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2013/04/29

貴婦人と一角獣展

ゴールデンウィーク前半、国立新美術館で開催が始まった「貴婦人と一角獣展」に行ってきた。

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この企画展は、フランス・パリの国立クリュニー中世美術館所蔵の6枚のタピスリー連作(1500年頃の制作)を、関連する彫刻や装飾品などとともに紹介するもの。この連作がこれまでにフランス国外に貸し出されたのは、1974年ニューヨークのメトロポリタン美術館への一度だけということだ。まさか日本で見られるとは思っていなかった。1974年のニューヨークでの展示ってどんな感じだったのだろうと、そのあたりも興味深い。マンハッタン北部の同美術館分館であるクロイスターズにも一角獣をモチーフにしたタピスリーがあるのだが、これと一緒に展示されたのだろうか・・・

前置きはさておき、6枚がどのように展示されているのかが一番の関心事だったのだが、期待をまったく裏切らないものだった。タピスリーは(パンフレットによれば)全長22メートルというかなり大きなものなのだが、これが展示室でぐるっと見渡せるようになっていた。それから照明が押さえられていたのもよかったと思う。よく考えてみると、6枚の連作がひとつとして欠けることなく鑑賞することができることがすごい。500年もの長い時間のなかで、もしかしたら一枚一枚が別の人の手に渡っていたかもしれないし、そうなれば、無くなってしまったものもあったかもしれないから。

実はこの連作を一度行ったパリで見ている。友人からぜひここには行くべきと言われて行ったのだが、織物でこんなに手の込んだものが制作された(しかも500年も前に!)ことに感動したことをよく覚えている。最初は刺繍かと思ったのだが、織物と知ってさらに感動したのだった。所蔵している美術館は、建物自体が中世の佇まいだったのもよかったと思う。連作はそれにふさわしい場所に納められていたという印象。

そのときのことはこちら⇒ paris 4 (後半に少し記載されています)

ところで、今回東京の企画展でさらに学んだのは、この連作が中世美術館に納められるまでに、それなりの道のりがあったということだった。フランス国内のとある城でかなり傷んだ状態で発見され、その作品の重要性にいち早く気付いた人たちの訴えによって、国が買い上げたと。たしかに、わたしのような素人が見ても、これらが保存されていてよかったと思えるほどの名品である。

国立新美術館の展示を見に行く際は、オーディオガイド(500円)を借りると6枚それぞれに込められた意味(現時点での解釈)の理解が深まるので、借りることをおすすめします。

今回の展覧会についてはこちら⇒ 「貴婦人と一角獣展」

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2013/04/15

パリ、テキサス

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気になっていた映画『パリ、テキサス』を借りてきて見た。

この映画が日本で公開されたのは1985年。あまりにもタイトルが印象的なのでずっと頭の片隅にはあったものの、見たような見ていないような・・・だった。
今年に入って行きつけのTSUTAYAでお奨め映画コーナーにずっと紹介されていたのと、アメリカ西部を車で旅行されている方の原点となる映画だと聞いたので、それは大いに見るきっかけになったと思う。

この映画の感想をここであれこれと書くことは、無意味なように思う。
ただ見るべし、である。というか、わたしなどが感想を書くと陳腐なことしか書けないような気がする。

ただ、すごいなぁと思うのは、この映画には異性愛、兄弟愛、親子愛が見事に表現されていて、たぶんこれがニューヨークとか東の大都会が舞台ではダメで、何もないテキサス州の荒涼とした大地からスタートさせているから余計に効果が出ているように思った。

アメリカという国の広さ・・・この広さが物悲しい。そして、あまりにも広いがゆえに不変的なものに写る。こういう場所で撮られた作品って、時間が経っても色褪せることがないのかもしれない。それに、あまりドラマチックに描かれていないところも良い。

すごく驚いたのが、監督が『ベルリン天使の詩』のヴィム・ヴェンダースだということだ。(ベルリン天使の詩のほうが後に撮られた作品。この映画もなかなか良いのです) アメリカ人ではない監督がアメリカを舞台に撮影した作品だからか、不思議にわたしたち外国人が見ると、あぁ、アメリカだなぁ・・と思うのかも。うまく言えないのだが。
それだけでも絶望感漂う砂漠地帯で主人公トラヴィスが冒頭、果てしなく彷徨い続けているシーンは、やはり一番印象的で、あまりにも途方もないことだけに、後になってからも思い出しただけで悲しくなってしまう。でも、それは彼にとって通過するべき地点だったと思うと妙に納得できる気もする。

最大の見所は、トラヴィスがかつての妻と覗き部屋の電話で話すシーンだと思うが、個人的に特にいいなぁと思ったのは、トラヴィスの弟の、兄(トラヴィス)に対する態度だ。はるばるカリフォルニアからテキサスまで兄を迎えに来てあげたり、トラヴィスが置き去りにした息子を我が子のごとく4年もの間大切に育ててきたのに、トラヴィスが戻ってからは、本当の父親はトラヴィスであることを第一に考えるところなど。本当だったら「冗談じゃない」と怒るところだが、人としてどうあるべきかを考えて行動している。

『パリ、テキサス』についてはこちら

2013/04/07

ジョージア・オキーフのこと

ジョージア・オキーフにいつから興味をもつようになったのか、はっきりとは思い出せないのだが、それは確かニューヨークの美術館に通い始めた2002年ころからだったように思う。それまでは、彼女の描く主に植物(カラーやアイリスなど)は、よく絵葉書やカレンダーで見かけていたし、そういう意味で「大衆受けする画家」というとらえ方しかしていなかったように思う。

でも、MOMAやホイットニー美術館、Metでニューメキシコの風景、動物の屍などを描いた作品、それに絵葉書などで見慣れていたはずの植物の作品の実物を見た途端、この画家のことを知りたいと思った。そして、彼女のことを知れば知るほどその魅力に圧倒されてしまうのだった。

ジョージア・オキーフについてはこちら

それに、有名な写真家であるアルフレッド・スティーグリッツが夫であったということも衝撃的だった。そしてスティーグリッツが撮ったオキーフの若かりしころの写真も、オキーフを好きになる要素になったと思う。

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↑オキーフに関する本(美術館で買ったりいただいたりしたもの)

オキーフの画集をたまに開いてはぼんやりそれらを眺めている。人生の後半に移住して描いたニューメキシコの山々や動物の屍をモチーフにした作品にはもちろんすごく惹かれるのだが、画集『The New York Years』に載っているニューヨーク時代に描かれた作品もわたしはとても好きだ。

画集をみていて思うことがある。それは“一貫している”ということだ。わたしは絵画について専門的な知識はまったくないので正しいかどうかはわからないが、画家によっては画風がいくつかの時代に分けられていて、試行錯誤の変遷がみられるケースもあると思うが、オキーフにいたってはそういうものをほとんど感じない。対象物をしっかり見据えて描いているところ、シンプルなところ、強さを感じるところ、色彩の完璧さなど、どの角度からみてもどの時期からみても一貫していると思う。

オキーフには、精神的なものを他の画家のそれ以上に感じる人って多いのではないだろうか。写真集『オキーフの家』を見ると、ニューメキシコへ移住後の彼女の暮らしぶりを知ることができる。(モノクロの写真が79点も収録されている) オキーフは生前、写真集の依頼をことごとく断ってきたそうだが、92歳のときに写真家マイロン・ウッドにアビキューとゴーストランチの家の写真撮影を許可し、この本が出版されたようだ。写真で紹介されているオキーフの家はファンの期待をまったく裏切らないものだ。質素できちんとしていて、機能的で美しい。

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この本は作家の江國香織が翻訳している。ちょうど出版されたころだったと思うが、テレビ番組で江國香織がニューメキシコのオキーフの家を訪れるという企画があった。おそらくこの本の出版がらみの取材だったのだと思うが。そのなかで印象的だったのは、オキーフのアトリエに残されている膨大な数の色サンプルだった。自作のもので、同じ色でもすごくたくさんのバリエーションがサンプル化されていた。もう、それ自体が美しくて・・・。

なぜ、オキーフは大都会ニューヨークに居ながら(そこで成功をおさめていたにもかかわらず)、渇いた大地ニューメキシコに魅了され移住にまで至ったのだろう。画集や写真集からだけではわからない何かを実際に行って感じてみたい。

ニューメキシコのサンタフェにジョージア・オキーフ美術館がある。ここは、ずいぶん前からいつか行ってみたい美術館。行きたいなぁ、本当に。

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