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2008/01/21

True Stories

ポール・オースター 著 

柴田元幸 訳

新潮文庫

日常のなかで偶然に何かが起こると、単なる偶然なんだろうなと思う場合と、他の何かの手によりメッセージとして起こった現象なのではないかとさえ思えるような信じ難い偶然(必然?)の場合とがあると思うが、この本に書かれているケースは、後者のことのように思えるような話が多い。

その中でも好きな話は、ガイドブックにも載ってないような小さなパリのホテルに著者が宿泊した際、電話が鳴りベッドに座って受話器を取ったときに、机の下に落ちていたある伝言メモ(普通では見えないような場所に落ちていた)が目に入り、それを拾ってみると、しばらく連絡をとっていないカナダの友人あてのメモで、偶然にも1時間前まで同じ部屋に宿泊していたことを知る、という話や、著者の知人F(詩人でありマティスについての世界的権威)がマティスの企画展をする際、世界中に散らばっているマティス中期5年間の全作品を集めなければならないが、どうしても1点だけ見つからなかったのだが、6ヶ月かかってやっと見つかり、その場所というのが自分から数メートルしか離れていないところにあった、という話。ニューヨークのカーライルホテルに住んでいるある人が所有しており、カーライルホテルはFのNYでの定宿。そして絵の所有者の部屋はFが予約することに決めている部屋のすぐ上。Fがその絵のことに考えを巡らせているとき、その絵はまさにFの頭上にあった、というのだ。なんとなく素敵なことだなぁ。

人は“偶然”とか“運命”に魅力を感じるところがあるが、それはどうしてなのだろう。少なからず自分にもそういうところがある。いまテレビのCMで(NTT Docomoだったかな)、男の子と女の子が携帯電話で世界のあちこちから会話していて、あるとき、旅先で歩きながらお互い携帯で会話をしていると、それはちょうどパリの凱旋門の前で、そこで“偶然”携帯を手にした二人が会うというのがあるが、私はあのCMが好きだ。人と人が出逢うことは偶然なのか必然なのか分からないが、“あのとき、あの場所に行かなかったら”とか“あのとき先にあの場所に寄らなかったら”とか、そんなちょっとしたタイミングのズレ如何によって、その後のことが大きく違ってくることがあり、そういうことに考えを巡らすことがよくある。今日も何かのタイミングのズレで何かを見逃しているかもしれないし、そんなの最初からないかもしれないが、とにかくひとつひとつのことをかみしめて生きていこうと思う。

話が反れてしまった。

オースターは、いろんな経験を積んでいて、彼のこれまでの足跡を読むのは面白い。経済的にどん底の経験もしていたりするのだが、文章中にこんな言葉がある。

“人間、とにかくどこかからはじめるしかないだろう”

ちょっと心に響いた。

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