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2009/09/30

Suomenlinna

スオメンリンナ島

8月某日

ヘルシンキのマーケット広場から発着するフェリーでスオメンリンナ島に行くことができる。所要時間はわずか15分なので、ヘルシンキを訪れる人は必ず上陸するのではないだろうか。何しろユネスコ世界遺産に登録されているから。

でも、なぜか私は3度目にして初めて上陸したのだった。以前は島々を周遊するフェリーからこの島を眺めただけだった。フィンランドの海岸を守る要塞だった、というところが、私にはあまりピンと来なかったのだと思う。

今回も、この島にある教会でのコンサートという目的がなければ、行きそびれたかもしれない。

ヘルシンキ到着後、すぐにホテルの近くにあったインフォメーションセンターに行って、催物のガイドを入手した。滞在中のイベントの中から、今回はフィンランディアホールでのオーケストラによるクラシックコンサートと、このスオメンリンナ島でのジャズコンサートを選んで、事前にチケットを買いに行った。だいたいのチケットは、老舗デパートのストックマンの上のほうの階で買うことができる。

教会でのコンサートは、夕方6時から始まることになっていたので、その2時間前くらいにフェリーに乗って、島に向かった。フェリーに乗るとき、雨がサーッと降ってきたので、デッキに出ないで室内から海を眺めていた。船内は意外と空いていた。

上陸すると雨も止んでいて、人の流れに乗って歩いてみた。

スオメンリンナ島は、4つの小さな島から成っている。地図で見ると、4つ合わせても縦横1km以内。かつて要塞だっただけあって、大砲などがオブジェのようにあちこちに配置してあったりする。

Aerial_photo_of_suomenlinna スオメンリンナ島全景(オフィシャルサイトより)

(写真はクリックで拡大されます)

島内の雰囲気↓

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さて、目的のコンサートはトランペットとオルガンのセッション。

何の予備知識もなく、ぼんやりと演奏に耳を傾けた。オルガン奏者は、普通のオルガンとパイプオルガンを演奏。トランペット奏者が、時折音楽の解説をしているようだったが、フィンランド語だったため、さっぱり分からなかった。それでも、その音楽が不思議と自分の中にスッと入ってきていた気がする。何と表現したらよいか分からないが、その“暗さ”を思わせる響きが心を落ち着かせる、とでも言おうか。しっとりしている、とでも言おうか。

Resize0133 セッションの様子

trumpet : Verneri Pohjola     organ : Tuomo Prattala

Resize0126 Resize0125 Resize0131 会場となった教会

コンサートが終わっても、日が長い季節なので外はほの明るい感じで、そのまま帰る気にもなれず、再び島を歩いてみた。

夏にスオメンリンナに行くなら、私は日の沈む少し前の夕方に行くことを勧めたい。島には住民もいるので、暗くても安心できる雰囲気をもっているし、とても素敵な感じがした。風も涼しかったし。

少しだけビールなんか飲んだせいかもしれないけれど。

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明日は帰国という日だったせいでか、名残惜しい気持ちで、帰りのフェリーに乗り込んだ。今度はデッキの席に座って、少し冷たい風を受けながら、もうしばらくの時間、港に着かなければいいのに・・・などと思ったりして。

港に着くと、一緒に島からフェリーに乗ったダウン症のカップルが私の前を行くのだった。20歳前後の恐らくフィンランド人のその二人は、とても強く印象に残っている。男の子のほうが、女の子を気遣っていて、微笑ましくて。女の子はおしゃれしていて。彼女の靴下が左右チグハグだったのが、いっそう可愛らしく思えた。やがて二人はヘルシンキの街に消えていってしまったけれども。

翌日、空港に向かう前にCDショップに行って、前日のジャズのトランペット奏者のCDがないかと探したところ、なんとあったではないか。それが、今回の自分にとって一番の買い物だったかもしれない。

51cftupjfhl_sl500_aa280_ Verneri Pohjola : AURORA

スオメンリンナ島オフィシャルサイト↓

http://www.suomenlinna.fi/index.php?menuid=3&lang=eng

 

2009/09/26

Seurasaaren ulkomuseo

8月某日

セウラサーリ野外博物館

(写真はクリックで拡大されます)

ヘルシンキでまだ行ったことのない場所にも行ってみようと思い、セウラサーリ野外博物館というところに行ってみることにした。

ヘルシンキ中心部からバスで20~30分くらいの場所にある。小さな島全体が野外博物館になっていて、フィンランドの古い家屋や教会(18世紀から19世紀のもの)を移設、保存している。

この日のお天気は曇ったり雨が降ったりで、ハイキング感覚で出かけたのに残念だったが、雨でしっとりした森を歩くのも悪くはなかった。むしろ雨のおかげで、鮮明な記憶になったかもしれない。

Resize0118 島へ渡るための橋

バスを終点で降りると島へ渡る橋はすぐそこ。

Resize0115 橋から見える海

海といっても、バルト海の一部で内海のため波もなく、湖のように思えてしまう。

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Seurasaari こんなふうに古い家屋が配置されている(拡大してみてください)

夏の終わりの、あまり人のいない森に点在するスポットを、地図を頼りに一通り見て回る。昔の一般的な家の中に入ると、下の写真のような質素なベッドが置いてあるところが多い。どれも小振りであることに驚かされる。決して子ども用というわけではなさそうだ。

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現在は、フィンランドというとデザイン王国、洗練された家具や建築物といったイメージが先行するが、移築された建造物を見ていると、昔は質素で地味だったのだということがよくわかる。

Resize0116 こんな風車も!

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森の中にはリスが住んでいるようで、朝マーケットで買っておいたリンゴのかけらをあげてみた。ところどころで、リスが現れ、向こうから近づいてくる。

(このあと、雨が断続的に降ってきて、写真を撮っていません)

島内を歩いていると、ジョギングしている地元の人をよく見かけた。

セウラサーリは、ヘルシンキに居ながらフィンランド独特の自然を少し味わうのにちょうどよいところだと思う。半日もあれば充分で、午後はまた違うところに足を伸ばせる。観光スポットとしてはとても地味だが、そこがなかなかいいのだ。

往復のバスの窓からヘルシンキ市内の風景を眺められるのもいい。

セウラサーリについての詳細 http://www.nba.fi/en/seurasaari_openairmuseum

2009/09/25

Turku

8月のフィンランド旅行のときのことを、少しずつ紹介します。

(写真はクリックで拡大されます)

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8月某日

ヘルシンキからフィンランド第3の都市、トゥルクへ日帰りで出かけた。

ホテルで朝食をとってから、トラムに乗って中央バスターミナルのあるKamppiに向かった。Kamppiとは、ショッピングモールと地下鉄とバスターミナルが合体した施設。バスのチケットを買う場所が数年前と変わっていて、チケットを買うまでに少し手間取ってしまう。

最初、バスの搭乗階(地下)まで行って、そこにあったキオスクの女性に、チケットはどこで買えるのか尋ねたところ、英語が早すぎて、何を言っているのか分からず、また上に戻ってそれらしきカウンターでやっと買うことができた。

でも、トゥルク行きのバスは30分おきくらいに出ているようで、そう慌てることもないことがわかる。バスターミナルは、実にシンプルで分かりやすくなっている。出発時間と行き先が電光掲示されているゲートの前で待っていればよく、まるで飛行機の搭乗口のようで、機能的。

バスに乗るときに分かったことだが、チケットはバスに乗るときに運転手から買うこともできるようだ。ほとんどの人が乗るときに買っているようだった。こういう融通がきくところなど、なかなか素晴らしいじゃあないか、と思う。

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見渡しのきく一番前の席に座った。

運転手さんは、とてもハキハキした人だった。人が乗り降りするときは、大きな声で「キートス!(ありがとう)」を必ず言っていたのがとてもいい感じで。

バスは果てしない森をぬってグングン走って行った。景色は針葉樹一色で見ているとだんだん飽きてきて、バスの揺れも気持ちよく、眠気が襲ってきて少しの間ウトウトしてしまう。基本的には私には、車窓からの景色も楽しみのひとつなのだが、単調でときに近代的な建物が見えたり、そして、あまりにもスッキリした森や耕地は、退屈だった。フィンランドに無数に点在する湖が見えたならきっと違ったと思うが、残念なことにバスが走ったハイウェイのような道からは、まるで湖も海も見えないのだった。

途中のバス停で、乗客が一人乗っては一人降り・・を何度か繰り返す。こんな人里離れた淋しいところでこの人は暮らしているのか・・と、その人のことを想像してみたりしながら、バスに揺られていく。

トゥルクに近づいてくると、やがて町らしき雰囲気に景色が変わってくる。

そして、目を引く教会(トゥルク大聖堂)が右手に見えて、川(アウラ川)を越えると、終点となる。一応、バスを降たとき、運転手さんに、ここは終点ですか?と確認した。すると、そう、ここは終点のトゥルクだよ、と答えてくれて、ひとまず安心する。

まずは、トゥルクでの一番の目的地トゥルク美術館に向かう。バス停から徒歩10分ほど。フィンランドで2番目の規模の美術館で、1904年にオープンしたということで、期待は膨らむ。しかし、実際に行ってみると私をひきつける作品はなかった。アテネウム美術館(ヘルシンキ)のときとは違った。あとから考えると、100年と少し前に美術館として建てられたこの建物自体は、なかなか見ごたえあるんじゃないかと思え、やっぱり行ってみてよかったのだな。

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トゥルク美術館

そういえば、美術館に着いたとき、あまりにも喉が渇いたので、コーラと甘いお菓子(ホイップクリームにチョコレートがコーティングされたもの)を食べた。テラス席で。少し風が強くて、テーブルにかかっていたクロスが吹き飛ばされないか心配しながら。このお菓子が、フィンランド旅行中に食べた何よりも美味しかった記憶しかこの美術館にまつわるものはない。

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美術館の庭

美術館から坂を下り、マーケット広場を横に見ながら、とにかくアウラ川まで出てみた。この時点でやや歩き疲れていたのだが、水辺に出るとホッとするものだ。川は茶色っぽく濁っていた。

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アウラ川

川沿いをトゥルク城に向かって歩くことにした。

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渡し船

川には何本か橋があるが、このような渡し舟もあり、市民が便利に利用しているようだった。のどかな光景だ。

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サイクリングの途中で休憩中(?)の市民

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アウラ川の帆船

川沿いにはこのような帆船がいくつも停留していて、このアウラ川はトゥルクのシンボル的なものだということがわかる。

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帆船を模した花壇

地図ではトゥルク城まで近く思えたのだが、結構歩いた。川に出てから2キロはあったと思う。城に着いたときは旅の疲れが出たのか、ヘトヘトになっていた。

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トゥルク城

ところで、トゥルクはフィンランドの都市のなかでスウェーデンに最も接近している。13世紀にスウェーデン(当時フィンランドを支配していた)によってトゥルク城は建てられ、その後要塞として使われていたということだ。

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お城は現在、博物館になっていて、中は迷路のようになっている。

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トゥルク城の模型(外観は案外シンプル)

人があまりいないせいか、ちょっと怖かった。こんなふうにお城の中を巡ったことって、初めてだったかもしれない。城の中には要所要所に民族衣装のようなものを着た女性がいて、迷いそうになったとき、方向を教えてくれたのだが、暗闇でふと振り返ったときに無言で立っていた案内人を見たときは、息が止まりそうになる。思わず、びっくりしたぁ・・と言いそうに。怖かったなぁ。夜なんか、もっと怖いんだろうなぁ。

お城の見学を終え、もうヘルシンキに戻ろうと思い、帰りは鉄道を使うことを思い立ったので、駅まで向かいたかった。でも、駅まで歩くと恐らく3~4キロはありそう。それで、受付の人にお願いしてタクシーを呼んでもらった。お城を出るとすぐにタクシーが来てくれて、駅へ。ちょうど5分後にヘルシンキ行きが出るようなタイミングで、かなり焦りながらチケットを買ってホームへ。危うく反対の電車に乗りそうになりながら、ギリギリセーフで電車に飛び乗った。

電車はとにかく快適そのもの。音もとても静か。停車時や発車時も、過剰なアナウンスやベルの音などなく、気持ちがゆったりしてくる。

バスでは3時間弱、電車では約2時間のトゥルクは、意外にこじんまりした、地味な町だった。

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ヘルシンキに着いた列車

改札口などない。ホームからいきなり外に出ることもできるのは驚いた。

2009/09/23

カバンひとつでアメリカン

少し前のアメリカについて書かれた本って、まだまだ探せばあるものだと思う。

この2冊も最近見つけた。

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   「カバンひとつでアメリカン」

   「バスのアメリカ」

     亀井俊介 著

いずれも1980年代前半に出版されているもの。

巻末に紹介されているほかの本の一覧から、さらに世界が広がったりする。

これらを読んでいると、ひとつの時代が終わったんだと改めて思う。妙にいろんなことが懐かしく思えてくるのは面白い。でも、反面、もうあの頃の感覚は実際に体験することはできないんだと思うと、やはり悲しいかな。

2009/09/20

ニューヨーク読本

Image ニューヨーク読本ⅠⅡⅢ 

          (日本ペンクラブ編 常盤新平選 福武文庫)

年に一度くらい、急に読みたくなって引っ張り出しては読んでいる三冊。

とにかくいろんな角度からニューヨークを、いろんな人が書いたものを集めていて面白い。

たとえば、三島由紀夫、永井荷風、開高健、植草甚一、井上ひさし、池田満寿夫、村上龍、大岡昇平 など35人。

今日は三島が1957年にNYに滞在した際のことを書いた「ニューヨーク貧乏」のところを読み返す。すると、彼が泊まっていた安ホテルが、私も泊まったことがあるホテルと同じ11丁目にあったことが分かる。恐らく同じ建物ではないと思うが、三島由紀夫もあの辺りに滞在していたのかと思うと、やや感慨深いものがある。

この本が発行されたのは1986年。

著者それぞれのNYが散りばめられていて、今のように情報が豊富すぎる時代には、かえって新鮮に読めると思う。

2009/09/15

non title

訪問先の某短大の構内を歩いていたら、靴の下がごろごろする場所があって、見ると、それは、ドングリの実がたくさん落ちていたからだった。

まだ青いままのがほとんどだった。

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こうして、ドングリをじっくり見たのは、とても久しぶりのような気がする。

これから先、こんなふうにドングリを見つめるのは、何度くらいなんだろう・・・などと、切ないことを思いながら、自然に「どんくりころころ」の歌が頭を巡る。

ところで、私はずっと大人になるまで、しかもつい最近まで、どんぐりころころの歌詞を間違って覚えていた。

    どんぐりころころ どんりこ ♪

というところを

    どんぐりころころ どんりこ ♪

と。

こんなふうに歌っている人、他にいないかなぁ・・

2009/09/12

pool

映画「プール」を見た。

いい映画だった。

タイのチェンマイが舞台で、そしてほとんどの場面はゲストハウスが中心。

ゲストハウスにはプールがある。

プールで誰かが泳ぐ場面はなく、プールの周りで静かな時を過ごす登場人物たち。

そう、映画はとても静かなのだ。

BGMはない。

劇中にギターを奏でながら歌う歌が唯一の音楽。

なんだろう、この不思議な居心地のよさは・・・

考えるに、朝の新鮮な空気を吸い、洗濯をしたり、市場に買出しに行って料理を作り食べる。そんななんでもないことがメインになっているからなのだろう。

ロケに使われているゲストハウスがまた素敵で、思わず見入ってしまう。

特に開放的なリビングが素敵で、あんなところで一日中読書できたら最高だろうなぁ・・と思ったのは、私だけではないだろう。

そして、プールって、泳ぐためだけのものじゃないんだと、いまさらながら思う。

映画を見ながら、デヴィット・ホックニーのプールの一連の作品群を連想した。

ところで、この映画は「かもめ食堂」のスタッフやキャストによるもので、やはり同じ雰囲気を感じる。そのあたりは予想どおりなのだが、だからこそ見ておきたかった。

映画の冒頭、加瀬亮が空港の駐車場で、何の脈絡もなく転ぶシーンがある。これって、何の意味も持たないかのように思えたが、後から考えると、実に意味を成しているのではないかと気づかされる。普通、大人ってそう転ばないと思う。だが、彼は転ぶ。しかも初対面の人の前でいきなり。このことが、映画を見ている側を、どういうわけか自然体にさせてくれるのだ。そして、全編をとおして、緊迫感や悲しみを感じさせない、とにかく、リラックスできる映画なのである。

映画のなかで、小林聡美が揚げバナナを作って、登場人物が食べる場面がある。それを見ていて、無性にそれが食べたくなり、帰りに本屋でレシピを立ち読みして、バナナを買って、うちで作ってみた。優しい味だった。

Image 揚げバナナ

先日の旅先で買ったアラビア(ARABIA)のお皿に盛り付けてみた。

映画のはカリッと見えたのだが、私のは中のバナナがトロッとしている。でもとても美味しい。シナモン・シュガーを振りかけて食べた。

プール http://pool-movie.com/ 

2009/09/10

non title

朝晩はすっかり涼しくなり、物事を考えるのによい気候になってきた。やはり、夏はその暑さのせいで思考が停滞する。

前橋に出張に出た際、昼食をとるお店を彷徨いながら探していたら、期待以上のお店を発見した。うどんかお蕎麦と思って探していた。最近はファミリーレストランにはあまり入る気がしなくなり、「その店でちゃんと作っている」ものを食べたいと思う。

Image 鍋うどん処 さとり (前橋市元総社町)

お店に入ると靴を脱いで上がるようになっている。各テーブルにはガスコンロが備え付けてある。名物は鍋焼きうどんのようだ。そこで、オーソドックスな「みそ煮込みうどん」を注文してみた。うどんはすごくしっかりした「ほうとう」であった。テーブルにあるコンロで煮込んで食べる。お味噌の甘みが美味しかった。優しい味。食べ進めると、さらにお餅が入っているので、びっくり。そして、仕上げにご飯を入れておじやまで食べられるのに感動。しかも、最初に玉子が入っているにもかかわらず、おじや用にもう1個玉子がついていた。

この時期、煮込みは少々暑くて、おもわずジャケットを脱いでタンクトップになって大汗をかきながら食べたが、それにしても美味しかった。それで、お店の方にそのことを伝えてお店を後にした。

2009/09/02

Gilbert Grape

テレビで映画「ギルバート・グレイプ」を見る。わざわざDVDで見たりはしないけれど、恐らくMY BESTのひとつに挙げられると思う。何度見ただろう。

ここにも何度も書いたと思う。

退屈などこにでもあるアメリカの小さな町が、ギルバートの存在によって、見る者には意味をもつ場所になるから不思議だ。大事なことは、どこで生きるか、その暮らしが華やかか、なんてことじゃなくて、どう生きるかということだとギルバートをとおして静かに伝えている。愛する人たちに対して誠実かどうか、とか。その時々に最善を尽くして歩めば、必ずよい方向へ向かっていくものかもしれないとか。

ベッキーがギルバートにいま何を望むか聞いた場面で、家族の望みばかりを語ったあと、最後に「いい人間になりたい」と言う。いい場面だ。

それから、みんなが手を焼くアーニーに対して、ベッキーは何かが違う。自然にアーニーに接している。決して無理をしていなくて、そこがいい。それはベッキーの内面の素晴らしさを物語っている。

きっとこれからも、何度となくこの映画を見て、きっとその度にいい映画だと私は思うんじゃないだろうか。

さらに言うと、ギルバート役がジョニー・デップでなければこれほど、この映画にひかれなたったかもしれない。

以前書いたブログ ↓

http://megumi1966.cocolog-nifty.com/megumi/2006/06/whats_eating_gi.html

2009/09/01

non title

旅から戻る。

数日間が1ヶ月ほどにも感じるのは不思議だ。

旅立つときの空港は、未来が開かれているかのようなのに、同じ成田でも、帰国のときのそれはどんよりとしているように感じられる。物事の見え方など、おおよそ個人の気分しだいで違ってくるのかもしれないと、帰りのバスを待つ間に思ったりする。それでも、帰りのフライトで隣に座った異国の人は、これからまさに旅が始まるところで、その人の数日間を想像するのがせめてもの慰めとなる。グッドラック!

当たり前といえば当たり前なのだが、旅から戻ると、普段悩んでいたことが、まるで小さな取るに足らないものに思える。普段と違う景色を見ることは、自分には必要なんだと思う。ホテル近くの公園のベンチでぼーっとしていると、どこからかピエロがやってきて、ゴミ箱の上によじ登り、ピアニカを弾き始めたりなどする光景を見ると、いろんな人生があるのだと改めて気づかされたり。路線バスに乗って遠出をすれば、辺鄙なバス停で言葉の通じない人が降り、乗ってくるのをながめ、あらゆる場所に人生はあるのだと知る。

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