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2008/04/12

Paranoid Park

2007年/アメリカ・フランス/監督・脚本・編集:ガス・ヴァン・サント

公開初日に渋谷まで見に行く。

最近では田舎の町にもどんどん進出してきたシネコンで上映されるエンターテイメント系の映画に辟易しているので、単館系の映画に飢えている。(この映画は全国の主要都市では公開されているが)

パラノイド・パーク公式サイト http://paranoidpark.jp/index.html

主人公の高校生アレックスは、ひょんなことから人を死に至らせてしまう。その事実自体が大変なことにもかかわらず、映画のなかでは、淡々と彼の日常生活が流れる。この作品が伝えたかったことのひとつは、(恐らく)普段私たちはいかに些細なことにのみ執着し、話題にし、それに一喜一憂しているか、ということだ。そのことをアレックスをとおして映画を見るものに伝えようと試みている。ある日突然、何かが起こり、そのことによりまるで世界観が変わることが誰にでもありうるということだ。誰にも言えない苦悩を抱え、日常のなかに浮遊しているような感覚。いままで夢中だったことや悩んでいたことが、窓の向こう側で起こっているかのように思えるような。

普通ならこのようなことが起こった場合、当事者は慌てふためくだろう。しかし、現代に生きる高校生アレックスはポーカーフェイスだ。起こしてしまった事実にやや動揺はするものの頓着していないようにも見える。でもその事件以来孤独だ。誰にも言えない秘密を抱えてしまったからには。

アメリカ西部の町、ポートランドが舞台。印象的なシーンは、アレックスが心の苦痛を和らげようと事件をノートに綴るいくつかのシーンのなかで、海辺の草原に置かれたベンチで書くところだ。殺風景などんよりとしたその場所やそこに続く道は、アレックスのイノセントな内面を強調している。それから、最後のほうのシーンで(実際はもっと前に起きている出来事だが、映画では最後のほうにもってきている)、友人のメイシーがこぐ自転車にスケボーに乗ったアレックスがつかまって、晴れた住宅街を進むところ。メイシーはアレックスの変化を感じとり苦悩を誰かに宛てた手紙に綴るよう提案する。(決して「何があったか」を尋ねたりしない。)アレックスはその助言に従いメイシーに宛ててノートに綴る(それは彼女の手には渡らず、アレックス自身が燃やしてしまうのだが)。映画では時間軸が前後する。でも違和感はない。

映画のなかで事件の解決はみない。アレックスがこの先どうなるのかはわからない。そのこと自体は映画の主題からは大きく外れている。

アレックス役のゲイブ・ネヴァンスは地元の高校生で、オーディションで選ばれたそうだが、彼の整った顔立ちや無表情さが、独特のカメラワークを充分支えている。カメラはあまり頻繁には切り替わらなく、長すぎるほどに人物を捉えて、その表情や動き方からその内面を観客に伝えようとしているようだった。

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