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2011/09/21

Berlin 8

ベルリンの壁跡を見るために、Sバーンに乗ってオスト駅へ向かう。

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↑Sバーンのアレキサンダープラッツ駅ホーム

車体の色がなんとなくだが、社会主義時代っぽい?(当時のものとは違うかもしれないけれど)

2駅目のオスト駅で下車。(オスト駅の写真を撮り忘れる) この駅は東ドイツ時代は、中央駅と呼ばれていたという。(いまは旧西ベルリン側に中央駅が新たにできている)でも、かつての中央駅にしては、駅前が殺伐としていた。駅自体は建て替えられたのだろう、近代的な建物になっている。

そして、駅からシュプレー川方面に歩くこと5分ほどで、観光名所になっているイーストサイドギャラリー(壁跡)に到着。

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↑シュプレー川沿いに壁が保存されている。(壁の向こうがシュプレー川で旧西ベルリン側)

この雰囲気は、実は期待していたほどではなかった。

でも、考えてみると自分は一体何を期待していたのだろう・・・

壁自体は明るく楽しいものではないはずで、いくらギャラリーとしてカラフルにペイントされていたところで、それらが醸し出すものは心を浮き立たせることはないのかもしれない。

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↑このようにアーティストがペイントをほどこしている。

その距離1.3キロだとか。もちろんわたしは、その距離を歩くのはちょっとダメだと思い(というのも、ここに来るまえにミュージアム2つ、ベルリン大聖堂<ここではドームの上部まで登って足ががくがく>に行き、もうヘトヘト状態だったから)、さわりだけ見てオスト駅まで引き返したのだった。

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↑これ、感慨深いペイント。

壁が築かれた1961年から崩壊した1989年まで、ただ西暦を並べているだけなのだが、こうして見ると、壁の存在というのはあっけなかったのかな、とも思う。やはり、不自然な構造というのは長続きするのものではないのかな。

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↑壁の断面

この場所は意外に薄い壁だったんだなぁ。

壁の厚さは場所によって違ったとどこかに書いてあったような。ブランデンブルク門前の壁は、当時の写真を見てもすごく分厚い。壁崩壊のニュースが流れたとき、壁の上にたくさんの人が乗っていたのを思い出しても、けっこうな厚みがあったことがわかる。でも、壁の上には電流フェンスが張ってあり、恐ろしい警備犬が放してあって、人が近寄ればわかるように砂がならされてあり、監視塔が一定の間隔であって銃口を向けた監視員が24時間見張っていたのだから、壁が薄かろうが厚かろうがあまり関係ないように思う。

壁について知るために、壁の博物館というところにも行ってみた。(上記ギャラリーとはまったく違う場所です)

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↑チェックポイントチャーリー跡

壁博物館はここチェックポイントチャーリーのところにある。ベルリンに来た観光客は必ずといっていいほど行く場所なのかな、ここに向かう人の流れができていたので、地図を見ずとも、流れに乗れば到着となる。少し雨がぱらついて、風も出てきて、人も多くて疲れが増す。

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↑壁博物館

わたしは、当初、壁博物館は壁が崩壊したのを記念して、壁をネタに最近できたものとばかり思っていたのだが、行ってみて初めて知ったのは、この博物館、1962年に作られたのだということ。この事実にはなかなか感動した。ということは、壁ができた翌年からということなのだ!

壁博物館には、脱出を試みる様子を記録した写真(地下トンネルや改造車に潜む様子など)や、実際に逃亡に使用した熱気球や潜水艦、ハングライダーなどが展示されていて、それらが本物だけに見入ってしまった。
説明がびっしりパネルに書かれていたりもしたが、混んでいたのと疲れていたため、それらを読む気力はあまりなく、分からない単語もたくさんあって、ざっと流すことに。
それにしても、さまざまな方法でトライしたものだ。空から、地下から、トラックや自動車に潜んで検問所から・・・それはそれは、心臓が飛び出んばかりの心境だったことと思う。

この博物館で入手したパンフレット(日本語版)の冒頭にこう書いてある。

「この自由の孤島からは小窓を通して、検問所様子が手に取るようによく判り、亡命してきた方も、ここで一息ついたものです。また逃亡計画もここで練られ、旧東独の不正に対する闘いが、ここで繰り広げられたのです。・・・」

壁の時代をイメージするとき、東側が「不自由」だったと思うのは自然なことだと思うのだが、考えてみると壁は西ベルリンを包囲していたわけで、物理的には西ベルリンこそ陸の孤島と化していたわけだ。
でも、情報が極端にコントロールされ、行動が制限され、常に誰かに監視され、物事が正しく伝わらない世界を考えたとき、やはり東側が閉ざされていたというイメージに舞い戻る。東側は自分たちを壁で閉ざしてしまった。

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壁博物館でもらったパンフレットからのデータを一部記しておきます。

西ベルリン包囲網の全長:155.0km
(その内訳)
東西ベルリン分割ライン:43.1km
旧東独と西ベルリンの分割ライン:111.9km

金網製フェンス:66.5km
監視塔の数:302
警備犬ゾーンの数:259
電気接触フェンスないし電気警報フェンス:127.5km
歩哨路:124.3km

専用壁1枚について
高さ:3.60m
幅:1.20m
重量:2.6トン
材料:高密度鉄筋コンクリート

包囲網による死亡者ならびに逃亡件数(1961年8月13日から89年11月9日まで)
成功した逃亡の件数:5075
死亡者数:250

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