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2012/04/01

Summer Days

(日曜日に書くショートストーリー)

その絵を見たときに以前どこかで見たことがある、と思った。しばらくその場に立ち思い出そうとした。じっと動けないまま。

ジョージア・オキーフの Summer Days
赤褐色の山の上は広い空がキャンパスいっぱいに描かれ、そのど真ん中に動物の頭がい骨がうかんでいる。そしてその下、やはり空の空間に夏の花があしらわれている、というシュールな構成。でも、色使いの潔癖さと、山、頭がい骨、花の迷いのない位置が、その絵が強い意志を表現しているように感じる。

美術館を出てからチャイナタウンで遅めのランチをとろうと思ったので、地下鉄の駅に向かう。この街に来て10日が経った今日は9月の初旬で、まだまだ蒸した暑い空気が肌にまとわりついてくる。この街の夏は暑い。そんな季節にわたしは期限を決めずに滞在している。15年勤めた会社を辞めて、一旦自分に休息期間をあげるために。いまの自分にはそういう時間が必要だと感じている。ただ朝起きてコーヒーを飲み、シャワーを浴びてから街や公園を歩くこと、美術館や博物館に入ってひたすら作品を眺めること、教会の祭壇やステンドグラスを見ること、古本屋に入って画集や写真集を手にとってみること、ただそんなことをしていたかった。その間はこれまでのこと、そしてこれからのことを一切考えないことに決めていた。

地下鉄の入り口から階段を下りていくと、ムッとした饐えた鼻につんとくる臭いが上がってくる。壁や空気そのものに染みついたこの街の臭い。この街に暮らしたり、通過したりした様々な人種の体臭や食べ物などありとあらゆるものが混ざったそれは、不思議と受け入れることができる。そうなることを避けることなどできなかった諦めのような臭いだからだと思う。

少し長めの滞在になるかもしれない今回は、節約のためにトイレ・バス・キッチンが共有のアパートメントホテルに宿泊している。周囲は大学があったり図書館の分館があったり、街のシンボル的広場があったり、文化的な雰囲気がある。アパートメントスタイルのため、半分くらいは住人が定まっているようである。以前、2度ほどこのホテルを利用したことがある。その頃ポーターのような役割をしている年配の黒人男性がいて、彼は片目がなかった。朝食をとるために半地下に降りるエレベーターのカギを操作してくれた彼は(なぜかエレベーターで地下に行くときはカギが必要だった!)まるで現代の人間ではなく、おとぎ話から出てきたのではないかと思えるような風貌で、一言でいえば愛着を感じる人物であった。狭い狭いエレベーターの中でわたしは彼に自己紹介をして彼ももちろん返してくれた。名前はもう覚えていないが、それがかれこれ10年くらい前のことである。
そしてもうフロントや廊下を見回しても彼の姿はない。もしかしたら、と思う。そのポーターは最初からいなかったのではないかと。だいいち、こんな小さなホテルにポーターがなぜいたのだろう。でも、それはいまとなってはどちらでもいいような気がする。だから敢えて彼のことはフロントで尋ねることはせず、夜更けに近くのカフェにコーヒーを買いに出て帰ってきたときに、ロビーで夜勤についている彼と再会などできることを想像していたりした。そんな時間帯に彼はひょいと現れる、そんな役割を担って生きてるのではないかと本気で考えたりしている。

こんなふうにしてだらだらと目的もなく毎日を過ごしていたが、唯一、2日に1回はあのsummer daysが展示されている美術館に行くことにしていた。何か思い出せそうで思い出せない、ひっかかるものを感じていたのだ。
朝から雨が降っていた。9月の下旬、さすがに半袖ではいられず、バッグからパーカーを引っ張りだして羽おってバスで美術館方面へ向かう。
以前はバスがあまり好きではなかった。時間が正確でないのが自分の性格に合わないと思っていた。でもいまこうして気ままな時間を過ごす身になると、バスという乗り物がこの上なく上質なものに思えてくるから不思議だ。ぼーっと車窓から街並みを見ていて、当初降りる予定にしていなかった場所でも、あっ!と思ったときに予定外に降りる楽しさがある。地下鉄だとこうはいかない。クリスマスのイルミネーションの季節など、バスの座席から一流のショーウィンドウの飾り付けが楽しめるだろう。

雨のせいだったのだろうか、それとも美術館に入ったとたんコーヒーの香りが館内のカフェから漂ってきたからだろうか、わたしはsummer daysをかつてどこで見たかをこのタイミングで思い出した。学生のときに、特に雨の降る日に一人でよく行った喫茶店にその絵のレプリカが飾ってあったのだった。わたしが好んで座っていた奥の窓際の、通りが見下ろせる席の横の壁に。あるいはそれはポスターだったかもしれない。画鋲で止めてあった類のものだったかもしれない。ただそこに描かれているものが、あまりにもストレートに何かを訴えているように思えて、雨の日にそぐわないその作品に、また物事にたいして素直に受け止められない時期だったからか、わたしには好きというのとは程遠い一枚の絵であったように思う。

そうだ、この絵が描かれた場所に行こう。
確かにいまそう思った。それがどの場所なのか、または空想の場所なのか。どうか実在の場所でありますようにと祈りながら、そう誓う。
そして、そこを原点にしよう。まだ何も始まっていなかったあの雨の日の喫茶店にいる学生のころの自分をもう一度取り戻そう。
そう決心したと同時にsummer daysについて質問をするために、わたしはロビーの職員のところに向かって走っていた。

(おわり)

O_keeffe_summerdays_240

Summer Days, 1936
Georgia O’Keeffe
(Whitney Museum of American Art)

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