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2013/01/21

I 先生のこと

忘れがたい人

亡くなった人からその死後に手紙が届くという経験は、誰にでもあるわけではないだろう。いつかこの方のことをここに書きたいと思っていたけれど、手紙を受け取ってから2年半ほどが過ぎてしまった。ここにI先生のことを書こうと思う。

もう、10年以上前のことになるが、わたしは某医学部の研究室に雇われていた。そこでお世話になったのがI先生だ。I先生は助教授で(現在は準教授と言いますが)、研究室のなかでは一番の研究熱心な先生だった。コツコツ努力を積み重ねるタイプで、他の先生とおしゃべりに興じることなど少なかったのではないかと思う。外来やオペ室勤務以外は、研究室や実験室に朝から晩までこもって研究に勤しんでいらした。ぜったいにふざけたことをしたり、言ったりしない固い性格だったが、とても優しい人だった。たとえば、わたしが流しでグラスを割って手を切ってしまったことがあった。ちょうどそのときにI先生がその部屋にいらしていて、心配してくれ、「オペ室に電話をしておきますから、すぐに消毒に行きなさい」と言ってくださった。温かい心の持ち主で、紳士。わたしは個人的に大変尊敬していた。

こちらから話しかけることはあっても、I先生から話しかけてくることはあまりなかったが、あるとき珍しくI先生がわたしたちのところに見えて、うれしそうに教えてくださったことがあった。それは、I先生が実験で撮影したラットの心臓(だったと思う。いや、他の臓器だったかも・・・)のカラー写真が、世界的に権威のある外国の医学雑誌の表紙を飾ったことを知らせるというものだった。そのときの先生のうれしそうな顔をいまでもよく思い出す。その表紙をカラーコピーして、I先生はご自身の研究室のドアに貼っていたことも。

I先生はその後、東京にある医科大学に移り教授となった。そのときに研究室の女性スタッフ3人を、大学近くのドイツ料理を食べさせてくれるレストランに招いてくださった。奥様も同席された。

それからずっと、先生との年賀状のやりとりは続いていたのだが、2年半ほど前に突然、奥様からI先生の死を告げる手紙が届いた。定年退官されて間もない、まだまだこれから学会にも参加され、研究を続けられるであろう年齢で、その死は早すぎるものだった。わたしはすぐにお悔やみの手紙を書いてお送りした。そこに、上述のI先生のエピソードを添えて。

それからしばらく経ったある日のこと、自宅ポストに分厚い手紙が入っていた。差出人を見るとI先生だった。わたしは一瞬目をうたがったけれど、間違いなくI先生からだった。
その手紙はパソコンで打たれたもので、I先生はご自身に縁のあった人々に宛てて共通の内容で書かれたものと思われる。遺言により、亡くなられたあと発送されたのだった。そこには、病気の診断が下され、余命を知ってからのことや、生い立ち、学生時代に熱中した野球のこと、ご家族のことなど、先生の思いが手紙から溢れんばかりにしたためられていた。長い長い手紙だった。そのなかで、東京の医大を退官してからも、研究に没頭できる環境を同じ大学の先生が用意してくれ、とても幸せだったことが書かれていて、なぜだかその部分は、小説を読んでいるかのごとく情景が浮かんでくるのだった。わたしも、I先生が東京の大学に移られてから間もなくして、転職したのだが、転職してから仕事でよく東京に通っていた時期がある。まれに中央線に乗ることがあり、駅のホームからI先生の移動先の大学を見ていた。先生はあそこにいるんだなぁ、お元気だろうか・・・ などと思いながら。先生が死後に送ってくださった手紙を読むと、その大学での幸せな日々が綴られていて、充実した日々を送られていたのだと知り、あぁ、よかったと心から思えるのだ。

そして、余白には一言、先生の直筆のメッセージが書かれていた。とてもクセのある大きなあのI先生の文字で。

I先生はご自身の病気に対して、とても無念だったに違いない。けれど、その病気の性格ゆえに意識は最期までしっかりしていることに対して幸いだと書いている。

人はいつかは死を迎える。わたしもI先生のように強くいられるだろうか。
ご冥福をお祈りしています。先生はいまでも、天国で毎日白衣を着て実験に没頭しているような気がしてならない。

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