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2008/03/30

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久しぶりにAimee MannのCDを聴く。Lost in Space。やや気だるい感じで、ひとりで考え事などするときに聴く一枚。それから、Stein Gets のRound Midnight を続けて。

昨夜、偶然見た番組、NHKBShi「世界のダンディー30人」は実に面白かった。奥田瑛二の司会で、姜尚中,鹿島茂,高橋源一郎,佐野史郎,ピーター・バラカンが、それぞれ政治、芸術、文学、俳優、音楽の世界から独断と偏見で各5人づつ選んできて、語り合い、各ジャンルのナンバーワンを決め、さらにそこからナンバーワンを選ぶ、という企画。まず、出演者のダンディーの定義に興味を覚える。姜尚中は“一貫してナンバーツーの座を意識した政治家、革命家”と定義し、テェ・ゲバラ、周恩来、エドワード・サイード、後藤新平などをあげていた。鹿島茂という人は芸術の分野を担当し、“それまで誰もやらなかったことに挑戦し伝説となった人”ということで、ダリやウォーホルなどをあげていて、ダンディーからその二人を選んだことを意外と思うと同時に、そんな見方もあるなぁ、と納得させられた。そのほか、吉行淳之介や太宰治、金子光晴、マイルス・デイビス、ジョン・レノン、マストロヤンニなどがいて、結果、世界のナンバーワン・ダンディーはエドワード・サイードということとなる。サイードについては不勉強でついていけなかったが、これらの知識人たちが世界一のダンディーと称えたサイードについてもっと知りたくなり、早速ニ冊本を注文してみた。

ここのところ、眠る前に読んでいる本「ニューヨーク街路劇場」(粉川哲夫著 1881年刊行)に“マクドナルドとマックダーナルドの差”というタイトルのエッセイがあり、それを読んで、自分自身が初めてNYに行ったときのある場面を思い出した。現地に着いてから、グレイラインツアーのオフィスに行って、半日市内観光に申し込み、参加したときのこと。朝、オフィス前から出発したバスは、もちろんガイドは英語で、日本人は私たちしか乗っていなかった。ダウンタウンのフラット・アイアン・ビルとチャイナタウンに立ち寄り、バッテリーパークでバスを降りて、自由の女神に行くためにフェリーに乗り込んだ。ガイドはバスで待っているようだった。失敗したのは、なぜだかわからないが、バスへの集合時間を確認しなかたことだ。私たちはある背の高いおじさんを目印に行動していて、なんとなく大丈夫だろうと高をくくっていた。ところが、である。リバティー島でこともあろうか、私たちはそのおじさんを見失ってしまったのだ。途中までしっかり列の前方に見えていたのに・・・(いま思えば、その人は最初から私たちのように階段で上らず、途中の展望台までしかいかないエレベーターに乗ったのかもしれない。)でも、まあ大丈夫だろうと、しっかり自由の女神の頭頂部までだらだらと螺旋階段を上り、たくさん写真も撮って、フェリーでバッテリーパークまで戻った。そしてバスはとっくの昔に出発していた、というわけである。そのあと回るはずだったところはどこだったか、思い出せないが(多分国連ビルあたりか・・)、仕方がないのでタクシーを拾うことになる。ひとつ悔やまれたのは、バスのなかに折りたたみ傘を忘れてきたことだ。私たちはすっかりおなかも空いてきて、本場のマクドナルドとやらに行ってランチにしようということになり、タクシーの運転手(黒人女性だった!)に、ここから一番近いマクドナルドに行ってください、と頼んだ。だが、ぜんぜん通じない。何度も何度も言ったが、まるで通じない。そして、彼女は紙に書くよう言った。そして言った。「オー、イッツ マックダーナルド!」と。この場合、「ダ」にアクセントがある。そして、無事に私たちはマックダーナルドに到着。私はチーズバーガーとオレンジジュースを注文した。ところが、その店はものすごく雰囲気の悪い店だった。店員がまるで愛想がなく、やる気もない感じ。どんよりしていて怖いほどだった。そして、期待に胸を膨らませて食べたハンバーガーはまずく、オレンジジュースは味が薄くて甘さだけはある砂糖水のようであった。かくして私たちはいろいろな失敗を重ねていくのだった。でも、タクシーの細身の黒人女性ドライバーは、ハートのある人だったなぁ。タクシーを降りるとき「ハッピー・バレンタイン!」と言ってくれた。折りしもその日は2月14日で、バレンタインと自由の女神とマックダーナルドと素敵なタクシードライバーは、私の記憶の同じ引き出しにしまわれている。

2008/03/26

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あー、旅に出たい気分だ。

職場と仕事から遠く遠く離れて、それらとはまったく関係ない景色の中を移動したいな。

明日は振替休暇だが、仕事を持ち帰ってしまう。髪を切りに行ったり、何か一つは特別なことをして、それから市立図書館にでも行って仕事しよう。電話がかかってこないだけ捗ることを期待して。でも、その前に朝はゆっくり寝ていられる。

いま行きたいところ、思いつくままに。

ニューヨーク

フィラデルフィア

サンタフェ(オキーフ美術館)

アリゾナ

プリンスエドワード島(カナダ)

香港

コスタリカ

フィンランド

ボストン

この前、久しぶりに「赤毛のアン」について思い出していた。小~中学生くらいのときに、ご多分に漏れず私もその小説にはまっていた。アニメも見た。あの小説が好きになった人は、一度は行きたいと夢見るカナダのプリンスエドワード島。子供のころは主人公アン・シャーリーの気持ちになっていたものだが、大人になってこの本を思い出すと、アンの里親となったマシューとマリラ兄妹のアンに対する思い(愛情)に共感を覚えることに気付く。男の子を養子に欲しかったのにやってきたのは女の子。でも、その女の子が二人にとってかけがえのない存在になっていく様子が生き生きと描かれていた。本棚を探したら奥のほうに見つかって、いまパラパラと見ている。そして、読者の誰もが好きな場面はすぐ見つかる。ひとつは、極度の引っ込み思案のマシューが、アンへのクリスマスプレゼントに、(マリラに内緒で)当時女の子の間で流行していた大きなちょうちんのようにふくらんだ袖の洋服を手に入れるために奮闘する場面。もうひとつは、過労で疲れているマシューにアンが「もし私がマシューが養子にほしかった男の子だったら・・・」というと、マシューが「わしは1ダースの男の子よりお前がいいよ、アン」と言う場面。この少しあとにマシューは発作でこの世を去る。ここのところでは、私、本を読んでいて大泣きした覚えがある。マリラはマリラでとても堅実派でアンのしつけに厳しいのだけれど、アンの不思議な力で、知らず知らずのうちに張り詰めている心を開いていくのである。人間味を取り戻していくような。例えると、真冬の屋外で氷点下、手袋をしないでかじかんでしまった手を、家に帰ってぬるま湯につけるとジワーっと温かみがもどっていくような感じだと思う。マリラはまさにそんなふうに変化する。

本の間にメモが挟まっていて、それはノートの切れ端にピンクのペンで書かれていた。恐らく学生時代のサークルの先輩(M先輩)に貸したものと思われる。署名はなかったが、思い出した。

メモの内容・・・・・・・・・・・・・・・・・

“赤毛のアン”どうもありがとう。

ほとんど2日くらいで読んでしまいました。

感想は、とーっても すてきでした。

やっぱり日本文学にはない自由や明るさなど

たくさんの外国文学のいいところをわからせてもらったようです。

“赤毛のアン”はアンとギルバート・ブライスがやっと仲直りするところで

終わってしまうから、ぜったいその続きが読みたい!って思ってます。

もっと若い頃、つまり中学生や高校生ぐらいの時に

これを読んでいたら・・・もっと夢みる少女、空想の世界に生きて

いられたんじゃないのかな、なんて考えます。

あなたはいつ頃読んだのですか?

でも、アン・シャーリーに少なからず影響されていたところは

あるんでしょー?

とにかくよかったな、この本は。

ほんとにありがとー

・・・・・・・・・・・・

影響されていましたとも。憧れていた、というのが正確かな。アンと親友のダイアナが、夜お互いの家の部屋の窓辺から明かりの明暗で合図し合ったり、自然のいろいろな場所にアンが名前をつけたり、そういうことにあこがれていたように思う。

さて、今日はこのへんで。

2008/03/24

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今年も構内のモクレンが満開を迎えた。

あの柔らかい色合いやかたちには、どうしたって惹かれてしまう。

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2008/03/23

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最近の出来事

先週は3回送別会に出席。それぞれにいろんな思いがこみ上げてくる。そのうちのひとつは留学生の送別会で、留学生にかかわりはじめての最初の子たちがいよいよ卒業ということで、久しぶりに顔を合わせた。たいしたことはしてあげられなかったけれど、たとえば、中国と韓国の留学生が“日本語”で楽しそうに会話している姿を見て、よかったな、と思う。いざ、彼らとお別れとなると、今度いつ会えるかわからないし(もう会うこともないかもしれない)ジーンときてしまう。みんな元気でね。

昨日は満月だった。夜、車を走らせ家に向かう途中、陸橋から東に向かって月を見ながら下るときに、月と地球の関係がその距離感を含めて感じられた。高いところから見たからだと思う。月とか虹とか夕焼けなど自然や天体そのものを見たときの感動って、そのときの自分の気分(楽しさや悲しさや・・)と絡み合うように思う。

Image 3月22日の満月

クレジットカードのポイントを初めて商品と交換した。こういうことに無頓着なところがあり、ずっと面倒がってポイントは溜まる一方だったが、いざインターネットで交換しようと試みると、思いのほか簡単であった。いろいろ悩んだあげく、ポイント全部は使わず、堅実に魚沼産コシヒカリにしてみた。(ロマンがないかな・・)クレジットカードに限らず、スタンプカードなんかも苦手で、毎回レジでもらいなおしていたりする。最近では面倒なので断ることも多い。映画館のポイントカードはがんばれば溜まるのに忘れてきたりする。(この場合はちょっと後悔する)

またまた本をいただく。常盤新平の「酒場の時代~1920年代のアメリカ風俗~」という本。禁酒法についてちょっと興味を覚えてきた。

スターバックスで久しぶりにケーキを食べた。ほうれん草とトマトのケーキで、意外に美味しかった。ケーキやシナモンロールなどを食べるときは、ラテなどよりやっぱりコーヒーがいい。

Cake ベジタブルロール \360

ムースとかヘアワックスはあまり使わないが、たまに必要となり買ってみても、気に入らず使い切る前に捨ててしまうことがしばしば。でも、これは優れものと思う。メンズなのだが、自然でベタつかず気に入っている。(恵比寿の三越の化粧品売り場の一角で薦められ購入)

Image資生堂メン ヘアワックス \2,000

2008/03/22

My Blueberry Nights

待ちに待って見に行ったという感じだ。

NY、ロードムービー、ジュード・ロウ、ノラ・ジョーンズ、ウィノナ・ライダー・・・私の興味がそろいすぎている。普段あまり気にしないカメラワークというものでさえ、イカシテイル。ウォン・カーワイ監督のファンになってしまった。

ノラ・ジョーンズは主役でありながら、脇役のようにも思える。とても控えめな役柄のせいか、ウィノナ・ライダーやレイチェル・ワイズの存在感と演技力がすごいせいか・・でも、ジョーンズは存在感を放っていると思った。おそらく「目」のせいか。意思が強そうだが、優しさも秘めていて、物事の本髄も理解できるようなタイプの人間を彼女の目がよく表現していた。

NYはジェレミー(ジュード・ロウ)が経営するカフェの店内と店の前、それにエリザベス(ノラ・ジョーンズ)の恋人のアパートメントくらいしか出てこない。いつもの映画に出てくるようなNYの街角の雰囲気ではない。カフェは高架の近くなのか、よく電車の音と高架橋を走る電車が出てきていた。映画のなかでエリザベスが“地下鉄でブロンクスまで行ってしまった(乗り過ごしてしまった)”というシーンがあるので、おそらくカフェはレキシントンアヴェニューを北上したハーレムあたりか。

ジェレミーが自分で吸うタバコを自分で巻くというところとか、カフェに来る客が置いていったり預けていって忘れられたキーを捨てずにビンのなかにいくつも保管していたり、防犯用のカメラで録画されたカフェの様子を“目の前でおきていたことなのに多くのことを見落としている”という言葉などに、(その人間性に)とても惹かれる。

メンフィスのバー。アメリカのあのような街のあのようなバーは、きっと今も昔も変わらないのだろうなぁ。場末のバーは悲しくてどうにもならない人々の人生そのもののようにも見える。でも愛も詰まっているように思えた。

エリザベスとウィノナ・ライダーがドライブするシーン。それはまさに私がいま行きたい風景そのものだった。ラスベガスから二人が2台の車で前後に走り、やがて道が二股に分かれ、手を振りながらそれぞれの道に進むシーンはいつまでも残像となっている。

ストーリーに意外性はない。

すべてのシーンから余計なものはそぎ落とされている感じだ。あまり多くを見せず語らずだ。

映像が少し“濃い”ように感じた。それがアメリカっぽくて好きだ。

マイ・ブルーベリー・ナイツ http://www.blueberry-movie.com/

ノラ・ジョーンズがブレイクする直前に東京国際フォーラムでのライブに行ったのは何年前だっただろうか。そのときは彼女が映画に出るなどとは想像がつかなかった。なかなかの才能のある人である。

2008/03/13

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症状は軽いものの、今日は花粉がたくさん飛んでいたようで、くしゃみと目のかゆみが大変だった。会う人がみんな同じことを言っていた。

お風呂あがり、お酒を飲めない私がここのところずっと飲んでいるのが野菜ジュース。

一気に飲む。

お気に入りのグラスで。

2杯くらい。

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イッタラのグラスで飲むと、とても美味しい。

2008/03/12

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3/11のNHKの番組「プロフェッショナル」は心臓内科医の延吉正清さん。心筋梗塞や狭心症など心臓を動かすための血管が詰まることで命を脅かされる病気を治療する専門医。足の付け根からカテーテルを入れて心臓の冠動脈まで持っていき、指先の感覚で詰まりに針を通し、もし通れば更にそこをバルーンで広げるという治療の第一人者だそうだ。この病気は、実は父が数年前に受けたもので、そのときのことを重ねて見てしまう。父は、軽い発作を起こして病院に何度となくかかっていたが、基本的な検査で何も異常がなくて様子をみる、ということで数年が過ぎたのだが、やはり症状は重くなる一方で、ある朝の発作で、とある別の病院に連れて行ったところ、「発作があったということを聞いた限り、入院してすぐに精密検査をします」とおっしゃってくれて、ようやく原因がはっきりしたのだった。そして、今回の番組とまったく同じ治療を受けた。そのときは、血管が通るか通らないかは五分五分と言われた。結果、治療は成功し現在は何事もなかったかのようにスポーツまでしている。担当医の技術は病院内でも定評のあるもので、私たちの耳にも届いた。その先生に当たって本当によかったと、またその病院の方針に心底感謝した。

患者はすがるような、祈るような気持ちで病院に行くのだ。だから、医師はそのことをちゃんと受け止めて最善を尽くしてほしい。相対的な見方ではなく、一人一人を見てほしい。番組の延吉先生は、ある治療を施したがうまくいかなかった患者さんに対して、1年間投薬治療をして、1年後もう一度トライさせてください、と自らお願いしていた。こんなお医者さんがいるだろうか。さぞ、患者さんとその家族は嬉しかっただろう。それだけで、その安心感だけでも少し回復するのではないかとさえ思えるほどである。

延吉先生にとってプロフェッショナルとは、「難しいことを簡単に行うこと」。とても緻密で難しい命に関わる治療を、技術を磨いてできるだけ人体に負担のないように行うことを心がけているのだろう。

それから、後継者の育成に力を注いでいるという。技術は見て盗め。弟子たちは真剣な眼差しで延吉先生の技術を我がものにしようとしていた。医療は特殊だ。より進歩すること、高い能力や技術者がいればいるほどいい。何人いれば十分という世界ではない。それを延吉先生は叫んでいるように思えた。

2008/03/11

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最近の出来事

3/9に留学生のスピーチコンテストが太田市であった。本学からは2名の留学生が参加。二人とも緊張していたけれど、留学での良い経験になったのではないかと思った。偉いなぁと思う。日本語のS先生もかけつけてくれて「もし自分が英語でスピーチするのに、こんな大勢のネイティブの前だったら、すごく緊張する」とおしゃっていて、確かにそうだ、と思いうちの留学生を一層誇らしく思うのであった。

コンテストのあと、S先生とおしゃべり。4時間は越えていたかも。

ある支払いの件で、請求漏れがあったとの連絡を受け、せっかく支払いを終え、収支決算報告までしてしまった後だったので、ちょっと怒る。(その様子を見ていた上司が、あとから「すごく激怒していた」と大袈裟に言うものだから、職場で大笑いになる。)しかし・・・その支払い先、要領悪いなぁ。そういうことをやっていると顧客を失うのではないか、と思う。一応、幹事の先生にも相談したところ、笑いながら「まあ、支払ったほうがいいでしょう」と穏やかに申されて、自分の心の狭さに気づかされる。いかん、もっと大きな心でいなければ。

映画「スタンド・バイ・ミー」を無性に見たくなっている。なんでだろう。たぶん、ブルーベリーパイのせいだ。昨日読んでいた新聞にウォン・カーワイ監督の新作「マイ・ブルーベリー・ナイツ」のことが書かれてあって、それに、パイのなかでアメリカ人に一番不人気なのはブルーベリーパイだと書かれてあった。本当だろうか。

2008/03/06

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両親の結婚記念日だということを思い出し、仕事帰りに何か買って帰ろうと、花束にした。普段、あまり素直に言葉で表現できないので、こういうときは日頃の感謝の気持ちを伝える良いチャンスなのだ。イオンの中に入っている花屋さんのセンスが好きで、たまに利用するのだが、今回も優しい色使いで素敵な仕上がり。

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思えば、両親が出逢わなければ、私は存在しなかったのだ。花を渡したら笑顔になった二人を見て、しみじみしてしまった。いつまでも健康で。

2008/03/04

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構内にあるモクレンが日に日に芽をふくらませている。

でも、今日通りかかったらつぼみが、ひとつ落ちていた。大きな乳白色の花を咲かせるはずだったのに・・・ つぼみの表面はふわふわしていて触るとあたたかい。まだ生きているかのようだ。また、来年、代わりの芽が必ず出ますように。

2008/03/03

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まだまだ寒いのに、同時に春も感じる。3月は明らかに2月とは違う。

ここのところ、読書からやや離れて映画ばかりだ。昨夜DVDでウッディ・アレンの「マンハッタン殺人ミステリー」を見てしまう。これぞWアレンの真骨頂。彼が真顔で言う早口のセリフには大笑いしてしまうところがいくつもある。それから、やはりマンハッタンの景色に興味津々。レストランやカフェは、映画用のセットではなく本物を使っている。たとえば、TIME CAFEというのが出てくる。画面にちょっと現れるお店の外観ですぐにわかった。それはグリニッジ・ヴィレッジのはずれだったか、イースト・ヴィレッジだったか、二度行ったことがある。宿泊していたアパートメント・ホテルの経営者に、近くで美味しく食事できるところを聞いたら、そこを教えてくれたから。オーガニックの食材を使っているとかで。Wアレンの映画では、そんなところで妙に感動する。

今夜もテレビをつけたら「カサブランカ」をやっていて、すっかり見てしまった。古い映画はあまり見ない私だが、これだけは別。(特別)

2008/03/02

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昨夜、衛星放送で映画「いまを生きる」があって、何度見たことだろう。最後のあのシーンは私の核となってしまっている。(何度、日記に書いたことか)

映画のなかでキーティング先生が、医学や数学など世の中の役に立つ学問もとても大切だが、文学や芸術は、人生を豊かにするために重要だ、と生徒たちに話す。そして、生徒たちはたちまち彼の魅力に引き込まれ、人間らしさを取り戻していく。映画の中心となっている生徒たちのうち、チャーリー(ヌワンダ)が光っている。私はこういうタイプの人間にぐっとくる。悪ふざけをして放校処分を受けそうになったチャーリーに、キーティング先生が「無茶をするとこの学校での恩恵を受けられなくなるぞ」と言うと、チャーリーが「この学校での恩恵って何ですか?」と質問し、キーティング先生が「私の授業を受けられなくなることだよ」と答えると、「確かに」と言わんばかりにチャーリーがこわばった顔を緩ませるところなど、いいシーンが散りばめられていることに改めて気づく。

最後の生徒が机の上に立つシーン。何のためらいもなく、あの行動ができる人間で自分もありたいと思う。人が人に抱く敬愛、信頼は誰にも壊すことができないものなのだ。

バーモントという土地の秋の美しさ、冬の雪の風景はニールの死とともに見せるが、それさえも美しい。悲しみ(人の死)は、皮肉なことだが風景の美しさに追い討ちをかける。

なんだかアメリカに旅行したくなっている。円高(対ドル)が気持ちを後押ししている。今日もテレビをつけたら、アリゾナ州のトゥーソンなどを紹介していた。そういえば、グランドキャニオンも、写真やテレビで見慣れているけれど、この目で実際に見たことないし、今がそのときなのかなぁ。夢はふくらむ。

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