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2011/03/30

やわらかなレタス

9784163736808 やわらかなレタス 江國香織著 (文藝春秋)

帰宅途中で書店に寄って、何気なく手にして装丁の素敵さに見とれて購入。

購入の理由はもう一つあって、このエッセイのなかに「ニューヨーク・大雪とドーナツ」というタイトルを見つけたから。

帰宅後、食事とお風呂を済ませてから早速、このタイトルから読み始めた。

独特のテクニックがある。ニューヨークというと大概の地理的なことは、想像ができるのに、このエッセイのなかのニューヨークは、どこか違う場所にあるニューヨークのような、そんな感覚を抱いた。

著者が10年ぶりに友人と会うためにニューヨークのとある待ち合わせ場所に向かうという話。

本文より*****

私は友人に会う約束をしていた。待ち合わせ場所の念押しをするための、手紙というかメモのようなファックスも受け取っていて、それによると待ち合わせ場所までは、船に乗って行くようだった。

************

この部分を読んだとたん、もう私の「知らない」ニューヨークである。

しかも、大雪の降ったあと。

著者はタクシーで船着場まで行く。しかし船は雪で出ない。

マンハッタンの船着場から船で行くどこか。

すばらしく奥深い。ぞくぞく、わくわくだ。

そして最後に明かされるその待ち合わせの場所とは、リバティ島、すなわち自由の女神がある島である。

だから、船着場とはバッテリーパークのところなのだ。

この事実を知るまでは、私はなぜかマンハッタンの西側、ハドソン川沿いのサークルラインの船着場を想像し、待ち合わせ場所は私の知らないどこかに違いないと思っていた。

だから、自由の女神と知ったとき、ハタと我にかえり、グーッと自分の知っているニューヨークへと引き戻されたのであった。

おもしろい体験。書き手のテクニックだ。

2011/03/29

non title

振替休をとり、父の通院のお供をした。

久しぶりに行った群大病院は以前の古い棟が新築に変わり、ずいぶん垢抜けていた。

以前、病院内の研究室のほうで働いていたことがあり、院内はあちこち歩き回っていたから分かっているつもりだったけれど、いろんなことがシステム化され、効率化されているような印象を受けた。

Image4

働いていた当時といまでは感じるものがぜんぜん違っている。患者は弱者。そうでなくても弱った体と心で訪れるのだから、病院という空間は限りなく優しいところであってほしいといまは思う。

前はなかったレストランやカフェができて居心地よくなっていた。診察が終わってから、院内のイタリアンレストランでランチ。父はめずらしくシーフード・リゾットを注文していた。生まれて初めて食べた、結構おいしいねぇ、などと言っていた。母と私はドリアを。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そのあと、伊勢崎神社へ。

今年は初詣に行ってなくて、気になっていたのだが、やっと。

神社の境内のほぼ中央に大きな欅が1本立っている。

Image2

いままであまり意識したことなかったが、見上げてみると存在感ある。

Image1 神社の前には昔ながらの洋品店が。

お参りしていると近所のおじさんが(日課なのかな)自転車でやってきたり。

あまりにのどかで、平和で、震災があったことがうそのように思えてくる。うそなら、夢ならいいのにと。

本当にせつない。

2011/03/27

Muji CD player

使い続けてきた愛用のミニコンポ(パイオニア)が、ここのところ調子が悪く、扱いが面倒になってきたので、ここ数か月、買い替えを考えていた。

自分の部屋には現在テレビがないので、音楽とラジオが聴けることは必須。それで、いいなぁと気に留めてきたのが無印良品の壁掛け用CDプレイヤー。FMラジオも聴ける。

購入の前に、同様のコンパクトさがあるものはないかと大型電機店に行ってみたが、どれもパッとしない。最近はiPhoneやiPodなどをセットできるようなタイプが主流なのかな。私にはその機能は要らないし、かといって、昔っぽいCDラジカセのようなものもあったが、それもちょっと・・・と思って店を後にしたのだった。

それで結局、無印にした。

Image1

壁に取り付けた状態。(CDをセットしてみた)

上にスライドさせると本体が取り外せる。

Image2_2

下に伸びる線はコンセントへとつながるコードであり、下に引くと電源の入り切りができる。

CDがむき出しというのがやや気になったところだが、このシンプルさが気に入る。それととても小さいので場所をとらないのもいい。音はこのとおりのものなので(前面のCDのまわりの部分がスピーカー)期待はしていなかったけれど問題は感じない。最近はCDのコピーはパソコンでできるし、ラジオを録音することもないしで、この機能で充分。会員になっていたので10%オフにしてくれた。

詳細はこちら↓

http://www.muji.net/store/cmdty/detail/4548718939374

2011/03/25

ER

15シーズン最終回を録画しておいたのだが、地震後なかなか見る気になれず、おとといやっと見た。

それぞれのシーズンでいろんな登場人物が現れては去りを繰り返し、そのたびに寂しいと感じたり、すぐに新しい登場人物に愛着を感じたりしてきた。

人は一生のうちに一箇所にずっといるわけではない。いつかは状況が変化して新天地へと旅立たなければならないときもくる。誰かが去ってもそこはまたいつものとおりに回り出すのだ。そこで濃厚に生きれば生きるほど、去ったあとは跡形もなく、案外あっさりしているのかもしれない。ERを見てきて、いつもそんなふうに思っていた自分がいる。

最終シーズンは、過去の登場人物が(ファンサービスのためか)登場。これは、わざわざしなくてもよかったのではないかと思う。彼らは、それこそ昔を懐かしむ表情を見せ、視聴者にもそう感じるようにとねらったのかもしれないが、この演出は余分なように思った。それでも、最終回はERの一日を時間を追って描いてもいて、後味は悪くない。

最後、カメラがシカゴ・カウンティ総合病院の救急入口付近から建物全体へと引いた。こんなふうになっていたのか・・としみじみ。

トリアージして! が今後のキーワードかな。

■登場人物で私が好きだった人

1位 アビー・ロックハート

2位 マーク・グリーン

3位 グレゴリー・プラット

4位 ニーラ・ラスゴートラ

2011/03/17

non title

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現在、日本で起こっていることについて、自分自身がとても混乱しています。

何をどう語ったらいいのか。

当面ツイッターを使ってみます。

http://twitter.com/megumi_ishihara

2011/03/14

東北地方太平洋沖地震に関する災害情報をまとめたページ

Googleの地震に関する情報をまとめたページです。

http://www.google.co.jp/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011.html

2011/03/06

Sato Takeo sensei

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本学の名誉教授である佐藤武男先生が逝去された。享年90歳。

先生とのお別れ会に出席。

私はお別れ会というものに初めて出席したのだが、(こんなことを言うと不謹慎かもしれないけれど)とても味わい深かったというか、故人についてじっくりと認識できたというか、いままでに経験したことのない不思議な感覚があった。

先生は長生きされたし、幸せな人生だったことは間違いないと思ったので、お別れ会は私にとって淡々と過ぎるはずだった。

しかし、実際は献花をする際に、献花台の横にあった先生の写真を見たとたん、涙があふれてきてしまう。その写真がどういう写真だったかというと、電車をバックにトレンチコート(だっと思う)を着た先生がこっちを向いている写真で、まさにいまから旅に出ようとしているかのような場面でった。

BGMには生演奏のバイオリン(一人の演奏)の優しいクラシック曲が流れ、どういうわけか自分でも理由がわからないまま、ただただ、涙が止め処なく出てきて困った。(着席してからも修まらず、ズルズルと鼻水は出るし本当に自分のことながら困った)

佐藤先生とは、私が現在の職場に採用されてから1年半くらいのおつきあいであった。先生が定宿としている市内のホテルの予約をしたりなどしていた。2、3度だったと思うが、先生行きつけのカフェに他の職員とお供させていただき、美味しいコーヒーとケーキをご馳走になったことも。それから、先生は気学の研究もされていて、特にお願いしたというわけではないのだが、いつだったかA4に何枚も、私の運勢を綴ってくださったことがあった。

私が出会ったときは、70代後半、もうすぐ80歳になろうとされていた頃だったのだが、いつもベレー帽を品よく被られ、ベージュや茶系のスーツやジャケットを身にまとっておられた。

本学を去る前に『上州のこころ』を出版された。お別れ会から帰宅後、改めて読んでみると、先生の人生の一部を感じることができる。ユーモアも満ちている一冊だ。

奥様が喪主の挨拶で、先生の骨について語られていたのだが、それは先生の骨壷は一番大きいサイズだったという話で、奥様いわく「見た目は弱々しくて、母性本能をくすぐるところがあって、つい手を差し伸べてあげたくなってしまうような人だったのに、骨になってみてみると頑丈なしっかりと太い骨で、私は騙されていました。」ということだった。それには会場が沸いた。確かに先生は手を添えてあげなければ倒れてしまいそうな雰囲気をお持ちだった。でも『上州のこころ』のあとがきを拝読すると、その骨が健康なものになった所以がわかるような気がした。先生は鉄格子に囲まれた日の当たらない会社員(正確には銀行員)から開放されたくて2回も辞表を出したり、兵役では最初は庶務の任務に就いたが、不適とされて施設関係の、いわば肉体を使う任務に移されたり、その後、周囲が麦畑だったことがある仕事につくことを決意させたり、はたまた、人手による田植えの苦しさを味わうために農家を手伝ったりと、とにかく、アウトドア派だったことがわかる。若いころからのそういった日常が、先生の骨を強くたくましくしていったのかもしれない。

『上州のこころ』の挿絵は先生の太田での定宿に勤務する方によるものだそうだ。そんなところも佐藤先生らしい優しさがにじみ出ていると思う。

それから戦争中の任務について、こんな記述がある。
「いまは、南の島で餓死した同年の世代には申し訳ないことだが、ほぼ一年の間、東北に近い栃木の山で、北関東の透き通るような空の青さを、どこで戦争があるのだろうかと疑われるほどの静けさのなかで、ほれぼれと眺めていた。」
あのちょっと呑気そうな先生を物語っているように思う。

本学の卒業生が先生へお別れの言葉を述べた。とても心のこもった、先生と心のかよった付きあいがなかったならば語れないような素敵な内容だった。

生前の写真も紹介されて、そのなかに学生たちと行かれた温泉旅行のものがあり、先生が宴会の席で奥のほうに浴衣を着てぴょこんと座っていて、学生が先生を囲んでいる写真。ほのぼのしている写真だった。

心からご冥福をお祈りします。

2011/03/01

善き人のためのソナタ

Yokihitosonata

ドイツ映画「善き人のためのソナタ」を見る。

壁崩壊5年前の東ベルリンが舞台。活動家たちは24時間監視され、盗聴され、一般市民も怯える日々。驚くことは、戦前とかじゃなくて、自分が生きている同時代にこのような体制があった事実だ。無知な私は、冷戦時代の東の体制がこんなにも抑圧されたものだとは的確に認識しておらず、民主主義や社会主義を認識するようになった中学、高校時代の私は、社会主義国の人々は平等配分のもと、その体制下で私たち民主主義国と「幸せ度」は同じに暮らしているのだと思っていた。主義が違うだけで人間の尊厳や自由は保障されているものだと信じていた。だって、教科書からはそんなふうに読み取れたし、それこそ今の北朝鮮のようにベールに包まれていたから。

しかし、その実態がこのように映画や書籍などで明らかにされると、いかに自分は無知だったかを知る。

この映画、見ごたえがある。

そして壁崩壊後、東西の人々はさまざまな思いを抱いただろう。

崩壊以前を懐古する人もいた(いる)と聞く。芸術家や作家など精神活動をしていた人も、いざ自由を手にしたとき、不自由だったときに維持されていた思想が開放され、表現ができなくなった人もいただろう。(この映画の劇作家がしばらくはそうだったように)

何かが崩れるときは徐々に来るのか、一気にくるのか。そのときその場に居合わせた人は不幸でありながらも、もし生き抜くことができたならその体験の深さは計り知れないほど深く貴重なものとなりうる。

この映画は最後の最後、感動的な場面で幕を閉じる。それまで硬直していた体が突然ほぐれて、涙が滲み出てきた。キャストも全て素晴らしかった。

興味深いのはもうひとつ。あの時代の東側のデザイン。家具や車など、見入ってしまう。いまあんなのがあれば絶対に選ぶと思う。

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