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2013/01/27

森亮太 展

館林美術館で開催中の森亮太の石の彫刻展に行ってきた。

ちょうど今日は学芸員の方による作品解説があるというので、時間に合わせて。

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展覧会の詳細はこちら ⇒ 館林美術館

石の彫刻は、本当は、手で触って味わうのが一番いいと学芸員さんは言っていた。森亮太も生前、それを望んでいたのだという。さすがに展示品すべてに触れることは禁じられていたが、2点のみ実際に手で触れてよい作品があった。(綿の手袋が備え付けられていて、それを付けて)どの作品もよく磨きあげられていて、ひとつの石からよくこの形にできたと、気の遠くなるような過程を想像しながら触れてみた。石に触れるときに(これはわたしの思いつきで)目を閉じて石の面を触ってみた。すると、その存在感がさらに増したような気がした。

展示室の一角に窓があり、その窓の前には「風の扉」という作品が置かれている。普段は光を嫌う絵画のために、その窓は閉鎖されているそうだが、今回恐らく美術館オープン後初めて窓を生かした展示をしたそうだ。

石って、わたしには心を落ち着かせるもののひとつのような気がする。それが冷たさを感じさせるものでも。でも、森亮太の石の作品にはぬくもりが感じられる。だからか、一層、同じ空間にいると落ち着くのだ。

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館林美術館は、どこを切り取っても美しいなぁ。

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2013/01/21

I 先生のこと

忘れがたい人

亡くなった人からその死後に手紙が届くという経験は、誰にでもあるわけではないだろう。いつかこの方のことをここに書きたいと思っていたけれど、手紙を受け取ってから2年半ほどが過ぎてしまった。ここにI先生のことを書こうと思う。

もう、10年以上前のことになるが、わたしは某医学部の研究室に雇われていた。そこでお世話になったのがI先生だ。I先生は助教授で(現在は準教授と言いますが)、研究室のなかでは一番の研究熱心な先生だった。コツコツ努力を積み重ねるタイプで、他の先生とおしゃべりに興じることなど少なかったのではないかと思う。外来やオペ室勤務以外は、研究室や実験室に朝から晩までこもって研究に勤しんでいらした。ぜったいにふざけたことをしたり、言ったりしない固い性格だったが、とても優しい人だった。たとえば、わたしが流しでグラスを割って手を切ってしまったことがあった。ちょうどそのときにI先生がその部屋にいらしていて、心配してくれ、「オペ室に電話をしておきますから、すぐに消毒に行きなさい」と言ってくださった。温かい心の持ち主で、紳士。わたしは個人的に大変尊敬していた。

こちらから話しかけることはあっても、I先生から話しかけてくることはあまりなかったが、あるとき珍しくI先生がわたしたちのところに見えて、うれしそうに教えてくださったことがあった。それは、I先生が実験で撮影したラットの心臓(だったと思う。いや、他の臓器だったかも・・・)のカラー写真が、世界的に権威のある外国の医学雑誌の表紙を飾ったことを知らせるというものだった。そのときの先生のうれしそうな顔をいまでもよく思い出す。その表紙をカラーコピーして、I先生はご自身の研究室のドアに貼っていたことも。

I先生はその後、東京にある医科大学に移り教授となった。そのときに研究室の女性スタッフ3人を、大学近くのドイツ料理を食べさせてくれるレストランに招いてくださった。奥様も同席された。

それからずっと、先生との年賀状のやりとりは続いていたのだが、2年半ほど前に突然、奥様からI先生の死を告げる手紙が届いた。定年退官されて間もない、まだまだこれから学会にも参加され、研究を続けられるであろう年齢で、その死は早すぎるものだった。わたしはすぐにお悔やみの手紙を書いてお送りした。そこに、上述のI先生のエピソードを添えて。

それからしばらく経ったある日のこと、自宅ポストに分厚い手紙が入っていた。差出人を見るとI先生だった。わたしは一瞬目をうたがったけれど、間違いなくI先生からだった。
その手紙はパソコンで打たれたもので、I先生はご自身に縁のあった人々に宛てて共通の内容で書かれたものと思われる。遺言により、亡くなられたあと発送されたのだった。そこには、病気の診断が下され、余命を知ってからのことや、生い立ち、学生時代に熱中した野球のこと、ご家族のことなど、先生の思いが手紙から溢れんばかりにしたためられていた。長い長い手紙だった。そのなかで、東京の医大を退官してからも、研究に没頭できる環境を同じ大学の先生が用意してくれ、とても幸せだったことが書かれていて、なぜだかその部分は、小説を読んでいるかのごとく情景が浮かんでくるのだった。わたしも、I先生が東京の大学に移られてから間もなくして、転職したのだが、転職してから仕事でよく東京に通っていた時期がある。まれに中央線に乗ることがあり、駅のホームからI先生の移動先の大学を見ていた。先生はあそこにいるんだなぁ、お元気だろうか・・・ などと思いながら。先生が死後に送ってくださった手紙を読むと、その大学での幸せな日々が綴られていて、充実した日々を送られていたのだと知り、あぁ、よかったと心から思えるのだ。

そして、余白には一言、先生の直筆のメッセージが書かれていた。とてもクセのある大きなあのI先生の文字で。

I先生はご自身の病気に対して、とても無念だったに違いない。けれど、その病気の性格ゆえに意識は最期までしっかりしていることに対して幸いだと書いている。

人はいつかは死を迎える。わたしもI先生のように強くいられるだろうか。
ご冥福をお祈りしています。先生はいまでも、天国で毎日白衣を着て実験に没頭しているような気がしてならない。

2013/01/12

アートのある空間について

ブログのデザインを変えてみました。

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最近、美術館に行ってないなぁ・・と思っていた先日、湯河原温泉に行った際、個人収集家が運営する美術館があることを知り、行ってみた。

そこは完全な個人宅で、そのことに関しては不満を言う理由もないのだが、作品を鑑賞している間、いろいろ考えさせられた。確かに展示作品は本物で素敵なものばかりなのだが、何かが足りないと。考えれば考えるほど、それは、それらの作品を取り囲む空間がいまひとつだったからに他ならない。

改めて思うことは、わたしたちが足を運ぶ展覧会は、たいがいテーマがあって、展示されている作品の理解を深められるように工夫されているし、展覧会場もその空間作りに工夫が施されている。美術品を鑑賞している間、なんだかとても心地よい気がするのはわたしだけではないと思う。そういう鑑賞に慣れてしまっているせいか、先日はちょっとがっかりしたのだった。わたしにとっての鑑賞は、居心地のよさ、美術館そのものも含めたものなのかもしれない。

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(写真は温泉宿からの朝の眺めと万葉公園の寒椿、それに樹齢600年を越す五所神社の楠の木です)

2013/01/03

new year

新年になりました。

今年も細々とこのブログを継続できたらと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

年末年始は、クリスマスのやり取りや、年賀状などで親しい人たちとの交流が濃くなる時期で、人とのつながりがもたらす温かみが自分を支えてくれていると改めて認識します。とってもありがたいと思うのです。

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さて・・・

新年だからといって何か特別なこともなく、普段の日曜日の連続のように過ごしている。休暇用にと買った本『カジュアル・ベイカンシー』も、ようやく読み始めているところ。

本といえば、文庫本を整理していたら、原田宗典の『ハラダ発ライ麦畑経由ニューヨーク行』というトラベルエッセイが出てきて、しばし読みふけることになる。原田宗典のエッセイはノリが軽すぎるので、ちょっと合わないところがあるのだが、これがニューヨーク旅行エッセイともなると話は別となる。

このエッセイのなかで、わたしの世代には「あぁ~、あったなぁ、そういうCM」と思う件があった。

ニューヨークの朝は、一杯のコーヒーから始まる。

ネスカフェのCM のキャッチフレーズ。ニューヨークの高層ビルの一室にビジネスマンと秘書がコーヒーを飲みながら談笑する朝のひと時、という設定だ。

あの頃は、こういう場面を見てアメリカに憧れた人は少なくないはずだ。わたしも間違いなくその一人である。

そして、このエッセイの「おち」に、ぷっと笑ってしまった。

原田宗典の仲間内では、このCMのキャッチをもじって、「小平市の朝は、一杯のミソ汁から始まる」など、ネスカフェごっこが流行ったとか。(笑)

年末の夜中にこのフレーズを読んで、心底吹き出してしまった。ありがたいフレーズだこと。

小平市に住むダジャレ好きの大学教授とちょっと重なって、さらにありがたく思った。(ユーモアも必要です)

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↑大あくびの瞬間

何か写真を、と思ったのですが、今年13歳になるマックの写真を。犬には年末も年始も関係ないみたいです。

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↑「おやつちょうだい」

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