« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012/03/20

散歩

自分が住む町を好きになりたいなと思って、今日はカメラを持って散歩に出かけた。

気が向いたら写真を撮ってブログに掲載してみようと思う。

今日の1枚。

Resize0149_2

そしておまけ↓

Resize0150_3

日光浴するカメ。3兄弟(?)も笑えるが、左の1匹の後ろ足に注目!

緊張感まるでない。

彼らもこの町の住人である。

2012/03/17

angel

(即席ショートストーリー)

その都市の中央駅前に、そのカフェはある。
カフェは国立の美術館に併設されていて、美術館の閉館時間後も、カフェのほうは深夜0時まで営業している。

・・・・・・・・・・・・・・・・

2月。

その日は午後から街に雪が降っていた。
こんな日にカフェに寄る人は少なく、近くのホテルに滞在している旅行者や、アルバイトを終えた大学生がぽつりぽつりと来て小一時間ほどすごしては去っていく。

23時。
雪は本降りになってきた。そして、カフェには誰もいなくなる。
わたしはそろそろ店を閉めようと準備していた。こんな日はもう客も来ないことが多いから、早めに閉めてもオーナーからは咎められることもない。だいいち深夜の店番はわたし一人なので、早終いしたところでオーナーが知ることもないのだ。

そこへ、運悪く客が入ってきた。
30歳くらいの女性。こんな時間に一人でどうしたのだろう。カウンターでカプチーノを注文して待っている。普段なら「もう閉店なのです、すみません」と言って断るところだが、「お待ちください」とわたしが言ったのは、その女性の目にうっすら涙が見えたからだ。
そして、彼女はわたしが差し出したカップを手にとり、代金をカウンターに置くと、一番奥の壁ぎわのソファー席に座る。シンプルな黒いソファーに。

彼女の頭上にはこの美術館の看板作品「傷ついた天使」のレプリカが掛けられている。二人の少年が天使--布で目を覆われていて、羽は傷ついている--を担架に乗せて歩いている作品だ。天使は野に咲く花を携えている。この絵がどうして人気があるのか不思議だが、実はわたし自身も強く惹かれる一人だ。背景はこの国の国土を連想させ、少年と天使はキャンバス全体に大きく描かれている。少年たちの表情はとても暗く、天使は担架に座ってうつむいている。

今夜、一人の女性がおそらく傷ついていて、この絵の下に座り時をすごしている。

室内が冷えてきたので、暖房の設定温度を少し上げた。

時計を見ると0時10分。

わたしは店の入り口に「CLOSED」の札を下げてから、2杯のコーヒーとシナモンロールを2個トレイに乗せて、奥のテーブルに向かった。ほんの少しだけ世間話でもして、傷ついた天使に寄り添うつもりで。

おわり

just for N

300pxthe_wounded_angel__hugo_simber

2012/03/11

3月11日に

あの日はどんよりとした天気で、確か空は厚い雲に覆われていた。

わたしは職場でデスクワークをしていて、思い出すのはその少し前に宇都宮から来たというワッフル業者の人が営業でワッフルを売りに来て、職場のみんながせっかくだからと購入したこと。あの地震のあとあのワッフル屋さんは無事に帰れただろうか。

わたしは普段のちょっとした揺れでもすぐに建物の外に避難しようとする方だったので、あの日は何の躊躇もなく外に避難した。大きな揺れがおさまるどころか長くうねるように続き、いま自分が立っている足下の地面が割れるのではないかと思ったことを覚えている。そして、直立していられなくて地面に膝をついてしまうほどだった。

普通なら車で20分くらいのところ、帰宅時間に2時間以上かかった。家に帰ると置時計が落下していたり、食器棚のグラスなどが割れてしまっていたり。マック(ビーグル犬)は外の犬小屋でおとなしく待っていた。そのあと外出していた両親が無事に帰ってきた。家族がみな無事だったことにまずほっとした。

あとから、あの揺れのあともう一度大きな揺れが来たよね、と誰かが言っていたが、わたしはそのことを覚えていない。極度の恐怖からなのか、あまり細部を覚えていないのだ。

あの震災に対して、わたしはいったい何をしてきたのだろうか。被災者に対して何か支援できただろうか、と考えるとき愕然とする。阪神大震災のときはもっと冷静に客観的に見つめることができたのだが、今回は自分や家族にも実際に降りかかるかもしれないという恐怖が先立ってしまって、なかなか現実のこととして受け入れることができないという情けない状態になっている。それから、被害の規模があまりにも大きすぎて、自分ができることと言えば定期的な義援金の寄付くらいで。実際に被災地に行って瓦礫の撤去ボランティアなどをしている方々が身近にもいて、でも自分にはなかなか余裕がなく参加できなかった。

自分は弱い人間だなぁ、と思う。

恐怖のときに足がすくんでおののいてしまう。

自分のことでいっぱいいっぱいになってしまう。

もっと強くありたい。

心に余裕をもった生き方をしたい。

3月11日にそんなことを考えている。

被災地は徐々に復興しているのだと思う。その歩みはとてもとても遅く、被災者は政府の対応にもどかしさを通り越して、怒りを感じることだろうと思う。でも、確実に前に進んでいることを信じて、数年後に振り返ったときに、あのときがが我慢どきだったと思えるはずだと信じて、前を向いて生活していただきたいと願う。そして、そういう方々がいることをいつも心に置いてわたしも毎日を大切に生きていきたいと思う。

いま、震災に関する書籍やら映像やらが反乱しているように思う。わたしは敢えてそれらを見ないことにしている。いまじゃなくて、もっとずっと後になってから語られることを待ちたいと思う。いまはそういうときじゃないような気がしている。(これはあくまで自分の考えです)

2012/03/04

マンハッタンという宝石

各国の国際空港は大抵、中心地から離れた殺伐とした場所にあるように思う。ニューヨークも摩天楼に空港があるはずもなく、JFK国際空港はマンハッタンから離れたクイーンズ区にある。何度か行った旅の際、わたしはいずれもタクシーでマンハッタンに入った。そのときに思うこと。それは、ほかのどの空港から中心地に入るよりも、マンハッタンに入るときは特別な感覚がある、ということ。もちろん思い入れも大きく影響しているけれど、まず、マンハッタンは島であること、それにその島に高層ビルがギュッと凝縮されたように建っていて、島全体が宝石のように見えることによると思う。ニューヨークの場合は、感動がひとしおなのである。空港からのタクシーがマンハッタンに近づいてくると、やがてあれがマンハッタンだとわかるほどのビル群が見えてくる。すると、あー、来たんだなぁ・・と、強く実感するのだ。

Resize0148

この写真は確か、タクシーでマンハッタンを後にしたときのものだと思う。真ん中のビルはエンパイア・ステイト・ビルディング。朝日が当たったマンハッタン。街が目覚めた時間。

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

twitter

  • twitter
無料ブログはココログ