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2011/03/06

Sato Takeo sensei

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本学の名誉教授である佐藤武男先生が逝去された。享年90歳。

先生とのお別れ会に出席。

私はお別れ会というものに初めて出席したのだが、(こんなことを言うと不謹慎かもしれないけれど)とても味わい深かったというか、故人についてじっくりと認識できたというか、いままでに経験したことのない不思議な感覚があった。

先生は長生きされたし、幸せな人生だったことは間違いないと思ったので、お別れ会は私にとって淡々と過ぎるはずだった。

しかし、実際は献花をする際に、献花台の横にあった先生の写真を見たとたん、涙があふれてきてしまう。その写真がどういう写真だったかというと、電車をバックにトレンチコート(だっと思う)を着た先生がこっちを向いている写真で、まさにいまから旅に出ようとしているかのような場面でった。

BGMには生演奏のバイオリン(一人の演奏)の優しいクラシック曲が流れ、どういうわけか自分でも理由がわからないまま、ただただ、涙が止め処なく出てきて困った。(着席してからも修まらず、ズルズルと鼻水は出るし本当に自分のことながら困った)

佐藤先生とは、私が現在の職場に採用されてから1年半くらいのおつきあいであった。先生が定宿としている市内のホテルの予約をしたりなどしていた。2、3度だったと思うが、先生行きつけのカフェに他の職員とお供させていただき、美味しいコーヒーとケーキをご馳走になったことも。それから、先生は気学の研究もされていて、特にお願いしたというわけではないのだが、いつだったかA4に何枚も、私の運勢を綴ってくださったことがあった。

私が出会ったときは、70代後半、もうすぐ80歳になろうとされていた頃だったのだが、いつもベレー帽を品よく被られ、ベージュや茶系のスーツやジャケットを身にまとっておられた。

本学を去る前に『上州のこころ』を出版された。お別れ会から帰宅後、改めて読んでみると、先生の人生の一部を感じることができる。ユーモアも満ちている一冊だ。

奥様が喪主の挨拶で、先生の骨について語られていたのだが、それは先生の骨壷は一番大きいサイズだったという話で、奥様いわく「見た目は弱々しくて、母性本能をくすぐるところがあって、つい手を差し伸べてあげたくなってしまうような人だったのに、骨になってみてみると頑丈なしっかりと太い骨で、私は騙されていました。」ということだった。それには会場が沸いた。確かに先生は手を添えてあげなければ倒れてしまいそうな雰囲気をお持ちだった。でも『上州のこころ』のあとがきを拝読すると、その骨が健康なものになった所以がわかるような気がした。先生は鉄格子に囲まれた日の当たらない会社員(正確には銀行員)から開放されたくて2回も辞表を出したり、兵役では最初は庶務の任務に就いたが、不適とされて施設関係の、いわば肉体を使う任務に移されたり、その後、周囲が麦畑だったことがある仕事につくことを決意させたり、はたまた、人手による田植えの苦しさを味わうために農家を手伝ったりと、とにかく、アウトドア派だったことがわかる。若いころからのそういった日常が、先生の骨を強くたくましくしていったのかもしれない。

『上州のこころ』の挿絵は先生の太田での定宿に勤務する方によるものだそうだ。そんなところも佐藤先生らしい優しさがにじみ出ていると思う。

それから戦争中の任務について、こんな記述がある。
「いまは、南の島で餓死した同年の世代には申し訳ないことだが、ほぼ一年の間、東北に近い栃木の山で、北関東の透き通るような空の青さを、どこで戦争があるのだろうかと疑われるほどの静けさのなかで、ほれぼれと眺めていた。」
あのちょっと呑気そうな先生を物語っているように思う。

本学の卒業生が先生へお別れの言葉を述べた。とても心のこもった、先生と心のかよった付きあいがなかったならば語れないような素敵な内容だった。

生前の写真も紹介されて、そのなかに学生たちと行かれた温泉旅行のものがあり、先生が宴会の席で奥のほうに浴衣を着てぴょこんと座っていて、学生が先生を囲んでいる写真。ほのぼのしている写真だった。

心からご冥福をお祈りします。

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