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2010/04/06

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カーヴァーの『大聖堂』の中におさめられている短編「列車」を、今週は眠る前に毎日開いていたのだが、どうしても眠くて先に進めず、いつも「一人は年老いた男で髪は白く、白い絹のスカーフを巻いていた。もう一人はアイ・シャドウと口紅をつけて、ローズ色のニットの服を着た中年の女だった。」というところに戻っては読んでいた。そうして、やっと読み終えたのだが、これはお気に入りの一編になったと思う。

最後がいいのだ。最後の、列車がようやくホームに到着して、待合室にいた3人が乗り込むというだけの様子のためだけに、それまでの文章は在る。

そして、次の一文がいい。

「乗客たちは窓の向こうの駅をじっと見つめ、列車が着いたことで一時中断されていたそれぞれの物思いに戻っていった。」

世界は広くて、目の前に展開されていることだけが全てではない。良いことも悪いことも全体からみれば些細なことのように思える。自分には大きな、心乱される出来事であっても、すれ違う人々にとっては、1ミリにも満たない、無にも等しいことなのだ。それはお互いにではあるけれど。

だから、世界はとても拓けているように見えるけれど、実はとても閉ざされた、孤独な空間なのではないか。

駅もそうだが、空港やバスのターミナルなどで私はそのことを強く実感する。偶然居合わせた人々の、その一瞬の切り取った構図から、その人物についてほんの一瞬空想するけれど、その何分か後には自らの内に思いは戻っていき、先ほどの人物のことは遠い過去へと消え去っていく。

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