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2008/02/29

leap year

今年はうるうどし。今日2/29は、だから特別な一日のように思える。

なるほど、朝、駐車場から歩いているとき、ひこうき雲を見たのも、きっと兆候だったのかもしれない。昨日とはうってかわって風もなく、太陽を横切って真っ直ぐに伸びていた。

2008/02/27

non title

昨夜は低気圧の影響で嵐の音がすごかった。夜中の1時ごろ風の音で目が覚めてしまい、眠れずテレビをつけたら映画をやっていて、引き込まれる。朝起きて、新聞のテレビ欄を調べたら「アリスの恋」という70年代のアメリカ映画だということがわかった。なんでだろう、古びていない。ハーヴェイ・カイテルがとても嫌な役で出ていたので驚いたが。子役がいい。また、ジョディ・フォスターが脇役で出ていて、まだ10歳ちょっとくらいだろうか、大人顔負けの演技であった。

映画も終わり、眠ろうとしたが寝つけず、確か甘酒があったな、と台所に下りていって鍋を温めた。カップに一杯飲んだら、すーっと眠りに入ったみたい。

昨日いただきものをして、包みの感じで板チョコかと思い込んでいて、開けてみたら本だった。うれしい。なぜならば、江国香織の「日のあたる白い壁」だったから。ハードカバーのほうは持っていて、今回単行本をいただいた。これならバッグに入れて持ち歩ける。繰り返し読みたい本。

Image1 開けてびっくり→Image2

今日帰宅すると、近江八幡市に住むK氏より絵手紙が届いていた。2100枚目のようだ。いつも、キリのいい番号のものを私に送ってくださる。K氏は以前私がアルバイトしていた会社(某住宅メーカーS水)の方で、いまは故郷に戻られている。

Image3 力強いタッチ。これを見たら元気出ました。

2008/02/26

non title

NHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」。2006年夏に放送された棋士・羽生善治の回の再放送。視聴者による「心に響いた流儀・第1位」だそうだ。今回番組を見て、その理由がすごくよくわかった。羽生善治という人の将棋の世界と向き合うその姿に、感動を覚えずにいられない。若くして頂点に上りつめてから10年が経ち、今もなお先の見えない孤独な挑戦が続いている。とかく若くして脚光を浴びた人が見せる愚かさは微塵も見当たらない。謙虚である。一局に勝ったときでさえ喜び勇んだりしない。静かに噛みしめ心に刻んでいる。

将棋というのは、ストレスを感じるものだそうだ。それは、一手一手を考える際、“これを指したらダメ”“これもダメ”…というようにダメな手を頭の中で全てつぶしていく作業が延々と続くからだそうだ。

将棋会館で自分よりもずっとずっとながきに渡ってその世界に身を置いている先輩方を見て、毎日将棋を指すことの苦悩を知っているがゆえ、それを自分よりもさらに長い年月行ってきていることに敬服しているところも素晴らしい。

30代になって瞬発力や思い切りの良さは以前に比べると衰えてきたが、若いころよりは将棋のことをより理解している、という点で勝っているという。

“全力を尽くしていることの充実感はある” とも。

「全力を尽くす」  忘れかけていた。いい響きだなぁ。

羽生善治にとって“プロフェッショナル”とは…

  揺らぎない人

だそうである。彼自身が真にそのお手本であると思えて、自然に目頭が熱くなってしまう。

それから、彼の「最後は直感を信じる」という言葉も響いた。その直感とて絶え間ない努力の継続から信じられるものになるのだろう。

なんだろう、この人を見ていると「人はこんなふうに成長できるのだ」と、思わずにはいられない。すごい人なのに、私のような凡人にも近く感じられ、共感できるのだ。

2008/02/24

Evening

「いつか眠りにつく前に」 アメリカ映画

http://www.itsunemu.jp/

映画に出てきた1950年代の海辺の別荘がいつまでも心に残る。ふと、エドワード・ホッパーのコッド岬のいくつかの作品を思い出した。

主人公の女性は病に倒れ臨終を迎えるとき、いつかの親友の結婚式で出逢い恋に落ちた人を思い出す。しかし、ある悲劇が同時に起こり、その衝撃により二人はそれぞれ別の人生を歩むことになる。その後の彼女の人生が不幸だったわけではないと思う。誰にでもあるのではないか、忘れられない恋というものは。時が経っても鮮明に思い出すことができるような恋。それはいつか、心の芯のようなものに姿を変えて人生を共にするのかもしれない。決して未来を邪魔するものとはならずに。うまく言えないが、そんな映画であった。

主人公アンの若い頃を演じたクレア・デインズが光っていた。

この種の映画は最近よくある手法で、老人が現在から過去に思いを馳せるというものだが、人はいずれ老いる運命にあり、それは誰もに平等にやってくるがゆえ、作品として受入れられ続けるのだと思う。

2008/02/17

若き数学者のアメリカ

藤原正彦 著

新潮文庫

70年代はじめ、数学者の著者がアメリカの大学で教鞭をとっていたときのエピソードを綴ったエッセイ。当時のアメリカの大学の様子を知ることができるだけでなく、ユーモアたっぷりの体験記となっている。ところどころ吹き出しそうになるほど面白い。

アンネ・フランクの記憶

小川洋子 著

角川文庫

書店で偶然目にとまり、購入、一気に読んだ。とても驚いたのだが、著者は子供のときに「アンネの日記」を読んで作家になりたいと思ったということだ。「アンネの日記」を純粋に“文学”として読んだということなのだ。そのことをアンネ・フランクが知ったら、きっと喜んだだろうと思う。確かに、日記の文体は生き生きと綴られ、文才が至る所に光っている。ただ、一般的に日記の読者は、ナチスドイツの迫害にあったユダヤ人少女が隠れ家生活において書いた日記、というところの興味からこの日記を読んでいるのに対して、小川洋子さんが、先入観なく日記のとりこになったというところが「アンネ・フランクの記憶」を成り立たせている。この本を執筆するに際し、著者はアムステルダムのアンネ・フランク・ハウス(隠れ家)、フランク一家が隠れ家に入る前に住んでいたメルヴェデ・プレイン、協力者ミープ・ヒース、親友だったジャックリーヌ、アウシュビッツ収容所などを訪ね、取材している。

この本の内容は、これまで私自身が疑問に思ったり、考えめぐらせていることと共通する部分があり、非常に興味深く読めた。

フランク一家が隠れ家にいる間、協力した人たちのうちの、ミープ・ヒースについて。小川さんの取材旅行に同行した編集者と通訳の人が「ミープはアンネの父オットーに恋愛感情を抱いていたのではないか」という問いかけをしている。実は私も同様のことを想像していた。小川さんの考えはそれを否定している。ミープは、オットー個人に対してではなく、オットーが築いた家庭そのものに対してあこがれていたのではないか、というのが著者の考えだ。でも、私は、オットー・フランクの人柄を想像するとき、ミープが彼に惹かれた可能性はありうるといまだに考えることがある。

日記を読むかぎり、アンネの母親エーディットはアンネが心を通わせることがあまりない冷たい人格のように読者には捉えられがちだが、小川さんは客観的に捉え、この状況下での母親の心情について同情的な見解を述べている。そんなところにも、この本の価値が見出せる。

メルヴェデ・プレイン。隠れ家に入るまで一家が住んでいた場所。プレインとは広場の意。著者はここも訪れている。実は、昨年アムステルダムのアンネ・フランク・ハウスに行ったときに、そこで買った本をホテルで読んでいて、そのメルヴェデ・プレインの写真が掲載されていて、そこがアムステルダム市内でホテルからもそう遠くないような位置と知り、行ってみたいような気持ちになったのだが、そのときは躊躇してしまって、この本でその付近の様子について知ることができて、自分ができなかったことがここに達成されていることにお礼を言いたいほどである。

アウシュビッツについて。これまで様々な写真やドキュメンタリー番組などを通じてこの強制収容所について見聞きしてきたが、それらは、まるで映画でも見ているかのような、現実からかけはなれたところにあり、“信じがたい”というところでとどまっていたのだが、今回、小川さんが綴ったありのままの感想を読むと、まるで自分がそこに居るかのような感じがして、震えてしまったし、怖さなのか悲しさなのか、それとも両方が混ざり合ったものなのかわからない感情からくる涙が止まらなかった。

アンネ一家はなぜドイツから逃れ、スイスではなくアムステルダムに行ったのか・・・とか、もし一家が密告により見つかってしまうのが、あと一ヶ月遅かったら・・・とか、そんなことをつい考えてしまう。

↓昨年の旅行でアンネ・フランク・ハウスを訪ねたときの記録

http://megumi1966.cocolog-nifty.com/megumi/2007/09/amsterdam_4.html

アンネ・フランク・ハウスで、アンネのあの日記が展示されているところでの出来事をふと思い出した。私はひとりだったので、無言でガラスのケースに収められた日記帳に目を落としていた。オレンジ調のチェック柄のあの日記帳に。ほかに、どちらの国の方かわからなかったが、女性が2人(連れ合いではなさそうだった)、同じようにガラスケースの中を見入っていた。すると、そのうちの一人が小さな声で「Kity!」と言った。私たちに向かって。それはまるで共通語のようにすぐにその日記を取り巻く私たち3人に笑顔をもたらした。キティとは、アンネが日記で語りかける架空の親友の名前である。

non title

最近の出来事

相変わらずBon Jovi ばかり聴いている。通勤の車でも寝る前のひと時も。部屋にいるときは、Lost Highway のDVDが多い。ちょっと前までは、さらりと聴けるジャズのCDばかり買って聴いていたのだが、Bon Jovi で急に以前の自分に回帰したように思える。このアルバムは私の好きな(10代の頃あこがれていた)アメリカが詰まっていると思えて、愛着を感じてしまう。いつかアメリカでのBon Joviのライブに行けたらいいなぁと淡い夢を見ている。

映画「ウェイトレス~おいしい人生のつくりかた」を見る。感想に苦慮する。シリアスなストーリーかと思っていたが、まるでコメディーであった。星ひとつ。

金曜の朝、ひどい頭痛で目覚めた。直前に見ていた夢が原因と思われる。それは上司と大喧嘩して部屋を飛び出すというものだった。しかし、その日の上司はなぜか上機嫌であったので、なんだか拍子抜け。

ある人のお墓参りに行く。大好きだったビールを1本供える。今月の28日が命日。

2008/02/11

non title

自宅近くにフィガロという名前のレストランが数年前にできて、2回ほど行ったことがあるが、普段通りかかってもあまりお客さんがいないように見えて、大丈夫かな、とちょっと心配している。メニューはとてもシンプルだが味は良いと思う。軽井沢から移転してきたと聞いた。建物はとても今風とは言えず、20年くらい前までだったらこれでも大丈夫だったろうな、という佇まいだが、私はなぜかこのレストランが好きである。低予算でしつらえた内装がややもの悲しさを含んでいるが、それを補うようにして薪ストーブが自然な暖かさをもたらしていて、入口入ったところのテーブルに置いてある数冊の本も、料理を待ちながら読みたくなるようなものを(私好みのもの)を置いてある(たとえば、シャーロック・ホームズの時代のロンドンの写真集など)。そして、通りかかったときに中を覗くと、お客さんがいなくても、いつもじっと姿勢を正して、きちんとした服装と髪型でいるオーナー(?)の女性が、そのレストランそのもののように思えて好感がもてるのだ。それから、音楽のセンスもよい。

母もここがお気に入りらしく、お稽古事に行った母を車で迎えに行った帰り、「フィガロでお昼食べようか?」と言い出し、さらに「今日は建国記念日だからランチもいいじゃない?」などと言うので可笑しくて、でも確かにそうだ、と思い立ち寄った。私はロールキャベツのランチセットを注文。薄味だがボリュームあって満足。今日は古いジャズが流れていた。

このレストランの建物は、その昔、同級生の男の子の両親が喫茶店をやっていた建物。その後、こんなふうに姿を変えるとは当時思っていなかったなぁ。時の流れを感じる。

2008/02/07

Broadcast News

ブロードキャスト・ニュース 1987年 アメリカ映画

あらすじ

ワシントンTV局の敏腕女性プロデューサーのジェーンは、ニュース・ライター兼レポーターのアーロンと共にその才をふるっていた。しかし地方局からワシントンへやって来たアンカーマン、トムの出現は二人の関係に微妙な変化を及ぼしていく。トムは機敏な才覚をもって、次第に出世していく。ジェーンは、トムとの結婚を考え始めるが……。TV局報道センターの内側を描くと同時に、女一人男二人の三角関係をさらりと描いた人間ドラマの秀作。ハート、ハンター、ブルックスすべて好演。ジャック・ニコルソンがベテラン・アンカーマンとして友情出演している。(allcinemaより)

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80年代の映画のなかでも大好きな作品。久しぶりにビデオで見た。この映画は、友情、恋愛、仕事の3つがどれもがメインテーマとなっている。個人的には、アンカーマンとしてトム(ウィリアム・ハート)がテレビ局にやってくる前の、ジェーン(ホリー・ハンター)とアーロン(アルバート・ブルックス)の絶妙なコンビネーションが好きだ。あうんの呼吸というか。ジャーナリズムに対する二人のポリシーがこの映画の主軸を成している。

トムとアーロンの違いは、矛盾ばかりの現代社会の縮図とでもいおうか、要するに、実力だけでは出世できないとか、たまにはズルしても結果オーライとか。それをトムを見て知るのだ。世の中はトムのように器用にスルスルと、かなり運も見方して進める人もいるのだと思い知らされる。でも、私は不器用なアーロンに惹かれる。だから自分の居場所を求めて地方の局へと潔く去るアーロンに拍手を贈りたい気持ちにいつもなる。しかし、ジェーンは器用なトムに惹かれる。彼女はキツイが魅力的な人物で、この映画を見た誰もが思うと思うが、妥協しない、最後まで最善を尽くすところ、身につまされる。その思慮深さや知識の豊かさがニュースのプロデューサーとして大いに発揮されている。最初のほうの、戦地から帰ってきた兵士のレポートの場面で、ノーマン・ロックウェルの絵をインスパイアしたところなどすごい。そういう引出しを沢山もっている人を演じている。

最後に・・・番組で視聴者の感動を呼んだトムのレポートのシーンの撮影方法に疑問をもったアーロンが、ジェーンにその疑問をぶつけて、ジェーンは編集前のテープを見る。すると、なんと、トムはニュース番組にもかかわらず、自身の涙を演出していた、という事実をジェーンは知る。このことがジェーンのトムに対する信頼を一気に崩壊させる。どんなに妥協しても、この部分だけは許せないのだった。プロとして。

7年後、3人は再会する。それぞれがそれぞれの居るべき場所でがんばってきたから、堂々として再会できている。少し成長して。

それから好きな場面は、ジェーンがタクシーに乗る場面。運転手にこの時間帯なら、どの道が最適か伝えるところ。

いい仕事は一人ではできない。チームワークが大切だ。映画のなかのテレビ局の社員の奮闘ぶりをみて、自分もチームワークでもっともっといい仕事をしたいと思う。そういうふうにできたときって、やっぱり充実感が倍増するし、かかわっているみんなが気分いいと思う。気分がよければ、次の仕事もきっとうまくいくものだ。

2008/02/04

rain

仕事を終えて外に出たら雨が降り始めていた。すぐに傘を取りに行けたのだが、今日は雨にうたれても構わないと思って、そのまま濡れながら歩いた。甘い飲み物が飲みたくて地元のスタバに寄る。店内には他にお客がいなくて(こんなことは、ここ5、6年通って初めてだ)、かかってる優しいジャズの音がカラダにしみこんでくるようだ。今日は、あらゆる場所で、あらゆる気持ちがほとばしってる、そんなような一日。

2008/02/03

non title

朝、窓の外を見たら一面雪で、天気予報を見てなかったので、びっくりしたが、日曜でよかった。

200802030648000 朝6:30ごろ 部屋の窓から

ラオスの友人と今年初めてのメールのやり取りをしていて、今日は雪が降ったと知らせたところ、あちらの気候について教えてくれた。

(メールを一部掲載します)

こちらは例年だと乾季の真っ最中というところですが、この1週間は日本の梅雨のような粉糠雨が降り続いています。この時期に、雨が降ること自体異常だし(例年より降り始めが1ヶ月早い)一日中降り続くのも極めて異例で、地球環境の変化、温暖化がラオスにもまともに現われているという感じです。ただ、熱帯に属するラオスでは、今の時期、半袖でも寒いと感じることはほとんどありません。気候的には日本より過ごし易いですよ。

2008/02/02

Lust Caution

ラスト、コーション 2007年 

製作国 アメリカ・中国・台湾・香港

オフィシャルサイト↓

http://www.wisepolicy.com/lust_caution/

今年のベスト映画になるかもしれない。私はあまり映画監督を意識しないのだが、この作品の監督アン・リーについては別だ。「ブロークバック・マウンテン」といい、今回の「ラスト、コーション」といい傑作。

日本による占領下の上海、同時代の香港の様子を堪能できるばかりでなく、当時の中国人にとって、日本がどんな存在だったのかを理解する一助になる映画だ。今もなお抗日は消え去らないけれど、彼らにとってどれだけ深い傷となったのかを見た思いだ。

また、なんといっても、主演のトニー・レオンとタン・ウェイがこれ以上には考えれられない素晴らしさだった。緊迫感のなか、惹かれあう男女の心の動きを繊細に演じきっている。

それから、戦時下といえ、上流階級がまとう衣装や調度品にも目がいく。

クレジットが流れてから、ジワーっときて、訳もわからず涙が出てきた。

Reign over me

「再会の街で」 2007年 アメリカ映画

オフィシャルサイト↓

http://www.sonypictures.jp/movies/reignoverme/

あらすじ

キャリアと愛する家族に恵まれ、誰もがうらやむ順風満帆な人生を送るニューヨークの歯科医アラン(ドン・チードル)。ある日、彼は911の飛行機事故で妻子を亡くし、消息がわからなくなっていた大学時代のルームメート、チャーリー(アダム・サンドラー)を街で見かける。元歯科医のチャーリーは、今や世捨て人のような生活を送っていて……。(シネマトゥデイ)

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感想

映画を見終わったとき、本当の友情ってなんだろう?と考えてしまった。とかく“同情”に走りがちな友情が多いが、思いも寄らぬ大変な精神状態のときには、その同情がかえって邪魔になるのではないか。それよりも相手を“理解する”ことができるかどうかなんだと思う。そして、一方的ではなく、“自然に”自分の悩みや問題などを、病んでいるかもしれない相手に話せるくらいじゃなきゃ本物じゃないかもしれない。そういうやり取りのなかで、相手がいつしか心をほぐしていけるならば、それが本物。

冬のNYが舞台。チャーリーが飛ばすスクーター(立ったまま乗るタイプ)が街を駆け抜けるシーンはイカシテいる。音楽もクール。

この映画の見所は、やはり一番はチャーリーの本当の心の内がどうなのか、というところだろう。亡くした家族のことに触れたがらない彼は、暴力的で救いようがないように思える。しかし、やり場の無い究極の悲しみの前にあっては、必然と言える状態なのだ。最後に、彼が「写真なんか見なくたって、妻や子供の顔は思い出せる。街を歩いているみんなが妻や子供たちに見えるんだ。」(正確ではないが、こんなセリフだったと思う)と心の底から湧出るような言葉で言うシーンには心打たれる。

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