いたことだと、そこまでユダヤ人の責任にするところが救いようがない。やはり精神に異常をきたしていたとしか思えない発言であった。実際の映像で、ヘスは自らを裁いている最中にもかかわらず、法廷で居眠りをしたり何か関係のない書物を読んでいたり、よそ見をしていたりしていた。

戦争は人間を異常にさせる。なのに人間はそれを繰り返していて、いったい・・・

2007/08/16

non title

昨日、予想どおりの酷暑で、東京に着いてから、できるだけ無駄のない行動をとりつつ、会場へ向かう。渋谷は学生のときは、よく出かけた街。住んでいた街から地下鉄で3つだったから。でも、だいぶ様子が変わってしまった。今回、ロフトの中に、洒落たチャイニーズ・カフェを見つけて休憩したのだが、ここはなかなか素敵なお店で、今度はお茶だけでなくて食事もしたいな、と思う。

一茶一坐 http://www.chamate.jp/shop/shop.html

-----------------------------------------------

辻 仁成 ライブ  渋谷AXにて

なんとなく、とったチケット。小説家でもあるこの人はどんな歌を歌うのだろうか、と興味があってのことだった。会場に来ていたファンは、意外にも30代から40代の男性が多かったように思う。恐らく、エコーズ時代からのファンが大半なのだろう。私は何の予備知識もなく、ライブに身をまかせた。知っていた曲は、「zoo」とビートルズのカバー「Let it be」だけだったけれど、その他の曲の詩もメッセージ性が高く、じっと耳を傾けていると自然に入っていける感じがした。ギター一本の、たった一人舞台。あんなにギター(アコースティック)をかき鳴らす演奏は始めてだった。拠点としているパリの話をするかな、と思っていたけれど、無かったのが逆に好感を持てた。

アンコールの歌詞で

  “いつまでも、ひねくれていていいよ

    そして目を光らせていて

      そのときがくるのを(じっと)待て”

と言ったのが、このライブの余韻となった。

ライブが跳ねて、席を立とうとして、ふと2階席を見上げると、なんと、瀬戸内寂聴と江國香織がいた。寂聴さんのあの尼のイデタチは、会場で目をひくもの。私たちがロビーに出たとき、ちょうど彼女らが階段から降りてきたところで、お二人を間近に見た。寂聴さんはニコニコしていて、とても小柄だった。とても80すぎには見えない、生き生きとした表情と背筋のピンとした姿勢。江國さんはジーンズ姿で、セミロングのパーマがとてもよく似合っていた。

夏、東京に行くのは体力が要るなぁ、と実感した一日。Door to Door へ車で移動することに慣れた群馬県民には、東京での移動は暑さが身に応える。

2007/08/14

anything else

映画「僕のニューヨークライフ」

先日、友人より送られてくる(感謝)。その日の晩に早速見た。一度見たことがあって、でも気に入った作品は何度でもよい。

以前書いた感想↓

http://megumi1966.cocolog-nifty.com/megumi/2006/01/enything_else_185c.html

ウッディ・アレン作品は、とにかくセリフがたたみかけるように続くので、字幕を追うのが精一杯でせっかくのニューヨークの景色などを堪能できず、やや消化不良となる。なので、2回目以降、新しい発見をすることもあったり。

Wアレンが扮するドベール、劇中では小学校の教師ということだったが、Wアレンは、Wアレン自身の役を演じていたのではないだろうか。このあと、彼は拠点をNYからロンドンへ移すことになる。でも、彼は映画のなかで、ジェリーを一人ロンドンに旅立たせ、ドベールをNYに残したことで、言い換えると、もう一人の自分をNYに残してきたことで、心置きなくロンドンに旅立ったのではないかと、そう私は思うのである。

non title

夏季の大きな仕事のひとつが今日片付き、明日から3日間のお休み。考えてみると、前期は一日も休暇をとってなかった。なので、今宵は開放感に浸っているのだ。明日は東京に行く予定(ライブ)で、でも暑いのだろうな・・・首にタオル巻いていくかもしれない。(ライブのためじゃなく、暑さの対策)

「千の風になって」がミリオンセラーになったとニュースで言っていた。私自身は、つい最近まで、この曲にはあまり関心がなかった。歌がヒットする前に、知人から絵本を頂いていたせいかもしれない。ところが先日、何気なくこの歌を耳にして、多くの人に支持される理由がよくわかったのである。人が亡くなるということ。もう帰らぬ人が可哀想でならない、もう会えない・・・と思うと、自分の心が張り裂けそうになる。でも、この歌が伝えるように「千の風になって、あの大きな空を吹きわたっている」と思えることで、残された人は癒される。(「癒される」という言葉をむやみに使うのは嫌いだけれど、この場合は本当にそうだと思う) クラシック歌手(というのかな?)の秋川さん(だったかな?)の、あのくせのないストレートな歌い方も、スーッと心に入ってくる。

私の場合は、昨年亡くなった祖母である。思い出さない日はなく、ふとしたときに、それはたいがい、仕事を終えて帰宅する運転途中なのだが、会えないと思うとたまらなく淋しくなるときがある。だって、祖母の爪の形や柔らかい手、においまで、まるですぐ目の前にいるかのように思い出せるのに。

おとといの明け方の夢に祖母が出てきた。自宅のトイレにかけ込もうとすると、誰かが使用中で、ノックをすると・・・ 祖母がドアを開けて出てきたのだ。(お盆だから?)

今日、久しぶりに(お通夜以来だと思う)、祖母が書いていた日記をパラパラ開いてみた。この日記は何度読んでも涙なしには読めないので、読みたいけれど読まないでおこう、と、ずっとしまっておいた。自分は(ほぼ寝たきりで)出歩けないものだから、書いてあるのは、私たち家族のことばかり。でも、毎日、不自由な体でよく書いたと思う。ノート8冊。偉いです。本当に愛すべき人だった。

祖母が亡くなったのを知ったある人が、千の風になっての詩のことをメールで知らせてくれたことがあった。いま思えば、そのときは、絵本を持っていてその詩の存在のことは知っていたのと、まだ、亡くなって間もないときで、詩の意味がピンと来なかったような記憶がある。でも、いまは理解できる。この詩の意味も、メールをくださったその人の優しい気持ちも。

「千の風になって」の作詞者は不明だそうだ。絵本によれば、英語での詩ということ、またその思想から、ネイティブ・アメリカンの誰かが書いたと推理するのが自然だと書かれている。

2007/08/13

Seoraksan (Korea)

2004年5月にソウルに行ったとき、雪嶽山(ソラクサン)まで足を伸ばした。ここは、韓国の北東部に位置する国立公園。

ソラクサン国立公園HP http://seorak.knps.or.kr/eng/

ソウルの巨大なバスターミナルから高速道路で4.5時間ほどバスに乗り、束草(ソクチョ)へ向う。ソラクサンは束草から路線バスに乗り換え、確か40~50分くらいだったと思う。宿泊先は、ソラクサン麓のホテル。

*写真はクリックすると少し大きくなります

Bus  ソウルのバスターミナル 

バスのチケット売り場での案内は、すべてハングル語で、何が何やらさっぱり。外国人にはあまり親切でないと思う。

ターミナルはパッとしないが、バスのシートは、まるで飛行機のビジネスクラスみたいで快適だった。(ビジネスクラスに座ったことはないけれど・・)すごくゆったりしたシートで、リクライニングの角度が予想以上。かなり倒れる。しかも、足も伸ばせるようにふくらはぎの部分が起こせるようになっていた。

高速道路から見える景色は単調であるが(日本と同様)、たまに見える民家など韓国の家屋の特徴がよく分かり、楽しめた。山にこんもりと土を盛った丸い形の何かをよく見かけ、恐らくお墓ではないかということだった。

ソウルは韓国の西側で、向かうは東海岸。高速道路を下りてしばらく走ると海が見えてきて、不思議な感じがした。日本から見ると「日本海」である。韓国ではそう呼ばないようだ。地図では、確か「東海」となっていたと思う。

Sokutyo 束草の街並み

Soraku1 Soraku2kuma ソラクサン国立公園の入口  

背後の暗雲が熊の像をすごく恐ろしいものに見せている

Roapway

もちろん、登山などできる体力はなく(登山は苦手)、ロープウェーでスイスイと山頂へ向う。この日はあいにく、小雨模様。上には食堂やカフェがあり、しとしと雨が降る山並みを見ながらコーヒーだったかカプチーノだったか・・を飲む。

Soraku3taki 山頂から、遠くに滝が見えた

Hotel 山頂から宿泊したホテルが見えた

宿泊した客室はオンドルの部屋で、韓国旅行のなかで初めての経験。

ケンジントンホテル http://www.kensington.co.kr/korean/

Sorakuiwa むき出しの岩肌

Soraku4river 天候が悪くて分かりにくいが、川が流れる先は海!

Umi Umi2 Kai

ソウルへ戻る日、束草のバスターミナルでバスを待つ時間、すぐ近くの浜辺に行ってみた。すごく透明感のある海の色。砂浜で拾った貝殻とブルーのガラスの破片を拾って帰る。ソウルに行くことはあっても、あの場所までは恐らく、もう行かないだろうなぁ、とぼんやり今は思う。

2007/08/09

non title

広報用資料作成のために必要な部活動の練習風景の写真をとりに、今日は女子ソフトボール部が練習しているグランドに行った。お天気もよく、写真をとるには絶好の日だと、朝から気合が入っていた。しかし、いざ、グランドに行くと午前中だというのにものすごく暑くて、じりじりと強烈な日差しが肌を突き刺す感覚。それでも、監督のもと、部員は練習メニューをこなしている。創部2年目でインカレ出場を決めた。快挙だ。(ソフトは男女そろって出場)スポーツをやっている姿っていいなーと、太陽の光を差し引いても、すごく眩しく見える。カメラを手に、1時間ほど、いろんな角度から撮影した。最初は日傘を差していたのだけれど、真っ黒に日焼けした学生たちを見ていたら、日傘がナンセンスなものに思えて、すぐにたたんだ。何もできないけれど、何か役に立てないかと、柵外に飛んだボールを拾いに行って、応援の気持ちを表明した。みんな、がんばってね。

Img_0118

自分も、曲がりなりにも高校まで部活動に励んだので、その頃のことを懐かしく思う。夏休みの練習のあとの、高校の近くの氷屋さん(本格的な氷屋)で、山盛りのかき氷を食べるのが楽しみで仕方なかった。部員みんなで。食べ進めるうちに、頭がキーンとなるあの感覚。やっぱりコレだね!なんて言いながら。先日、テレビにその氷屋さんでかき氷を楽しむ前橋市民が映し出され、まだお店が健在だと知った。確か名前は野口氷店だったような。 今日みたいな日は、あの氷が恋しくなるのだ。

2007/08/08

non title

ここのところ、ニュースでは広島の平和記念日について連日報道している。こういった番組を見ると、毎年、何らかの思いが胸をよぎる。式典に参加した友人から聞いたのだが、ちょうど隣にいた人が外国人女性で、一人で参加していたという。海外の人のなかにも、平和を願い、自ら何かを感じとるために現地へ赴く人もいると知った。そんな話を聞いたあと、夜の番組で、アメリカのHBO(テレビ番組制作局)が広島と長崎原爆投下のドキュメンタリー番組を約1ヶ月間毎日放送するということを知る。これは大きな前進だと思った。アメリカでこのような内容を放送するのは画期的なことだという。被爆した人々の映像や写真、証言、投下直後の現地の惨状・・・ それらをドキュメンタリーとして見聞きすることで、戦争の、原爆の悲惨さを、かなり学び得ることができるはずだ。番組では、あるアメリカの家族がそのドキュメンタリーを見ている様子も取材していた。惨状を知った人は、二度と同じことを繰り返すはずがないと信じたい。

HBOのドキュメンタリーについてはこちら
http://www.hbo.com/docs/programs/whitelightblackrain/

昨年の8/6に書いた日記
http://megumi1966.cocolog-nifty.com/megumi/2006/08/non_title.html

-------------------------------------------------
今日も暑い。
ちょっと外に出ると、体中の水分が汗となって吹き出てくる。
梅雨明けしても、この猛暑には絶えられない。
マックも暑いなか、自分なりに工夫している。誰が教えたわけでもないのに、地面を掘って体を冷やしている。

200708080758000 200708090804000
こんな穴が、庭にいくつかあるようだ。

2007/08/03

non title

仕事帰りの運転中、すごく大きな流れ星を見た。西を向いて頭上やや西寄りから南に向かって流れ落ちた。むにゅむにゅと思いついたことをお祈りする。

今日の読売新聞朝刊に、イラク国土をイスラム教シーア派とスンニ派、それにクルド人地域に「ソフト分割」する提案について掲載されていた。アメリカのブルッキングス研究所研究員の提案で、アメリカのイラク政策について暗中模索が続いているなか、この案はとても現実的なものに思える。

このソフト分割とは、「イラクは一つの国として存続するが、高度な自治を持つ3地域に分割する。別の宗派の領域に住む人には自発的な移転を呼びかける。」というもので、最大500万人の移転を想定している、ということだ。この移転はただならぬ数で、そうは簡単にいきそうもないが、もし実現の方向で動けば、宗派や民族間で対立が続き、荒れ果てたイラクが安定するのではないかと思うのである。

私はイラクへの派兵には反対なのであるが、いま、この時点で撤退してしまうことにも賛成できない。もしそうしたとき、イラクの国民はいっそうの混乱へとのみこまれてしまうのではないかと思うのだ。振り出しにもどしてはいけない。

そういう意味で、この「ソフト分割」は、とても現実的な提案ではないか。

いつになく真面目なことを考えた夜。

2007/08/02

non title

やっと梅雨明けして、夏が来た。

通勤途中で学校のプールに向う小学生をよく目にする。私もプールが大好きだった。小学校4年の夏、ある先生(丸橋先生)にクロールを特訓していただき、以来、自信をもって泳げるようになった。正しい飛び込みの仕方もそのときに教わった。もし、あの夏、丸橋先生に指導してもらわなかったら(担任でも学年の先生でもなかったから)、きっとこんなに水泳が好きにならなかったと思う。プールから上がったあとの、冷えた体が暑い空気に包まれたときの、ちょっとダルさが加わった感覚が好きで、昼寝なんかできたら最高だった。

そんなことを思い出しながら、朝、プールに向う小学生を羨ましく思うのである。

残念ながら、中学にプールはなく、高校にもなかったため、プール生活は小学校で一旦途絶えることになる。でも、いまでもクロールで(ゆっくりならば)2キロくらいは泳げる。旅先のホテルにプールがあれば、ゆったりと泳ぐのも旅の楽しみのひとつとなった。

-----------------------------------

うちのビーグル(マック)は、花火やカミナリの音が大の苦手で、そういう日は、緊急避難(玄関に)している。それ以外の日でも、寝苦しい夏の夜は、玄関のタイルはひんやりしていて外よりも心地よいみたいで、最近よく玄関に入れてもらっている。

200707301927001 7才。最近顔が白くなってきた。

ビーグルは歳をとると毛が白くなってくるそうだ。

-----------------------------------

読売新聞8/1朝刊に、ドナルド・キーンと平野啓一郎の対談が掲載されていて、その中でキーン氏がコロンビア大学で学んだ際に出会った角田先生という日本文学(日本語?)の先生のことが書かれている。これを読んで、以前、「私と20世紀のクロニクル」と題して、キーン氏の若かりしころからの回想録が同紙に連載されていたことを思い出す。その連載のなかで、やはり角田先生について伝えていた回で、私はすっかりこの人物の魅力にとりつかれた。時は戦前。キーン氏が授業を受けるために講義室へ入ると、角田先生はその日の講義内容について、すでに黒板一面にびっしり書き終えていて、入念に講義準備がなされ、教壇には質問に備えて何十冊もの書物が用意されていたということだ。キーン氏は、以後に受ける数々の、それこそ名声は一流だが、まったく魅力のない、何年も使い続けている講義ノートを読むだけの他の教授の授業と比較し、角田先生の真面目さ、真剣さに心を打たれ、生涯忘れることができない存在になったという。第二次大戦が始まると、リベラルなニューヨークにいたため、角田先生は強制収容は免れたとのことだが、どのような思いでいたのだろうか。そして、ニューヨークでとのように暮らしていたのだろうか。あの時代にアメリカに渡り日本文学を説いたこの人物のことをもっと知りたいという欲求が、今回の対談を読んでまたぶり返している。

対談 http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20070801bk01.htm

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

twitter

  • twitter
無料ブログはココログ