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2011/05/29

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図書館で本を借りるときや、本屋で何を買おうか見るとき、自然に足が向かうのは旅関係の棚である。ガイドブックではなくて、紀行文や写真、それから外国の地が舞台の小説など。そして、今日みたいな雨の一日は、家の中でそれらを読んだり見たりしては、思いを巡らせるのがこの上ない幸せ。

でも、そうだ、そろそろ旅に行きたいな、と今日思った。

私は決して旅慣れていない。

一人旅がほとんどだから、いつもドキドキしている。

いろんなところに行くよりも、どちらかといえば気に入った都市に何度も行きたい。

乗換えに自信がないから、直行便で行ける都市ばかり選んでいる。

でも、私の旅には私なりのポリシーのようなものがあるように思う。

たとえば、できるだけパッケージツアーは避ける。(まあ、一人旅だとパッケージツアーは割高になるので、避けたほうがいいわけだが) その理由は日本人ガイドや日本人観光客と行動を共にすると、海外を満喫できないためである。一度、パリに行ったときに、空港からホテルまでの送迎と、市内観光をある日本の旅行社のパッケージでお願いしたことがあった。確かにラクではあるのだが、後から思いだしてもあまり記憶に残っていない。おたおたしても、自分で鉄道やタクシーに乗って市内に向かったり、あまり効率的ではなく、回れる場所が限られても自分の力ひとつで回ったほうが断然記憶の奥深いところにその足跡があり続けるように思う。

そのパリで、半日市内観光をした際、日本人の女性ガイドが言うことが、ことごとく私を不快にさせたのも、もう団体行動は嫌だ、と感じた原因だ。彼女は高級住宅街に差し掛かると、そこここの高級アパートを指差し、それらの値段を言い、「みなさんもぜひご購入して住んでみてくださいね。(無理でしょうけど)」と言うのだった。それはそれはしつこいくらいに。それから、バスの運転手に心付けをすることを半ば強制するようなことも言っていた。彼は香水を渡すととても喜びます、とまで。恐らくそのバスに乗った旅行者で心付けを渡した人は誰もいなかっただろう。

この半日市内観光は、そのガイドのことばかりがいつまでも記憶に残り、せっかく行ったモンマルトルとかエッフェル塔などの印象が薄れていることにハタとするのだ。

そんなわけで、どんなに不効率でも、基本的に私の旅は自力で行動がモットー。

あっ、でも心に残るガイドさんもいる。それはかれこれ10年くらい前にこれもやはり一人でニューヨークに行ったときのこと。それは冬だった。一人で夕食をとるのもいいけれど、一度くらいは誰かとともにできたらと、夕食付きのナイトツアーに申し込んだ。その日の申込者は私を含めて確か5人くらいで、しかも全員が女性だった。そしてガイドさんも日本人女性。夕食はシーフードレストランで、それはそれはおいしいロブスターなどをいただいた。そのガイドさんは年齢が当時40代半ばくらいだっただろうか。押しつけることなど何もなく、こちらが観光に関する質問をすると、さりげなくアドバイスしてくれる程度で、自然な雰囲気をつくってくれていた。そして、帰り、ホテルまで送り届けてくれる車のなかで、冬のマンハッタンの通りかかったストリートのアパートメントの明りを見ながら、「私はこうしてこの街のアパートメントの窓の明かりを見るのがとても好きなんです。いろんな人の暮らしをそこに見るような気がして。」と言った。とてもしみじみと。あー、この人はこの街が好きなんだなぁ、と思った。そういう人にガイドしてもらえたことをとても幸せに感じた旅でもあった。

ツアーに申し込むと、そんな出会いもあることを、念のため。

あとは、本を持っていく、というのもある。ガイドブックではなくて、小説など。旅先で読む本というのは面白いものだと思う。一番いいのは、旅先の街がその本の舞台になっているような本。そうすると、その旅が二重に楽しめたり。そうでなくても日常から離れていて、そこで本のなかの世界を旅するのは、とても面白いのだ。(うまく言えないけれど) だから私は空港の書店でわざわざ本を探して買っていったりする。

それから、宿泊するホテルのまわりを散策する、というのもある。できれば朝がいい。観光地ではない、現地の日常を少しだけ感じることができるような気がする。ホテルで朝食を食べたあと、部屋に戻らずその足で散歩したり、ホテルで朝食が出ないときは、朝食を食べに出ながら、とか。その朝がとりわけ気持ちよく晴れていたりすると、どんな観光名所よりも心に刻まれていたりする。

一度、上海で朝、散策に出たときのこと。その日の気候はあまりよくなかったけれど、ゆっくりした足取りでホテルから歩いて出かけてみた。日本人など誰もいかないような場所を歩いてみた。リヤカーで野菜を売る人や、体育館わきで一人で太極拳をする人などを横目で見ながら。そして街かどに人が出入りするような古びた建物があり、入ってみるとそれは小さな市場であった。もちろんそんな場所はガイドブックには載っていない。入るとその街のというか、その近くの住人が買い物に来ている。とてもきれいとは言い難いが、確かにそこは現地の人に必要とされている場所なんだと思った。野菜や、魚や肉や、生きたニワトリまでが売られていた!そういう光景を見ることが、私の好きな旅のスタイルだと思う。

そんなことを書いていると、余計にどこかに行きたいな、と思う日曜の雨の夜。

下の写真は件の上海の庶民の市場。

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2011/05/14

non title

角田光代のエッセイでひどく私を肯かせたものがあった。
それは、人が本当に辛くてかなしいときに救われるのは、誰かの(それは見ず知らずの人でもいい)他愛ない、ばかばかしいと思うような会話だったりする、というような内容。
詳しくは『恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。』を読んでみてください。(確かこれだったように思う)

震災後、慰めのことばがむなしく聞こえることもある今日この頃。
もしかしたら、あいさつするとか、笑顔でいるとか、ありがとうと言うとか、なんでもないようなそのようなことが、一番のことなのではないか。
職場の人が話すくだらない冗談とか。普段煙たがられている人でも、そんな人の可笑しさまでが慰めになったりする。
そういうことでいいんじゃないかと最近思う。

2011/05/12

marimekko

最近、書店でよく出ている雑誌で、ブランドとコラボしていて、そのブランドのトートバッグなどが付録についてくるものがあるが、私はそういうのにはまったくと言っていいほど興味がなかった。ところが、である。昨日たまたま入った書店にマリメッコのそれがあったのである。こうなると、気になって仕方がない。やはりトートバッグがついてくるというし。どちらかというと、付録よりも雑誌本体のほうが見たくて見たくて仕方なかった。でも本体にはビニールが巻いてあって、中が見えないのだった。

雑誌にしては1500円ちょっとで高かったけれど、マリメッコ一色のそれがほしかった。

201105122126000 というわけで購入

201105122130000 トートは意外に大きかった。(ペンと比較してみてください)

Image 雑誌の中身

マリメッコの歴史や代表的なテキスタイルデザインがカタログのように掲載されている。また、フィンランドの人々がマリメッコをどんなふうに生活に取り入れているかの紹介もある。やっぱり買ってよかった。

マリメッコって、たとえばワンピースなどは柄が派手で自分では着られないなぁ、と思うけれど、それが存在しフィンランドの人々に愛用されているというのは理解できる。時には大胆なプリント柄が、長く暗い北欧の冬にこころを明るくしてくれたりするんだろうな、と思う。

また、ときにはシックなデザインもあり、それらは即、欲しいと思う。ブラックのウールのコートとか。以前、旅行で行ったとき、お店になんども足を運び試着してはどうしようかと迷ったりした。結局値段がとても高かっかったから諦めたけれど・・・

愛着をもって使用し続けるには、自分にとって意味のあるものを選べるか、ということもあると思う。そういう意味でマリメッコは私には意味をもつブランドなのかもしれない。

2011/05/04

Ashikaga Flower Park

親戚と一緒に足利フラワーパークへ。

藤が有名で、GWということもあり、駐車場に入るのに渋滞が発生していた。

私は自然を人工的に演出したものにはあまり興味がわかないほうだと思う。だからか、藤棚というと人が棚を作って藤を形づくるということにいままでは関心が向かなかった。でも、今回行ってみると、一本の木から四方八方に広がる樹齢100年を超える姿には感動。それから、垂れ下がる無数の花から漂うほんのり甘い香りが実によかった。

写真を掲載します。(クリックで拡大)

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Resize0044 白藤(満開までもう少し)

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Resize0037 うす紅の藤

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Resize0038 足元にも花々が。

Resize0039 しゃくなげ

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