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2009/08/24

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今日もまた植草甚一の本について。

「ぼくのニューヨーク案内」

この中でブロードウェイについて箇所は、私自身、ミュージカルなどにはあまり興味ないので、飛ばしてしまったが、それ以外については気に入った箇所がいくつも見つかる。

たとえば・・・

P26

「ぼくがいたグリニッジ・ヴィレッジのホテルの八階の窓からは、世界最高のワールド・トレード・センターの二つのビルが真正面に見えた。そのビルの朝の姿の美しさを知っているのは、ニューヨークの人たちでもそう大勢はいないだろう。太陽が昇りだすと、左側のビルの壁面左側が金色のネオン・チューブを取り付けたように輝きはじめるので、思わず見とれていると、その金色の垂直線が大気のせいか、電気が通じたようにビリビリと振動しているのに気がつく。」

この光景は、もう二度と見ることができないのだ。

植草氏が911のことを知ったら、どう思うだろうか・・・そんなことが頭をよぎる。

そして以下の、ゲイ・タリーズが「ニューヨークは気がつかないことばかり起こっている都会だ」と紹介したNYは、私が常に求めているものだ。

P171~

「朝の五時。疲れきった表情のジャズメンとバーテンが家路を急いでいくかと思うと、パーク・アヴェニューでは、往来で鳩が遊んでいる。この頃合いにニューヨークが一番おっとりしてくるのは、夜ふかし族が眠ってしまい、早起き族が、まだ寝ているからだ。夜ふかし族のなかには深夜営業のコーヒー・ハウスでねばっている者がいる。

・・・・・・・(中略)

こうして朝の六時になる。地下鉄の入り口から労働者の群れが姿をあらわす。ブロードウェイの交通量がまし、河の流れのようになってくる。そのころミセス・メアリ・ウッディは、ベッドから飛び起きると、お化粧もしないでウェスタン・ユニオンの電話室へかけつけ、ゆうべ頼まれた人たちに『おはよう。起きる時間ですよ』と知らせてやる。

・・・・・・・・(中略)

午前七時。パーク・アヴェニューの上流住宅区を、タートル・ネックのスウェターとベレー帽の男が歩いていく。・・・

午前七時半といえば、たいていのニューヨーク生活者が、まだベッドのなかから出られない時刻なのに、四十二番街にずらりと並んでいる十軒の映画館のまえでは、八時の開館を待っている人たちが行列を作っている。

・・・・・・・・・・(中略)

ニューヨークには500人の霊媒がいる。車を引っ張りながら焼き栗を売っている者が200人。鳩は30万羽。銅像と記念碑は600ヶ所ある。」

などなど、60年代のNYのある一日を切り取ったようなこんな描写がたまらなく好きだ。もちろん、植草氏がこの一節を気に入って自著のなかで紹介しているわけだが、さすが、よく目に留めたなぁ・・と思う。この本は、ちょっとした宝物になりそうだ。

2009/08/21

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また植草甚一の話題になるが、「ぼくのニューヨーク案内 (植草甚一スクラップ・ブック 33)」という古本(初版!)を手に入れた。非常に楽しく読んでいる。

今週、NHKハイビジョンで、植草氏についてとりあげた番組の再放送があり、ニューヨーク滞在中の写真などが紹介されていた。約3ヶ月の滞在期間中に2千冊以上の本を購入したそうで、滞在先のホテルに山と積まれた本に囲まれて座る植草氏の写真があった。実に幸せそうだった。また、東京・神田神保町の古本屋街にも足しげく通ったそうだ。私は神保町は未知の世界。いつか巡ってみたいとは思いつつ、なかなか機会がなかった。

先日、とある宴会で神保町の話題になり、ガイドブックになる雑誌があるから・・・という話を聞いていたのだが、その方が今日、わざわざ届けてくださった。ありがたくお借りする。今年こそこの本を頼りに行ってみたい。

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2009/08/13

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今日は扇風機をつけても、生暖かい風が回るような、嫌な暑さの一日。

今年は扇風機を買ったので、あまり自室でエアコンをつけていなかったのだが、さすがに今日は我慢できず、エアコンのスイッチを入れた。

マックも暑いだろうと、シャンプーしてあげた。かなりぬる目のお湯で。少しほてった体が冷やされて気持ちよかったみたいだ。今週は2回もシャンプーしてあげている。

夏のこんな暑い日は、時間が止まったみたいで、不思議な感覚になる。テレビをつけても、毎日同じような芸能界の事件のことばかりで、ぐるぐると回っているだけ。もううんざりだ。

片岡義男の本に、植草甚一についての記載があったので、以前購入してパラパラとしか読んでなかった「植草甚一コラージュ日記②〔ニューヨーク1974〕」という本を引っ張り出してきて読んでいる。植草甚一(1908-1979)は、映画や音楽、ミステリーなどの幅広い分野で評論、執筆していた文化人。実は私はタイムリーに接していないので、この人物については知らなかったが、ニューヨークをキーワードに本を検索しているとよくヒットするので、知った人である。この本は植草氏が1974年に66歳で初めてニューヨークに滞在した際の日記で、とても面白い。ただ、何時に起きて、どこで朝食を食べて、どこの古本屋に行って、何冊本を買った・・というような記載が毎日綴られているだけなのだが、70年代のニューヨークがそこにはある。この人、相当の読書好きのようで、半端じゃない数の洋書を一度に買い込んでいる。このころ、洋書はこうやって現地で買うのが一番手っ取り早かったことがうかがい知れる。それにしても、NYには当時、すごい数の書店や古本屋があったことがわかる。日記によれば、植草氏はNY到着後はプラザホテルに滞在したようだ。当時1ドル308円(?)で、あのプラザに宿泊とはすごい。そのあと、5番街と10丁目の角にあったという(今はないと思う)フィフス・アヴェニューホテルに移ったようだ。インターネットでは、70年代のNYについての情報は得にくいから、このような本は当時のNYを知る貴重な資料なのではないだろうか。

2009/08/11

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静岡で大きな地震があり、これまで防災グッズまでは用意していなかった我が家にも、さっと持って非難できるような準備をしておいたほうがいいかなと思うようになった。そして、何かあったら、まず何を持って出ようか・・・という話になり、それはもちろんマック(愛犬)を一緒に連れていかなければ、ということになる。そのマックがここのところ、体調が悪く、心配で、今日、獣医に連れていった。原因がわかったので、一安心。ペットは具合が悪くても主張できないのだから、私たちが気をつけていてあげなければ、と再認識する。念のため、一週間後にまた獣医に行くことになっている。

今週は職場が一斉休業。追いついてない仕事を職場に行ってしたいところだが、省エネのための休業のため、エアコンをつけるわけにもいかないだろう(私の課のある建物は、ひとたび主電源を入れると、全館用のボイラーが動いてしまうという年代物の空調なものだから・・・)から、それはあきらめて、地元の図書館に仕事道具を持って行った。2階に広い学習室があるのだが、高校生などが多く落ち着かないので、私はいつも、廊下を挟んで反対側の辞書や年鑑、百科事典などが置いてある調べ物室のような部屋の窓際にある机で過ごす。一応、疑われないように、辞書などを開いて、あたかもその部屋でなければ用が済まないかのようにして。その席は、広瀬川の流れもよく眺められる特等席なのだ。

仕事の合間に、ふと隣の本棚に目を移すと、「おはようございます こんにちは こんばんは」(だったかな?)というタイトルの機関誌が1冊あって、それが気になって仕方なくなり、手にとってみる。そこは郷土資料コーナーだったようだ。そして、その機関誌は伊勢崎市民病院の医師や看護婦によるらしいもので、1967年当時のもののようだった。エッセイや詩などが綴られていて、当時の朗らかな職場の雰囲気が伝わってくる。そのなかに「バス待つ間」という女性によるエッセイが特に印象に残る。帰宅時、病院前のバス停でバスを待つ間に、同じくバスを待つおばあさんと孫の様子を書いている。目の前の駄菓子屋で麦チョコを買ってなかなか袋が開けられないおばあさんを見かねて、こうするんですよ、と手ほどきする駄菓子屋の店員など、その様子が生き生きと描かれている。セピア色の昔にタイムスリップしたような感じになって、ふと我に返る。いけない、いけない・・と再び仕事に戻る。でも、ちょっと贅沢な時間だったなぁ。

それから、しばらくして、小学生(高学年)が数人、何やら司書の方に相談しているようだった。夏休みの研究かな、きっと地元の何か統計を調べているのだろう。いい光景だった。

2009/08/10

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8月に入ってもすっきりしない天気が続いている。

毎週のように集中豪雨の被害などがニュースをにぎわせていて、他人事ではないと、少し怖くなることも。

夏は読書かな、と、最近あまり本も読んでいなかった反動で、本棚からあれやこれやと本を引っ張り出して乱読している。以前にもここに書いたが、片岡義男のエッセイを何冊か一気に古本で購入したものがやはり目に止まり、そのなかの「本を読む人」を昨晩から入念に読み始めた。冒頭、このような一節があり、共感している。

・・・・・・・・・・・・・

「本を読む人」片岡義男著 P22

自分にとってのいつもの日常ではない時間のなかで読んだペーパーバックは、そうではない状況のなかで読んだものにくらべると、読んだ内容の印象をはるかに強く頭のなかに刻み込んで保持している、という原理を僕は発見している。日常の外に置くというアクションがともなうと、読書はより効果的となるようだ。日常ではない時間が基本的に持つ刺激に、読書という非日常が重なり、その上へさらに、読んだ内容という常ならざる世界がかぶさる。うまくいくとこの三者が絶妙に重なり合い、忘れがたい読書体験となる。

・・・・・・・・・・・・・

私も、旅行に行くときは、何かしら本を選んで持ってく習慣がある。確かに、日常から離れ、旅先で読んだ本は、独特の印象をもって記憶に残っている。

このエッセイを読んでいると、いろいろな本が紹介されているのだが、いくつか自分も読んだことのあるものや、作家が出てきて(カーヴァーやニール・サイモンなど)、少なからず本の好みが似ていることに気づき、そのほかの本もぜひ読んでみたいと思うのである。もっとも、紹介されている本はアメリカの作家のものばかりで、全てが翻訳されているわけではないけれど。片岡義男は(恐らく全て)原文で読んでいるのだろう、それがとても羨ましく思う。それから、植草甚一との交流もあったみたいで、すごいなぁ。

これから、このエッセイに出てくる本が手に入るかどうか、ネットで調べてみることにしよう。

2009/08/02

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たまにVHSビデオで持っている映画「マンハッタン・キス」が見たくなっる。昨晩がその日。以前にもブログに書いたかもしれない。

ストーリーはこんな感じ。

春子(いしだあゆみ)はニューヨークに住んで編集社に勤めている。あるとき妹の夏子(室井滋)が男(柄本明)を追ってニューヨークへやってくる。しかし、その男は姉のかつての恋人で、妻子がいる。そして、夏子を追いかけて年下の超二枚目の男(吉田栄作)もニューヨークに来る。

春子の会社のボスは、春子をオベラに誘ったりと、大人のアタック。

春子も夏子も申し分ない男に追いかけられているのに、どうしようもない優柔不断な男(柄本)の呪縛から解かれない。

ストーリーには斬新さはないが、余計なものを削ぎ落として、セリフもうるさくなく、当時にしてはよくやった、と思える「上手さ」がある。どういう経緯で姉妹がその男と出会ったかとか、吉田栄作は日本でどんな仕事をしているのかとか、そういう情報は映画のなかにはない。脚本/監督は秋元康。

オールNYロケ。冬。

90年代初めのNY。

ツインタワーが冒頭映っていた。涙出そうになる。

あの頃のNYって、やっぱりいまのNYとは違うんだと改めて思う。

夏子が吉田栄作に「サード・アヴェニューから向こうへ行っちゃダメだよ」と言っていた。携帯電話ももちろん使われてない。

日本人とニューヨーク。

どうして、やけにこの映画が好きなのかと言えば、たぶん、日本人の目をとおしたニューヨークを映しているからだ。そして、NYの風景がたくさん出てくるから。

竹内まりやの、映画と同タイトルの主題歌も、この映画によく合っていて、ラストシーンで、ブルックリン・ブリッジ上の春子と夏子からカメラが引いて、上空から夜のマンハッタンの夜景を写すときに流れるこの歌がいつまでも余韻を残す。

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