2008/06/29

アムステルダム回想録

コンセルトヘボウ

オランダで有名なコンサートホール。“コンセルトヘボウ”とは英語でいうところの“コンサートホール”のことだとか。ゴッホ美術館や国立博物館が建つ区域に広い広場に面して立っている。アムステルダム滞在中に、オーケストラとジャズの公演のチケットを現地に着いてから買って、行ってみた。旅行中にこのような文化的な体験をするのは楽しみのひとつ。現地の人たちに混ざって(埋もれて)いると、少しその国の人々に近づけたような気がして、記憶の深いところに残るような気がする。

オーケストラは、木製のステージ(とても味があるステージ)向かって右の前から2列めだったものだから、残念なことにステージ全体が見られなかったが、指揮者の足元のような場所だったので、指揮者の激しい動きや息づかいまで鑑賞することができた。観客は若い層から年配者まで幅広く、さすがヨーロッパはクラシックが庶民の日常に根ざしていることが、雰囲気から見てとれた。チケットの金額も確かとても安かったと思う。また、時間帯も日曜日(だったと思う)の昼間で、きっと、ちょっと映画でも見ようか、というのと同じようにクラシックコンサートに行く習慣があるのかもしれない。敷居の低さを感じた。

ジャズは、コンセルトヘボウの地階にあるライブハウスの空間で行われていた。こちらはどちらかというと、年配者が多かったように思う。丸いテーブルが客席にいくつか配され、その上に、おつまみのカシューナッツがあったので、確かグラスワインをいただきながら聴いた。普段はお酒をほとんど飲まないのだが、どうしてかこういうときはほろ酔い加減でその場の雰囲気に馴染んでしまうのである。

Amsbrussel_025 コンセルトヘボウ(写真をクリックすると拡大されます)

http://www.concertgebouw.nl/cgb/live/Default.jsp

2007/09/18

Amsterdam 5

今回の旅行で、ゴッホ美術館とかクラシックコンサートやジャズ(クラシックとジャズについては、ここでの紹介は省きました)など楽しんだけれど、振りかえってみると、ホテル周辺の散歩が意外にも心に残っている。

アムステルダムもブリュッセルも、天気は曇りが多かったけれど、朝の散歩のときは、すっきり晴れていたせいかもしれない。

朝食後、部屋に戻らないでそのままカメラだけ持って1時間くらい散歩した。(2回ほど)

滞在したのは、街の中心部(ダム広場)から数キロ(2~3キロだろうか)離れている閑静な地域で、近くには植物園や動物園がある。時間がなくてそれらには入らなかったけれど、動物園は柵の外側からも動物が見えたりしていて、とても清潔感ある様子がわかった。例えば上野動物園などを見るとわかるように、日本の動物園というと、住宅街などに突如として現れることはまずない。ところがここアムステルダムでは、何気なくあるのでびっくりする。さあ、動物園にいくぞ!という場所にではなく、トラムを下りたらそこがほぼ動物園という具合である。だから身近な感じ。

Amsbrussel_132 この運河の左岸を前方に向かって歩いてみた。

Amsbrussel_152 アパートのとあるお宅(植物を上手にアレンジしてあって目をひく)

Amsbrussel_103 Amsbrussel_126 水辺にたたずむ鳥(気持ちよさそう)

Amsbrussel_052 とにかくこういう跳ね橋があちこちに見られる

散歩しているときに楽しいのは、アパートやオフィスを窓越しに眺めることだ。部屋の中がちょっと見えたりして、想像が膨らむ。住宅用の建物かと思っていると、小さな会社のオフィスだったりする。またはとても広い空間だったり。ある建物は、建築設計の会社のオフィスに使用されていて、室内にはすっきりした机が並べられていて、パソコンに向かって社員が静かに仕事をしていた。月曜の朝だったせいかもしれないが、とにかく落ち着いた感じで、せかせかしていない。スマートに仕事しているような雰囲気だった。ある意味あこがれてしまう。建物にはこれといった大きな看板もなく、とにかくスマート。

水辺で白鳥を見ているとき、一人の若い女性が近くにやってきて、言葉は交わさなかったのだが、その人は落ちている鳥の羽根を拾っていた。その行為(姿)がとても綺麗だと思った。何に羽を使うのか・・・ 思いにまかせて、人目を気にせずとっている行動というものに惹かれてしまうところが私にはある。

ところで、ホテルの朝食のことだが、実はアムステルダムで食べたもののなかで、この朝食が最高であった。大したことはない。数種類のパンとチーズ(常に3種類)、きゅうりの輪切り、トマト、スクランブルエッグ、ゆで卵、ソーセージ、ベーコン、豊富な種類のジャムやバター、2種類のジュース、コーヒーやエスプレッソ、シリアルやヨーグルト。安心して食べられるものばかり。朝からもりもり食べた。それに比べてレストランで食べたオランダ料理(ハーリングというニシンの生塩漬けや豆などを煮込んだスープ)は、どうも美味しいというほどではなく、また、スーパーで手巻き寿司を買って食べてみたが、米がポロポロで最悪。オランダで美味を求めるのは難しいかもしれない。オランダ人は質素な国民性で、もともと外食の習慣があまりなく、だからレストランの数もベルギーに比べたら少ない(少なかった?)そうだ。下手に高いレストランで食事するより、美術館などのカフェを利用するほうが賢明に思えた。実際、ゴッホ美術館のスープは、まあまあ美味しかった。

とりあえず、今回の旅行については、これで終わります。

また、何か思い出したら書こうと思います。

2007/09/17

Amsterdam 4

アンネ・フランク ハウス (8月31日訪問)

小学生のときに「悲劇の少女アンネ」という本を読んだことが、私がホロコーストを知ったきっかけとなり、それは私にとって初めての衝撃的な歴史上の事実として深いところに刻まれた。それがきっかけで、様々な映画や本に触れた。アンネ一家がナチスに捕らわれるまでの約2年間隠れていたアムステルダムの建物は、現在、ユダヤ人虐殺の事実を後世に伝えるために一般に公開されている。あの回転本棚から入る隠れ家だ。しかし、この旅行を決めるまで、そこに自分が足を運ぶことになるとは思っていなかった。そこは決して“行きたい”と思うような場所ではない。事実、その建物に足を踏み入れた途端、体が震えてしまうのだった。

アンネ一家は、ドイツのフランクフルトに住んでいたが、ヒトラーが政権を握ると、オランダに移住した(1933年)。アンネの父オットーの賢明な判断によるものだと思う。写真などを見る限り、フランク家は比較的裕福な家庭だったようだ。オットーはアムステルダムで事業を起こし、家族はしばらく平穏な日々を送る。しかし、1942年、ドイツ軍がオランダの全ユダヤ人を強制移送することが決行され、アンネの姉マルゴーへの呼び出し状が届いたことで、オットーが準備していた隠れ家に急遽入ることになる。そこは、オットーの会社の建物の3階、4階の奥の部分である。もちろん、この隠れ家生活には信頼のできる協力者が必要で、会社の社員数名がその役を買ってくれたのだ。ユダヤ人をかくまう行為は、オランダ人にとっても危険な行為であった。事実、アンネ一家の協力者のうち男性2名が逮捕された。にもかかわらずこのような勇敢な行動をとったオランダ人は少なくなかったそうだ。様々な根拠があったにせよ、そういった協力者を運良く得られたユダヤ人はどんなに有難かったことだろう。

隠れ家には他にもう一家族(3名)と、もう1名、計8名が住んだ。

隠れ家内部は、ほとんどガランとした空間だけで、家具などは取り払われていた。それがかえって、ここでの生活の苦痛と恐怖を感じさせる。

8人は、戦争が終わる前の年1944年8月に、何者かの密告によって連行される。アンネは翌年1945年3月、収容先のベルゲン・ベルゼン収容所でチフスのため亡くなる。ベルゲン・ベルゼンがイギリス軍に解放されるのはそのわずか数週間後のことだったそうだ。

アンネ・フランクが生き延びることができなかった事実だけを嘆くだけでは、私たちは何も学んだことにならない。彼女と同じように、この間命を落とした(殺害された)ユダヤ人は600万人にもなるという。アンネ・フランク ハウスのメッセージにも「ホロコーストを知るための窓と考えてほしい」とどこかに書かれてあった。アンネは、自身の日記が出版されることを夢見ていたそうである。隠れ家で聞いていたイギリスのラジオ放送(オランダ語)による「この戦争が終わったら、その間に執筆されたユダヤ人の記録を出版する」というニュースを耳にしたからだ。収容所から一人生き延びた父オットーがその夢を繋いだ。アンネの日記は、アンネたちが連行された後にオランダ人協力者ミープ(彼女は現在もアムステルダムに住んでいるそうだ)によって大切に保管されていた。

ホテルに戻ってからも、しばらくアンネのことが頭から離れず、買ってきた写真入りの本を読み耽った。

理不尽に何の罪もない人々がテロや紛争で命を落とすことは、いまなお終息をみない。民族とか国家とか、それを守ることがそんなに大切なことなのだろうか。人の命を奪ってまで守ることなのだろうか。

映画「シンドラーのリスト」を見たとき、あるユダヤ人女性がシンドラーに両親をリストに加えてもらうよう頼み、シンドラーの工場に両親が招き入れられるところをその娘が柱の影から見守るシーンがある。この映画のこのシーンを見たとき私は嗚咽寸前だった。自分の身に置き換えて考えたら、答えはすぐに出るはずだ。

いろんなことを考えすぎてしまう。

Photo 隠れ家の裏の窓からアンネが見ていた西教会

Anne Frank House オフィシャルサイト↓

http://www.annefrank.org/content.asp?pid=1&lid=1&setlanguage=2

2007/09/16

Brussels

前回の続き。

グラン・プラス近くの駅を下りて、地上に出るとそこにまず、証券取引所がある。あいにく、土曜日だったため、静まり返っていた。ガイドブックに従って、進む。

Photo こんな街並み

そして、目的地に到着したが・・・

Photo_2 グラン・プラス(Grand Place)

グラン・プラスというのは、ギルドハウスに囲まれた広場で、さほど広くないが(110m×70m)、ヴィクトル・ユーゴーが“世界で最も美しい広場”と賞賛したという。17世紀以前に建てられた大部分は木造建築だったが、1695年フランスのルイ14世の命により砲撃で破壊されてしまう。しかし、ギルドはすぐに現在の石造りを再建したそうだ。

でも・・上の写真のように、広場はテント(ビールフェア)で埋め尽くされ、少々落胆した。何もないでほしかった。四角いヨーロッパ的な広場そのものを見たかった。ビールにも興味はないし。なんだかがっかり。テントがあるために、広場を自由に横切ることができずであった。

Photo_3 ビールを楽しむ人々

グラン・ブラスから歩いて3分ほどのところに、かの有名な小便小僧がある。みんなそちらに向っていくので、その波にのっていく。

Photo_4 Photo_5 左:小便小僧  右:小便小僧前でのイベント

小便小僧は別名“ジュリアン君”として親しまれていて、写真のとおり、その前には、その像をひと目見ようと集まった観光客でにぎわっていた。ブラスバンドの演奏などもあって盛り上がっていた。ジュリアン君には、世界各国から衣装が贈られていて、それはグラン・プラスに面している市立博物館(王の家)3階に展示されていた。これはかなり面白い。もちろん日本からのもあった。しかも数種類。陣羽織(1928年)、金太郎(1967年)、陣羽織(1969年)、桃太郎(1995年)、それぞれの衣装が特別な展示ケースに収納されていた。

Photo_6 Photo_7 Photo_8

上の写真 左:ギャルリー・サン・チュベール 中央:書店 右:チョコレート屋

ベルギーと言えば、チョコレート。歩きながらチョコを食べようと、上の写真のチョコレート屋に入った。3個もあれば充分だったので、バラで買えるかどうか聞いたら、OKで、確か3個で1ユーロだったと記憶している。あまりに安いので聞き返してしまったほど。日本だったら、2倍はしそう。味もとっても美味しかった。

それから、もう一つの有名なワッフルは、日帰りだったため、さすがにそんなに食べられないので、今回は本場の味は体験できなかった。やや後悔あり。

Photo_9 街角のパフォーマンス

最初、面白い像があると思っていたら、生身の人間であった。微塵も動かないのだが、自転車に誰かがコインを投げ入れると、ベルを“チャリン”と鳴らして、向きを変える。ちょうどこのとき、赤ちゃんを抱いたジプシーの女性が缶を持って、訳のわからない言葉で恵んでくれと言い寄ってきた。“ノー”と答えて無視していたが、子供を指して、この子のために・・というような仕草をするので、仕方なくコインを投げ入れた。あとで考えたら、あの赤ちゃんは、丸々していたし、どうも納得いかない。でもあのジプシーのしつこさといったら、普通じゃなかった。何もしないであのように人にたかるジプシーよりも、全身をを金色にして、体をはってパフォーマンスしている男の人のほうが、コインを投げ入れる価値があると、そのとき強く感じた。あいにく、ジプシーにあげたコインしか持ち合わせがなく、金色男さんにはあげることができなかったことがしばらく後悔された。

Photo_10 そろそろ帰ろうと駅に向かっていたら、すごく長い竹馬のようなものに乗った人たちの列に遭遇した。

ブリュッセルでの一番は、何と言ってもムール貝。ランチに入ったレストランで、ムール貝のワイン蒸しとパンとビールのセットを頼んだ。ムール貝というとパスタやパエリアにちょっと添えられたものしか食べたことなかったけれど、ここではムール貝がメイン。パクパクと数十個をたいらげる。アムステルダムでは、これといった美味しいものに出会わなかったのだが、ベルギーは食の国と言われているだけあって、これには満足。

帰りの列車の時刻は決まっていて、迷うといけないので早めにまた南駅に向かい、タリスが来るはずのホームのベンチで待っていた。しばらくすると、駅員が来て「アムステルダム行きの人いますか?」と呼びかけている。切符を見せると、ホームが変更になったので、3番線に行ってください、と言う。この呼びかけがなかったら、恐らく変更に気づかなかったと思う。

帰りのタリスでは、窓際の席ではなく、外の景色が見えにくい席だった。それと、早起きと歩き疲れていたせいで、列車のなかではずっと眠ってしまった。(食事はしっかり食べて)

初めて列車で国境を越えることを体験した。でも、パスポートを提示することもなく、あまりにもあっけなくて、でも、これがきっとヨーロッパ(特にEU)なのだろう。ブリュッセルから更に少し行けばパリである。ロンドンも海の向こうとはいえ、距離的にはすごく近い。時間があれば、足を伸ばしたいと思う近さでる。

2007/09/12

Amsterdam~Brussels

写真はクリックすると拡大されます。

3日目(9月1日)、アムステルダムからベルギーのブリュッセルに列車で日帰り旅行した。アムステルダムに到着した8月30日の夕方(空港から電車で市内へ入った)、中央駅の2番線ホームにある国際列車のチケット売場に直行し、ブリュッセル行き(パリ行き)特急タリスの切符を購入した。日本の旅行社を通じて事前に買うこともできるみたいだが、自分で買ったほうが手数料も取られないし、もし満席で取れなかったとしても、それはそれでいいかな、というくらいの気持ちだった。タリスは全席指定のため、時間帯や時期によっては満席になっていて、直前では取れないこともあるという。チケット売場は順番を待つための番号札制(自動で出てくる、銀行などに設置されているのと同じ機械)になっていて、でもそのときお客は10名弱しかいなかったので、すぐに順番が来た。対応してくれたのは、品のよい男性であった。言葉だけでは不安だったので、行先と時刻を書いたメモを差し出しながら依頼した。1等車と2等車どちらにするか?と訊かれ、値段はいくら違うのか尋ねた上で、1等車が予想していた額より安かったのと、軽食が無料で出ることを知っていたので、迷わず1等車を予約した。支払いはクレジットカードでもOKということで、無事に入手できた。着いてまずしなければならないことが達成できて、ひとまず胸を撫で下ろした。切符売場の人は、本当に親切(ジェントルマン)で、車両番号や座席番号など、切符の大事な個所にマーカーしてくれた。こういうときにどういう人が対応してくれるかとうことは、旅行者にとっては、その旅の印象にかかわってくることであり、大切な要素だ。たまに信じられないほど無愛想な、意地の悪い人もいたりする。(実際、ブリュッセルの駅のインフォメーションのおばさんは、私の質問に数秒間無視し、応えないわけにはいかないから、ボソッと回答した。こういう人がインフォメーション係りでいいのだろうか・・と首を傾げたくなった。)

Photo_8 アムステルダム中央駅 午前6時半(写真の列車はタリスではありません)

6:56分発の列車。余裕をもつためにホテルを6時に出ようと、前日に「タクシーを朝6時に呼んでください」とフロントに頼んでおいた。トラムは朝何時ごろから走っているのか訊いたら、6:30ごろだとのことで、それでは間に合わない可能性があるから、ちょっと高いけれどタクシーにしようと。しかし!なんと忘れられていた。前日、フロント係りはちゃんとタクシーを呼ぶリストに記入までしていたのにだ。そのことを、訴えると、朝のフロント係りの人はそのリストを見て、「本当ですね、でも聞いていなかったものですから・・・」などと言い訳をしている。まあ、すぐに呼んでくれて、10分以内にタクシーは来てくれたから良かったけれど。タクシーの運転手はガンガン飛ばしてくれて、ものすごい早い時間に6:30前には駅に着いてしまった。有り難いことで、チップをやや弾んだ。

Photo_9 乗車したタリス

白々と夜も明けはじめ、タリスが構内に入ってきた。日本のように騒々しいアナウンスは一切なし。ホームのどのあたりに何号車が止まるのか、といった表示もなく、乗務員らしき人にチケットを見せて、どの車両に乗ったらよいのか訊いた。

Photo_10 タリス1等車の車内

あまりこういう写真を撮るのは好きではないのだが、早朝出発で、誰も回りにいなかったので1枚。赤いシートがなんとなくヨーロピアンな感じ。車両の中央部が写真のようにあい向い席になっていいる。家族などで乗るときはここを取るのだろうか。

Photo_11 タリスで出た朝食

無料で軽食が出る。アテンダントがすごく優しく接してくれて、印象に残っている。紙ナプキンの色がタリスの車体に使われているワインレッドであった。帰りの車内でも同様に食事が出たが、周囲に他の乗客がいたので、写真は控えた。

Photo_13 Photo_14 車窓からの風景

オランダは酪農国。窓から見える景色は牧草地が多くて、牛、ヤギの群れがよく見られる。普段見慣れないので、どこまでも同じような景色であってもぜんぜん飽きない。緑は柔らかい色をしていた。たまに農家の家屋も見られ、とても大きくて立派だったりする。

Amsbrussel_063 Amsbrussel_067 街に入るとこんな景色(ちょっと斜めになってしまって・・)

途中、ロッテルダムやアントワープで停車した。そのような街に入ると、上の写真(これはアントワープだったか?)のように教会や密集した建物の景色に変わる。しばらくするとまた緑の景色に変わる。ロッテルダムの写真はないが、ここは第二次大戦で空爆を受けた街であり、近代的な建物(ビル)が目立っていた。

Photo_15 ブリュッセル南駅

なぜか中央駅にタリスは止まらない。無事にブリュッセルに到着した。南駅から目的地のグラン・プラスまで歩いては行けない距離のため、ガイドブックに従ってメトロで行くことにした。メトロの乗り場まで辿り着くも、自動販売機でいくらの切符を買ってよいか分からず(何も表示がないので)、後ろの人に訊いたところ、親切に教えてくれた。そしていざ、ホームに行こうとしたが、これがどの番線に行ったらいいのか、案内不足でさっぱりわからない。行ったりきたり、汗だくになって、しかもあまり人がいなくて尋ねることもできない。ようやく列がはけた有人の切符売り場に行って、訊くと6番に行け、という。そしてそのとおりに。それでも不安で、ベンチの隣に座っていた女性に聞いたら、間違いないといわれ、ようやく乗車することができた。メトロと思っていたこの乗り物は、地上も走るトラムが地下にもやってくるらしく、どうりで電車にしては車体が小ぢんまりしていると思った。プレメトロと呼ばれるらしい。

Amsbrussel_136_2 これがブリュッセルのトラム 地下も走るのが面白い

こうやってグラン・プラスに一番近い駅まで辿り着くことができた。

Amsbrussel_072 Beurs駅を上がったところ グラン・プラスまでここから徒歩5分くらい

グラン・プラス周辺については、また次回。

2007/09/11

Amsterdam 3

街で見かけた可愛らしいものもの

(クリックすると写真が拡大されます)

Photo ミュージアム広場のベンチ(色の統一感が目を引いた)

Photo_2 朝の散歩途中で見かけた木のベンチ

Photo_4 運河に浮かぶ船の家の表札

Photo_5 船の窓にオランダの象徴チューリップが!(ユーモアが感じられる)

Photo_7 これも船の家 一番右の雨戸にハート型のくり抜き発見

Photo_6 朝の散歩で(保育施設のような雰囲気だった) 窓枠の緑色もかわいい

2007/09/10

Amsterdam 2

2日目(8月31日)、この旅の目的のひとつ、ゴッホ美術館に行った。

場所はホテルからトラムに乗って一度乗り換えて15分くらいで行ける、ミュージアム広場で、そこには国立ミュージアムやコンセルトヘボウ(コンサートホール)も広い芝生の広場を囲んで隣接している開放的な地域だ。

Gogh_museum  Gogh Museum

左奥がメインの建物。右の円形の建物は増築されたもので黒川紀章の設計によるものだとか。

Gogh_museum2_2 美術館内部

どこかNYのMoMAのつくりと似ていて、内部で効率よく回ることができると感じた。ゴッホの作品をこれほどまとめて見ることができるのはすごいことだ。オーディオガイドも借りて、時間をかけて回った。この美術館がひとしお感慨深いものに感じたのは、司馬遼太郎の「オランダ紀行」の影響が強い。読みかけだったこの本を行きの飛行機で一気に読んだ。かなりのページを割いてゴッホについて書かれている。

私がゴッホのことをちゃんと知ったのは、確か中学1年のとき、「炎の画家ゴッホ」というタイトルの本を読んでからだ。37年の生涯を自殺で閉じたことをそのとき知った。自身の耳を切り取ったことで狂気の画家でもあったと、ずっと一方的に思い込んでいた。でも、司馬遼太郎はそのような見方をしていない。“ゴッホの絵に、ついにじみ出てしまう人間の根源的な感情がある”と言っている。“それは「悲しみ」としか言いようがない”と。確かに実際にゴッホの絵を観ると、どれもが感情をフィルターにかけることなく、そのまま絵筆によって表現されている。スピーディーな筆使いからも、また残された作品の多さからも、確かにそれは感じられる。

有名なことだが、ゴッホという画家が絵を描き続けられたのは、弟テオの存在なくてはあり得なかった。絵がまったく評価されなくても、テオは経済的にゴッホを支え続けた。二人の間の膨大な書簡により、様々なことがわかっているそうだ。そのことで“ゴッホは、かれの文学を通してその絵が見られすぎではないか”と専門家の間では疑問もあるのだそうだ。しかし、“ゴッホのような絵画は当然ながら個人の精神史が付属せざるをえず、かれの場合にかぎって、絵と文学は不離といわざるをえない”という司馬遼太郎くだりは、私をかなり納得させる。

そしてもうひとつ。この時代の絵画にはいくつも流派があるが、ゴッホはどの流派にも属さないということ。“ゴッホはゴッホにとどまっている”という一文にもハッとさせられた。確かにそうだと思う。それがゴッホの素晴らしさだと思う。

ゴッホの死の次の年、テオも亡くなっている。その事実がいっそうこの兄弟の結びつきの深さを語っているように思えてくる。

ゴッホ美術館を外から眺めながら、もしゴッホが現代における彼の評価について知ったらどう思うだろう?などとぼんやり考えた。もし彼がいま、目の前に現れたとしたら、どんな人なのだろう?とも、オランダ人を眺めながら。ゴッホは自画像を沢山描いた画家の一人であり、絵画を通じてゴッホという人の人物像を私は想像していた。写真は2枚だけ見つかっているそうであり、美術館に、そのうちの一枚が壁一面に大きく引き伸ばして紹介されていた。初めて見るゴッホの写真。それは、後ろ姿で顔は見えなかった。セーヌ河畔で友人の画家と座って話し込むゴッホの後ろ姿。背中は猫背気味に思える。その写真を見たとたん、それまでどこか雲の上の存在というか、遠く思えたゴッホの存在が、すごく近いものに(普通の人間らしい、温かみを帯びた存在)に感じられた。

またいつか、ゴッホ美術館には行ってみたい。

2007/09/07

Amsterdam 1

アムステルダムの第一印象は、自転車を利用する人の多さだ。これは有名なことだが、実際街を歩いていると、その自転車台数の多さに驚く。運河沿い、建物の前、駅や広場など、あらゆるところに自転車がびっしりとくくりつけられている。(中にはパンクしていたりしていて何年もそこにあるような物もあった) ホテルの窓から朝晩、外を見ると、必ずと言っていいほど自転車を走らせる人を見た。早朝でも夜遅くても。アムステルダムの街は起伏がないし、コンパクトな広さなので、確かに自転車が一番便利だと思う。日本では残暑の厳しいこの時期、アムステルダムはすでに秋の気候で、朝晩は寒いくらいで、サイクリングはさぞ気持ちいいだろう。ただ、こんなに多いと自分の自転車がどれなのか分からなくならないだろうか、などと余計な心配をしてしまう。トラムも便利に走っているが、最低料金は1.6ユーロ。自転車は環境にも健康にもよい乗り物だし、これだけ徹底して利用しているアムステルダム市民に感心してしまう。

Bicycles

そういえば、メイン道路にはどこも歩道の外側に自転車専用路があった。道を渡るときは自転車が走ってこないか気をつけないとならない。

Amsbrussel_116 宿泊したホテル近くの朝の光景

運河に架かるハネ橋も自転車を走らせスイスイ渡る。

2007/09/05

Amsterdam

夏の休暇、アムステルダムとブリュッセルを旅行した。

詳しいことは、追々。

Amsbrussel_034 張り巡らされた運河と可愛い外観の家並

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