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2012/01/02

ベルリン天使の詩

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87年公開の映画だが、今回初めて見た。

全編をとおして淡々としているが、不思議なことに始まりから終わりまで、ものすごい緊張感が走っている。セリフというセリフはその多くが登場人物が心でつぶやいているもの。それを天使が聴いているのである。

天使が自分たちの居場所にしているらしい図書館が、映画を見終わったあとも残像のように脳裏に焼き付いている。きっとここはベルリンに実在する図書館に違いないと思い、ネットで調べてみるとやはりそのようであった。どうやらベルリンフィルに隣接しているようで、ならば去年の旅ですぐ近くを歩いて通ったのだと気付く。あのときは絵画館が目的地で、その国立図書館に立ち寄ろうとはまったく考えていなかったので、今さら後悔している。映画のなかの図書館はモノクロで館内が写っているのだが、モダンな建築だということが見て取れる。もしまたベルリンに行くことがあるならば、ぜひこの図書館を見ておきたいと思う。

この映画が撮られたときはベルリンはまだ、東西分断時代で、西ベルリンが舞台になっている。ときおり壁ぎわで撮られた構図があり、そんな場面ではわたしの目は壁の向こう側(東側)の様子にくぎ付けになる。また、ベルリンの街並みにも。街並みは美しいが悲しみを呈した美しさというように映る。パリのような明るさはなく、やや冷たさをたたえているように感じる。それはベルリンが歴史上特異な性質を持ってしまった都市だからか、それとも、そのことを強く意識しすぎているわたしの先入観があるからなのかはわからない。

ときおり現れる、たとえばサーカス小屋のあった場所とか、図書館にいた老人が移動して現れる場所は、大都市のなかにあるとは思えないような空き地である。そのような場所は見ているだけで人間界に絶望感までも感じさせる効果がある。

ピーター・フォークが登場する。ドイツ語の映画で、わたしの知らない時代のベルリンで、彼が出てくることがわたしに(観客に)安堵感を与えていたように思う。それは、コロンボとして大衆に見覚えのある俳優(この映画のなかで彼はピーター・フォーク役で登場している)であるということと、映画のなかで実は彼は○○である(ここでは言わないでおく)ということが、全体的に冷たさを帯びた作品にじんわりと血を通わせたような気がしている。

結局のところ、この映画が何を言いたかったのか・・・ 当時のベルリンという都市の様子を見るのに精いっぱいで、あまり考える余裕もなかった。実際、字幕を追うよりもベルリンの街並みや当時の西ベルリンの人々の生活ぶりなどに見入ってしまった。

天使のひとりが人間の女性(サーカス団の空中ブランコの女性)に恋をして、天使の身分を捨てて人間になり、女性と結ばれるシーンが最後の山場だが、さまざまな苦悩を抱えていて命に限りがあっても、人間として生きることは素晴らしいということだ、という結論ではあまりに単純すぎるような気がする。

映画のなかで「子どものころは・・・・だった。」というセリフが多用されているが、人間として生きることはそううまくいくばかりでないことを知らしめている効果があったと思う。

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