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2007/10/27

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太田市のスポレク祭で毎年、北海道の秋の味覚を販売していて、数年前から市役所のO氏が本学にも声をかけてくださり、主に女子職員が注文している。O氏と知り合って何年になるだろうか。本学に勤めはじめてからすぐくらいだったと思う。業務の関係で市役所に訪問したときに対応してくださった。以来、変わらず本学に理解を示してくださっている。ちょうど、本学の学園祭の時期とスポレクが同じ時期で、北海道のじゃがいもとかかぼちゃが届くことは、「あぁ、もう一年経ったのだ」と感じることの一つになっている。O氏がトラックを引き連れてわざわざ届けてくださる。

Kabotyaくりかぼちゃ

写真では分かりにくいが、すごく大きくて1個350円。うちの場合、もちろん料理するのは母であるが・・

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今日は大雨のうちに学園祭がスタート。模擬店の学生たちが風邪をひかないかと心配だ。懇談会も終わり、解散命令が出たので、Jazz研の演奏を聴きに行った。毎年変わらないスタイルで、ものすごく上手い人も、初心者も、日ごろの練習の成果を発表している姿に心打たれてしまう。上手い先輩が、あたたかい眼差しで初心者の後輩たちにリズムを合わせていたりするのを見るのもいいものだ。曲を聴きながら、いろんなことを考えた。ライブでJazzを聴いているときって、いつもそうだ。錯綜するメロディーに包まれながら、いつの間にかあれこれと考えをめぐらせ、そのうち薄暗い雰囲気のなかに佇む自分にふと気付くというような。(うまく言えないけれど)

Jazz_2  315教室でのライブ

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台風が接近してきているので、雨が激しかった一日。そんな日なのになぜか花を買いたい気分になり、帰りがけにオリエンタル・リリーを一株買った。スーパーに入ってるこの花屋さんの前は、ちょくちょく通る。そのたびに、オリエンタル・リリーが売られていれば、周りの目も気にせずについ顔を近づけて香りを嗅ぐ癖がついてしまっている。花を買うのには、タイミングのような、「今日だ!」というような気分が私にはとても必要だ。大きな蕾が6個もついていて、全部これから開くところ。気温も低い今日この頃、しばらく楽しめそうだ。

Lily

2007/10/21

City of Glass

「ガラスの街」

ポール・オースター著 柴田元幸訳

雑誌 Coyote No.21 October 2007

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すでに文庫本化されている同小説を、いま人気の翻訳家である柴田元幸が新訳として発表したということで、ここ一週間、仕事のあとの楽しみとして読んでいた。以前読んだときもどきどきしたに違いないが、今回も先が知りたくて知りたくて(一度読んだのにすっかり細部を忘れていたせいで)、毎日見切りをつけて本を閉じなければならないのが惜しいほどであった。部分的に山本氏と郷原氏の訳したものと読み比べてみたりもして、やっぱり柴田元幸は上手いなぁ、と思う。村上春樹なんかもそうだけど、やっぱり、自身も小説を書く才能がある人が翻訳すると素晴らしい。また、柴田はオースターと対談をもしている。しかも、ブルックリンにあるオースターの自宅で!

この物語の出だしはこうである。

「そもそものはじまりは番号違いだった。真夜中に電話のベルが三度鳴り、電話線の向こう側の声が、彼でない誰かを求めてきたのだ。」

舞台はNY、原書の出版年は1985年である。

これだけで、もう本のなかに引き込まれてしまう。

一瞬、これは探偵小説なのかと間違われそうだが、違う。そして、結末は読者の期待どおりではなく、だからといって決して期待を裏切るものでもない。しっくりこないようで、焦点をスティルマンではなく、主人公クインにあてると、不思議なことに合点がいくように思える。クイン自身のストーリーとして置き換えることによって。

途中、クインがマンハッタンを徒歩で南へ北へ、東へ西へと彷徨うシーンがあり、南へ下ったときに、世界貿易センターの一方のタワーのロビーの公衆電話から電話をかける箇所がある。タワーが、この小説に登場していたことにちょっと興奮してしまう。何故って、ここでは永遠に在り続けるのだから。

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市立図書館に行ってみたら、買おうか迷ってちょっと高かったのでやめた本があった。ピート・ハミルの「マンハッタンを歩く」という本。

いつ来ても落ち着く場所。

Tennjyo エントランスホール

Chair こんな素敵な椅子を発見 風景にぴったりだ。

Ki 裏庭の木(名前は知らない)が少しずつ葉を落としていた。

Masterpieces of the Philadelphia Museum of Art

フィラデルフィア美術館展

東京都美術館で開催中のフィラデルフィア美術館展に行った。お目当ては、オキーフとワイエス。それらの作品は最後の展示室“アメリカ美術:大衆と個のイメージ”にあり、その前の展示室はどちらかというと足早に回った。そして、ジョージア・オキーフの“ピンクの地の上の2本のカラ・リリー”へと辿り着く。オキーフの絵を見るたび、いつもうっとりしてしまう。色使いの完璧さとでも言おうか。画集やポストカードで見るよりも、やっぱり実物は美しい。

アンドリュー・ワイエスの作品“競売”は、好きな“クリスティーヌの世界”ほど印象には残らない感じだったが、ストーリー性は充分秘めていると思う。彼の絵は、写実と現代アートの両方を含んだような面白さがあると思う。

今回の発見は、同じくアメリカ美術のフローリン・ステットハイマーの“ベンデルの春のセール”というタイトルの作品。とても可愛らしい。ベンデルは多分、NYのデパートだろう。そのフロアで、女性たちがバーゲン品を試着したり、取り合ったりしている。1921年の制作で、この頃すでに時代の先を行っていたアメリカの大都市の様子がうかがえる。

“印象派とポスト印象派:光から造形へ”のセクションに、モネの作品が5点あり、その中の“マヌポルト、エトルタ”と“アンティーブの朝”の海と湖(?)の青い色が、ありきたりの言葉しか浮かばないが本当に美しい。絵葉書を買ったけれど、残念ながらその青は出てなかった・・

東京都美術館は、決して新しくないけれど、東京らしい建築物だと思う。

フィラデルフィア美術館展 http://www.phila2007.jp/

2007/10/19

non title

雑誌COYOTEというのがあって、私は最近その存在を知ったのだが、ホームページを見ていたら、ちょっと心にしみるコラムがあったので、ここに。

先日、言葉が見つからなかった。

このコラムを謙さんに。(気が向いたとき読んで)

http://www.coyoteclub.net/diary/0010.html

2007/10/16

train

先週から週1日ペースで東京の学校を訪ねている。今日、帰りの電車に揺られながら思ったこと。普段は車で帰宅するので、仕事のこととかで何かあっても、ただ一人悶々とすることが多いのだが、電車だとその箱の中に乗っているたくさんの人が、自分と同じ量の一日を終えて家路につく。だからか、出先で理不尽なことがあっても、いろんな人の顔を見ていると怒りや悲しさが和らいでくる。これは本当に不思議なことだが、事実である。

小泉今日子の歌にも

   夕暮れの街を 急ぐ電車は

   疲れた心乗せて・・・

とあるように、今日の夕刻の電車は一日がんばった人をたくさん乗せているように見えた。

2007/10/14

Congratulations!

今日勝てば二部リーグ優勝とあっては、応援に行かなければ!と上武大学球場に行った。着いたのは5回の本学の攻撃のときで、5-0でリード。一人で心細かったのだが、大学の職員の方が2人来ていて、観客席で声をかけていただいた。松本大学は、春季リーグのときに比べて本調子でないような感じがしたが、春はうちが本調子でなかったわけである。結果、7-1で勝利した。本当におめでとう。一部との入替え戦も、この勢いで突破してほしい。いつも、応援に行って思うのは、負けても勝っても、うちの学生が誇らしく思えることである。

試合が終わって、帰ろうとしたとき、マネージャーのI君が荷物を車に運んでいた。「おめでとう」と声をかける。先日の朝、1限が始まる時間よりはるかに早い時間、I君が自転車で「おはようございます」と挨拶してくれて、「あれ?早いね?」と言うと、「はい」というので、理由を聞くと、監督室の掃除を毎朝しているのだと言う。背筋がピンと伸びる思いだった。

リーグ戦の優勝は、ベンチ入りした人のみならず、外野スペースでメガホン持って応援した部員、陰で雑用も請け負っているマネージャーなど、みんなの力の結晶である。

200710141503000_2 9回裏相手チーム3アウトの瞬間、3塁ベンチからみんな飛び出す

200710141504002 監督の胴上げ

2007/10/13

A Thousand Years of Good Prayers

41esfp46lbl_aa240_ 「千年の祈り」 イーユン・リー著 篠森ゆりこ訳 新潮社

新潮社 CREST BOOKS から発行される本が結構好きである。表紙のデザインもセンスの良さを感じる。

「千年の祈り」(短編集)の著者は、北京に生まれ96年に渡米、以来アメリカで暮らしている。執筆は英語で行うそうだ。

タイトルにもなっている「千年の祈り」と「あまりもの」がよかった

いずれも、中国人がストーリーの主人公となっている。

「千年の・・・」のほうは、アメリカに暮らす娘が離婚し、そのことを案じて父親が初めてアメリカにやってくる。娘はなかなか語ろうとせず、父はその無口さを責めるが、かつての父親も家庭で自分のこと、仕事のことを何一つ語らなかったではないかと逆に責められる。その途端に、秘めていた(はず)の自身の人生が甦り、後戻りできない事実にさいなまれる。父親はアメリカに来て、毎日近くの公園でイラン人の年配の女性とお互い、片言の英語とそれぞれの母国語で語り合う。言語は100%通じないけれど、不思議と言いたいことは通じ合う。過ぎ去った日々のあやまちは修正できない。だからといっていま嘆いても仕方のないことで、それが自身の人生だったのだ。ただ、いまいるのは異国の地アメリカであることにこの父親は大いに救われている。娘とは平行線だけれども、公園で出会った友人の存在にも大いに救われている。ことを早く解決したいけれども、人の生き方、ましてや娘の生き方など、そう簡単に自分の思うようにいくはずはない。

中国のことばに「修百世可同舟」というのがあるそうだ。誰かと同じ舟で川を渡るためには300年祈らなくてはならない、という意味らしい。この父親がイラン人の女性と異国アメリカで出会ったことについて、また、人は偶然親子になるのではないということを、このことばを用いて表している。こうやって互いが会って話すには長い年月の祈りが必ずあったと。親子ならば千年の祈りがあったのだと。どんな関係にも理由があるのだと。

また、この短編は、未知の中国を垣間見させてくれるとても興味深い作品だ。90年代の混乱の時期、私たち外国人には動乱についてのおおまかな情報のみ、見聞きされることだったが、何億という慎ましやかな中国の人々の日常がそこにはあり、時は流れたのだということにハッとさせられる。

2007/10/08

non title

家から1キロくらいのところに、いせさき市民のもり公園が数年前にできて、あまりに近すぎてほとんど行ったことがなかったのだが、昨日の夕方、マックを連れて散歩に行ってみたら、とても緑多い公園で、たくさんの種類の木々が植えられていて、芝生はとてもよく広がっているし、木々の間を散策できる遊歩道も整備されていて、こんな近くにいいものを作ってくれたと大いに感激したのだった。そして、今日はマックを置いてウォーキングがてらまた夕方に行ってみた。今日は公園内を2週してみた。途中、どこからか甘い懐かしい香りがしてきて、それはキンモクセイだった。この香りがこの時期だったこと、ここ数年忘れていたような気がする。外を歩かないと、季節のいろいろなにおいを忘れてしまう。

夏の間は暑くて外などとても歩く気分になれなかったが、ようやく涼しくなってきて、そうだ、これからはたまにはここに散歩に出かけようと思った。休日の日中は家族連れで非常に混んでいるようなので(駐車場はいつも満車の様子)、休日だったら夕方がよさそう。平日なら早朝(起きられたらの話だけれど)がいいだろう。

NYのセントラルパークのような洗練さはないにしても、うちから広瀬川にかかる橋を渡ってほどよい距離にあることを感謝しつつ、巡り来る季節を味わえる場所になることを期待しよう。

2007/10/07

No Reservations

映画「幸せのレシピ」を見る。

ドイツ映画「マーサの幸せレシピ」のリメイクで、ドイツ版があまりに秀作なため、見ようか止めておこうか迷ったが、NYが舞台というだけの理由で、見に行くことにした。いざ見始めると、細かなディテイルまでそっくりだったせいで、なんとなく安心して見ていられた。映画のしめくくりだけがちょっと違っていて、ハリウッド版のほうは見る側の想像どおりの展開となっていた。まあ、両者の違いなんかどうでもいいことだ。この類の作品を見るとき、私は登場人物の暮らしぶりとかファッションとか、そういうところにばかり気が行ってしまって、たまに字幕を読み損ねたりすることもある。たとえば、主人公のケイト(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)が仕事を終え、アパートに帰り、ドアの鍵を廊下のチェストの上の器に入れる動作や、コートを脱いで壁のフックに掛ける習慣とかに。そういう観点ではドイツ版もハリウッド版も興味が尽きなかった。舞台はNYのヴィレッジにあるレストラン、ブリーカー22という名前のレストランだ。ブリーカー・ストリートは、イースト・ヴィレッジからグリニッジ・ヴィレッジに伸びる通りの名前で、文化の香り漂う地域だ。近くにはNYU(ニューヨーク大学)などもある。この地域は、小さいながらもいろいろな国のレストランがあって、夜になるとたいがいの美味しいお店の席は埋め尽くされている。映画では、この周辺と、チャイナタウン、それにフルトン・マーケットくらいしか出てこないのがやや残念。さらにもう一つ言えば、相手役のニックのバックグランドをもう少し描くことによって、ケイトとニックがお互いをいかに必要としているかを強く表現できたのではないかと思う。子役は、ドイツ版よりも優れていたと感じた。

映画を見終わって食べたいと思ったのは、不思議なことだが、フランス料理ではなく、イタリアンであった。そんなわけで、久しぶりにトマトスパゲッティーを作った。

「幸せのレシピ」↓

http://wwws.warnerbros.co.jp/noreservations/mainsite/index.html

ドイツ版「マーサの幸せレシピ」↓

http://www.amuse-s-e.co.jp/martha/

2007/10/04

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200710020842000

今日は空がすっかり秋の高い空だった。構内も写真のように落ち葉が美しい。

それに反して、朝からドタバタと忙しく、唐突な仕事も入り、そのショックで耳鳴りがピタリと治まった。まるでしゃっくりを止めるときのように。良かったのか悪かったのかわからないけれど。

そんな超慌しいなか、お昼のひととき、ピノの話に花が咲く。ピノのホームページのこと、そこに「あの頃のピノ」というページがあること、ピノの由来って?ピノの誕生年は?など。私は「あの頃のピノ」ということばの響きにすごく可愛らしさを感じてしまう。

いろんなことがあった一日であった。

明日はどんな日になることやら。

残業をしていたら、ある先生がやってきて、「芸術新潮」のニューヨーク美術館特集版をくださった。これで、なんとか今日の辛さが緩和された。有り難いなぁ。

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