2009/09/23

カバンひとつでアメリカン

少し前のアメリカについて書かれた本って、まだまだ探せばあるものだと思う。

この2冊も最近見つけた。

Image

   「カバンひとつでアメリカン」

   「バスのアメリカ」

     亀井俊介 著

いずれも1980年代前半に出版されているもの。

巻末に紹介されているほかの本の一覧から、さらに世界が広がったりする。

これらを読んでいると、ひとつの時代が終わったんだと改めて思う。妙にいろんなことが懐かしく思えてくるのは面白い。でも、反面、もうあの頃の感覚は実際に体験することはできないんだと思うと、やはり悲しいかな。

|

2009/09/20

ニューヨーク読本

Image ニューヨーク読本ⅠⅡⅢ 

          (日本ペンクラブ編 常盤新平選 福武文庫)

年に一度くらい、急に読みたくなって引っ張り出しては読んでいる三冊。

とにかくいろんな角度からニューヨークを、いろんな人が書いたものを集めていて面白い。

たとえば、三島由紀夫、永井荷風、開高健、植草甚一、井上ひさし、池田満寿夫、村上龍、大岡昇平 など35人。

今日は三島が1957年にNYに滞在した際のことを書いた「ニューヨーク貧乏」のところを読み返す。すると、彼が泊まっていた安ホテルが、私も泊まったことがあるホテルと同じ11丁目にあったことが分かる。恐らく同じ建物ではないと思うが、三島由紀夫もあの辺りに滞在していたのかと思うと、やや感慨深いものがある。

この本が発行されたのは1986年。

著者それぞれのNYが散りばめられていて、今のように情報が豊富すぎる時代には、かえって新鮮に読めると思う。

|

2009/05/07

non title

Art and the Crisis of Marriage

という本を借りて読んでいる。

とある先生が、他大学より借りてくださったので、大変ありがたく。

しかし、英文なものだから、大変だ。でも、興味のあることって、知りたくてたまらないものだから、どうにかこうにか、(難しい単語は飛ばし飛ばし)読み進めている。といっても、昨日小一時間ほどで5~6ページではあるが・・・

オキーフやホッパーの結婚生活にも触れた内容で、興味深い。まだオキーフのところなのだが、いままで、オキーフの結婚生活(相手はやはり芸術家(フォトグラファー)のアルフレッド・スティーグリッツ)に関しては、想像するのみだったが、これでかなり疑問だったことが晴れていくような気がする。

|

2009/03/01

香港市民生活見聞

古本で購入。

『香港市民生活見聞』 島尾伸三 著 新潮文庫

もし、時計をを巻き戻せたら、どこに行きたい?と聞かれたら、そのひとつに私は中国に返還される前の英国統治時代の香港を選びたい。いまとなってはもう叶わないことだが、せめて当時を紹介した書籍のなかで旅はできる。そんな本をずっと探していたのだが、きっとこの本は、満足させてくれるのではないかと思う。

Resize0066 1984年発行 表紙も雰囲気を伝えている

Resize0067 写真も豊富に掲載されている。

さっそく今日読んでみたい。

|

2009/01/14

American West (桜井秀 写真集)

『American West  桜井秀 写真集 西へ向かう』 日本写真企画

41x4jtemidl_ss500__2

サンフランシスコからヨセミテへ向かう途中に見た風車が強烈に印象に残っているのだが、ちょうどそのあと、新聞で紹介されていたこの写真集の表紙がまさに西部の風車の景色で、強烈な興味を覚え、ようやく年末に手にすることができた。子供の頃はアメリカ西部といえば、非常な憧れの土地であったように思うが、いまこうしてこのモノクロの写真集をながめてみると、時間が止まったような、置き去りにされてしまったような街やバーが哀愁をおびている。空だけはカラッと真っ青で、だから余計に哀しさが増すのだろうか。写真のなかには不毛の土地もあったりでアメリカは広い。時折、ユーモアのある写真も織り交ぜ、そう悲観的になることもないさ、とも伝えているようにも思えた。

|

2008/09/21

Coyote No.29 サンフランシスコ クロニクル

雑誌 Coyote (スイッチ・パブリッシング発行)

特集に興味があるときだけしか買わないが、良質な内容で最近のお気に入り。ニューヨークやフィンランド、そしてサンフランシスコ・・と、自分が旅したことのある国や都市を特集したときに、これ以上の読み物は現在のところほかに見当たらない。たぶん、ガイドブックやインターネットからは得られない、その都市にまつわる「文学」や「文化」について豊富に語られているからだと思う。この号ではサンフランシスコにゆかりのあるリチャード・ブローティガンの短編が柴田元幸によって翻訳され、掲載されている。それから、片岡義男による「サンフランシスコ再び」というエッセイがすごくいい。

No.29の「サンフランシスコ クロニクル」は表紙も素敵だ。

51b1igtdkul__ss500_ クリックすると写真が拡大されます

アメリカ文学を語るとき、今や柴田元幸は外せないが、この雑誌でもたびたび、彼が特別に訳した短編などが掲載される。この号ではバーナード・マラマッドの「最初の七年」といのも紹介されている。ポーランドからの移民の靴屋の主人が、毎日店の前をとおり大学に通う青年と一人娘を引き合わせて結ばせようと試みるが、うまくいかず・・・、それを知った勤勉な靴屋の使用人が突然店を辞める。主人は使用人の娘への思いを知らず知らずのうちに気づいていたのだが、娘を自分の女房と同じ貧しい“靴屋の女房”にさせるのが怖くて、そのことを認めないできたのだ。タッチがコーゴリの「外套」に似ていると思った。引き込まれる。季節が「冬」で舞台が「靴屋」というのも、物語をことさら浮き上がらせているように思える。

たまたま、この号は、オキーフについての特集も載っていた!彼女のアトリエやキッチン、ニューメキシコの大地がその大きな窓から一望できる寝室など、写真に感動してしまう。キッチンの棚にある鍋や食器など、見ているだけでうっとりしてしまう。

サンフランシスコは、旅行先に選ばれる街か?というと、以前は大変人気があったと思うが、最近は下火のようだ。街でもあまり日本人を見かけなかった。私個人としては、そういう、一時の熱が冷めたような哀愁のある雰囲気に魅力を感じてしまう。だから、今回旅してよかったと思う。一般的にサンフランシスコは“かつての熱気”をベトナム戦争反対運動や、ヒッピー文化が象徴している、ということも、このCoyoteから学んだ。旅から帰ってきて、日常が押し寄せてきて、ふと仕事帰りなどに旅行のことを思い出すとき、この雑誌はよいお供となっている。

Coyote バックナンバー http://www.coyoteclub.net/catalog/index.html    

|

2008/08/05

non title

仕事で締め切りに追われる毎日が続いている。

原稿を仕上げて帰りがけに宅急便を出してから、一息つきたくてスターバックスへ寄ると内装(壁)が塗り替えられていた。まだ途中のような気がする。多分そうだ。

ラテをごくごく飲みながら図書館で借りている「緒方貞子という生き方」を読む。どのページをめくっても目からうろこ、緒方さんは私の理想像。中学や高校の頃に緒方さんについて知ることができたら(できたのかも知れない)きっと、志を高くもち、いまと違った人生になっていたかもしれないと思う。しかし、この歳になっても充分に私のモチベーションを上げてくれる人だ。

緒方さんは、曽祖父は犬養毅であり、祖父は外相、父はフィンランド駐公使などを勤めたという名門出身だが、彼女の功績は彼女自身の資質から生まれたものであることは、業績から判断は容易だ。

今日読んだページで、納得の一節。

  仕事でいちばんうんざりすることは何かということについて・・・

  「お役所人間がつまらないことで騒ぎ立てることです。

   それに、波風を立てまいとする現状維持の気風です」

こういう考えかたのできる人は、いそうで案外いないものだ。こんなかっこいいセリフをさらっと言い放ち、最優先しなければならない仕事に打ち込めるほどの教養と自信、リーダーシップは憧れであり、ねじまがりそうな情けない私を軌道修正してくれる。

緒方さんには小渕政権以来、数回の外相就任要請があったそうである。さらに、企業人や文化人、官僚たちが首相にすべく具体的な行動がなされたそうである。そのことにとても納得できる。もし緒方さんが外相や首相に就任していたら、今の日本はきっと違っていただろう。洞爺湖サミットも大きな成果が得られたのではないか、拉致問題ももっと進展したのではないか、そんなことが頭をよぎる。でも、緒方さんは要請に対し首を横にふったのだった。それでよかったのだと思う。なぜならば、彼女は地球上で最優先にしなければならない人道的な、多くの人命にかかわるような仕事を成し遂げているのだから。

少し前に「難民つくらぬ世界へ」という緒方さんの講演(1994年)の記録を読んだのだが、こちらからはその人柄も感じ取ることができ、この人になら部下は全員ついていくだろう、とうならせるものがある。

ところで緒方さんはワシントンDCにあるジョージタウン大学で修士号をとったそうだ。一度私も訪れたことがある。だから何?と思われるかもしれないのだが、不思議な感じがしている。単純にうれしい。

「緒方貞子という生き方」 黒田龍彦 著 KKベストセラーズ

「難民つくらぬ世界へ 緒方貞子」 岩波ブックレットNo393

|

2008/05/14

Coyote No.26

Coyote No.26 April 2008

特集 柴田元幸 文学を軽やかに遊ぶ

連休中の旅行に携えていた一冊。アメリカ文学者であり翻訳家、小説家の柴田元幸氏に焦点をあてた構成になっていて、自宅の書斎の写真なども掲載されている。

私は書店に並んでいる外国文学のなかに、柴田元幸が翻訳したものがあれば、まずは手にとって見たくなる。以前は訳者などまったく意に介さなかったのだが、最近では誰が翻訳したかでその本の価値が違ってくると思うようになった。村上春樹とか柴田元幸は、翻訳という作業をその域に高めた人なのではないかと思う。翻訳をするためには、ただ外国語が堪能なだけではダメで、日本語の語彙力や表現力、また感情の豊かさがなければ外国の文学そのものの味を日本人に伝えることはできないのだろうと思う。

1975年に氏がイギリスへ行ったときのことを元に書いた掌編などを読むと、ユーモアに溢れ、茶目っ気もあり、独特の世界観もありで、それ自体楽しめる。この人が訳したものなら多分本物だ、と思えるのだ。

|

2008/04/27

プラザでの10年間

「世界最高のホテル プラザでの10年間」

奥谷啓介 著

小学館

大学の図書館で偶然見つけて即、借りて一日で読み終えた。世界屈指の高級ホテルであるプラザでマネージャーとして働いた日本人が書いた本。憧れのプラザホテルの裏事情やアメリカ人と日本人のホテルサービスに対する認識の違い、またホテル業界のしくみまでが分かりやすく書かれていて大いに楽しめた。

実はプラザは95年に一度、その98年の歴史に幕を下ろしている。ホテルではなく超高級コンドミニアムとして生まれ変わる、ということだったようだ。そして不覚にも、そのことをごく最近まで私は知らなかった。もちろん、このホテルに宿泊したことはない。憧れてはいたけれど。ホテルの前は幾度となく通っているし、多くの映画でホテル自体が登場している。有名なところでは「ホーム・アローン」や「追憶」。「追憶」の撮影中、バーブラ・ストライサンドは、その当時世界一高いといわれていたプラザのプレジデンシャル・スイートに宿泊していたそうだが、その値段たるや、一泊約180万円だったとか。このスイートルームは2階建てで、どの窓からもセントラルパークが見えたとか・・(ため息が出る)。(そう、このホテルはマンハッタンの最も分かりやすい、そして最高の場所にあるのだ。5番街がセントラルパークと出会う場所。)またプラザはビートルズが初めてアメリカツアーに出たときに宿泊したことでも知られている。ホテルの周囲は黒山のひとだかりになったとか。そして、ジョン・レノンは後に、プラザからセントラルパークを斜めに挟んだ、ここもパークに面しているダコタ・アパートメントに住むことになる。

話が反れたが、この本を読んで、これまでのアメリカに対する自分の考えを改めなくてはならないと思った。日本のサービスは世界一だと自負するところだが、これを自分が旅行する相手国に要求することは間違っていることに気づかされる、そもそも社会背景や国民性、システムが違うのだ。逆に、アメリカの業界のシステム(その合理性)に感心する部分も発見した。そして、何より、アメリカのホテル業界に身を置いて、アメリカと日本の間に立ち、日本の顧客の理不尽な要求に対して、誠心誠意対応してきた著者の姿勢にホテルマンとしてのプロ意識を見た思いだ。我々日本人は海外において、自国の基準や価値観で物事を評価しがちであり、そのことをひどく恥ずかしく感じた。今度アメリカに行くときは、この本を携えて行きたい。

ある記事によれば、プラザホテルは改修を終え、今年の3月に一部が再オープンしたとか。なんだか複雑な心境だ。

|

2008/02/17

若き数学者のアメリカ

藤原正彦 著

新潮文庫

70年代はじめ、数学者の著者がアメリカの大学で教鞭をとっていたときのエピソードを綴ったエッセイ。当時のアメリカの大学の様子を知ることができるだけでなく、ユーモアたっぷりの体験記となっている。ところどころ吹き出しそうになるほど面白い。

|

アンネ・フランクの記憶

小川洋子 著

角川文庫

書店で偶然目にとまり、購入、一気に読んだ。とても驚いたのだが、著者は子供のときに「アンネの日記」を読んで作家になりたいと思ったということだ。「アンネの日記」を純粋に“文学”として読んだということなのだ。そのことをアンネ・フランクが知ったら、きっと喜んだだろうと思う。確かに、日記の文体は生き生きと綴られ、文才が至る所に光っている。ただ、一般的に日記の読者は、ナチスドイツの迫害にあったユダヤ人少女が隠れ家生活において書いた日記、というところの興味からこの日記を読んでいるのに対して、小川洋子さんが、先入観なく日記のとりこになったというところが「アンネ・フランクの記憶」を成り立たせている。この本を執筆するに際し、著者はアムステルダムのアンネ・フランク・ハウス(隠れ家)、フランク一家が隠れ家に入る前に住んでいたメルヴェデ・プレイン、協力者ミープ・ヒース、親友だったジャックリーヌ、アウシュビッツ収容所などを訪ね、取材している。

この本の内容は、これまで私自身が疑問に思ったり、考えめぐらせていることと共通する部分があり、非常に興味深く読めた。

フランク一家が隠れ家にいる間、協力した人たちのうちの、ミープ・ヒースについて。小川さんの取材旅行に同行した編集者と通訳の人が「ミープはアンネの父オットーに恋愛感情を抱いていたのではないか」という問いかけをしている。実は私も同様のことを想像していた。小川さんの考えはそれを否定している。ミープは、オットー個人に対してではなく、オットーが築いた家庭そのものに対してあこがれていたのではないか、というのが著者の考えだ。でも、私は、オットー・フランクの人柄を想像するとき、ミープが彼に惹かれた可能性はありうるといまだに考えることがある。

日記を読むかぎり、アンネの母親エーディットはアンネが心を通わせることがあまりない冷たい人格のように読者には捉えられがちだが、小川さんは客観的に捉え、この状況下での母親の心情について同情的な見解を述べている。そんなところにも、この本の価値が見出せる。

メルヴェデ・プレイン。隠れ家に入るまで一家が住んでいた場所。プレインとは広場の意。著者はここも訪れている。実は、昨年アムステルダムのアンネ・フランク・ハウスに行ったときに、そこで買った本をホテルで読んでいて、そのメルヴェデ・プレインの写真が掲載されていて、そこがアムステルダム市内でホテルからもそう遠くないような位置と知り、行ってみたいような気持ちになったのだが、そのときは躊躇してしまって、この本でその付近の様子について知ることができて、自分ができなかったことがここに達成されていることにお礼を言いたいほどである。

アウシュビッツについて。これまで様々な写真やドキュメンタリー番組などを通じてこの強制収容所について見聞きしてきたが、それらは、まるで映画でも見ているかのような、現実からかけはなれたところにあり、“信じがたい”というところでとどまっていたのだが、今回、小川さんが綴ったありのままの感想を読むと、まるで自分がそこに居るかのような感じがして、震えてしまったし、怖さなのか悲しさなのか、それとも両方が混ざり合ったものなのかわからない感情からくる涙が止まらなかった。

アンネ一家はなぜドイツから逃れ、スイスではなくアムステルダムに行ったのか・・・とか、もし一家が密告により見つかってしまうのが、あと一ヶ月遅かったら・・・とか、そんなことをつい考えてしまう。

↓昨年の旅行でアンネ・フランク・ハウスを訪ねたときの記録

http://megumi1966.cocolog-nifty.com/megumi/2007/09/amsterdam_4.html

アンネ・フランク・ハウスで、アンネのあの日記が展示されているところでの出来事をふと思い出した。私はひとりだったので、無言でガラスのケースに収められた日記帳に目を落としていた。オレンジ調のチェック柄のあの日記調に。ほかに、どちらの国の方かわからなかったが、女性が2人(連れ合いではなさそうだった)、同じようにガラスケースの中を見入っていた。すると、そのうちの一人が小さな声で「Kity!」と言った。私たちに向かって。それはまるで共通語のようにすぐにその日記を取り巻く私たち3人に笑顔をもたらした。キティとは、アンネが日記で語りかける架空の親友の名前である。

|

2008/01/23

My Year (一年中わくわくしてた)

ロアルド・ダール 著    クェンティン・ブレイク 絵

柳瀬尚紀 訳

評論社

大学図書館の新着情報にロアルド・ダールの名前があり、早速借りてみた。これまでこの著者の作品は「あなたに似た人」という短編集しか読んだことなかったが、これが結構独特の世界をもっていて面白く、著者名が記憶に刻まれていたのだ。アメリカ人かと思っていたが、今回、イギリス人だと知った。

「一年中わくわくしてた」は、12ヶ月をひと月ごとにエッセイで仕上げてある。著者の子供のころの一年を子供の心で感じたままに描いている。動植物に関心があり、その観察力は目を見張るものがある。私の場合、子供のときの一年の感覚を月ごとに鮮明に現せるのは8月くらいで、あとは春夏秋冬での区切りになるのだが、この著者はなんと細かく季節を感じているのだろう、と思う。わくわくしたことや失敗談など、とりわけ著者が鳥の卵を収集していた事実は魅力的な話である。(もちろん卵の中身は出してコレクションにしていたようだ)モグラの話も心に残っている。自然と触れ合うことは、人生において、ないよりたくさんあったほうが良いのだと思わせる。

|

2008/01/21

True Stories

ポール・オースター 著 

柴田元幸 訳

新潮文庫

日常のなかで偶然に何かが起こると、単なる偶然なんだろうなと思う場合と、他の何かの手によりメッセージとして起こった現象なのではないかとさえ思えるような信じ難い偶然(必然?)の場合とがあると思うが、この本に書かれているケースは、後者のことのように思えるような話が多い。

その中でも好きな話は、ガイドブックにも載ってないような小さなパリのホテルに著者が宿泊した際、電話が鳴りベッドに座って受話器を取ったときに、机の下に落ちていたある伝言メモ(普通では見えないような場所に落ちていた)が目に入り、それを拾ってみると、しばらく連絡をとっていないカナダの友人あてのメモで、偶然にも1時間前まで同じ部屋に宿泊していたことを知る、という話や、著者の知人F(詩人でありマティスについての世界的権威)がマティスの企画展をする際、世界中に散らばっているマティス中期5年間の全作品を集めなければならないが、どうしても1点だけ見つからなかったのだが、6ヶ月かかってやっと見つかり、その場所というのが自分から数メートルしか離れていないところにあった、という話。ニューヨークのカーライルホテルに住んでいるある人が所有しており、カーライルホテルはFのNYでの定宿。そして絵の所有者の部屋はFが予約することに決めている部屋のすぐ上。Fがその絵のことに考えを巡らせているとき、その絵はまさにFの頭上にあった、というのだ。なんとなく素敵なことだなぁ。

人は“偶然”とか“運命”に魅力を感じるところがあるが、それはどうしてなのだろう。少なからず自分にもそういうところがある。いまテレビのCMで(NTT Docomoだったかな)、男の子と女の子が携帯電話で世界のあちこちから会話していて、あるとき、旅先で歩きながらお互い携帯で会話をしていると、それはちょうどパリの凱旋門の前で、そこで“偶然”携帯を手にした二人が会うというのがあるが、私はあのCMが好きだ。人と人が出逢うことは偶然なのか必然なのか分からないが、“あのとき、あの場所に行かなかったら”とか“あのとき先にあの場所に寄らなかったら”とか、そんなちょっとしたタイミングのズレ如何によって、その後のことが大きく違ってくることがあり、そういうことに考えを巡らすことがよくある。今日も何かのタイミングのズレで何かを見逃しているかもしれないし、そんなの最初からないかもしれないが、とにかくひとつひとつのことをかみしめて生きていこうと思う。

話が反れてしまった。

オースターは、いろんな経験を積んでいて、彼のこれまでの足跡を読むのは面白い。経済的にどん底の経験もしていたりするのだが、文章中にこんな言葉がある。

“人間、とにかくどこかからはじめるしかないだろう”

ちょっと心に響いた。

|

2007/12/25

Raymond Carver

クリスマスの読み物に、レイモンド・カーヴァーの本「ささやかだけれど、役にたつこと」を選んでみた。本箱から引っ張りだしてきて。村上春樹はカーヴァーのファンで、この本の短編を訳している。前にも書いたことがあるが、私は村上春樹自身の作品は好んでは読まないのだが、彼が翻訳した本はとても好みだ。

この本のなかで今回、タイトルにもなっている「ささやかだけれど、役にたつこと(A small, good thing)」と「引越し(The boxes)」の2編を読んだ。

「ささやかだけれど・・・」は、ある母親が、子供の誕生日用にパン屋にケーキを注文した直後に、その子供が交通事故により意識不明になり、そして亡くなる。パン屋はそんなことも知らず、予定日にケーキを取りに来ないこの家に電話を何度かかけてくる。しかし両親はそれどころではなく、特に母親は、しまいにそのパン屋のことが疎ましく、憎しみを覚え、閉店後の店に行って文句を言う。しかし、そのパン屋の主人にも孤独なつらい人生があり、そこでそのことを知る夫婦。パン屋がパンを食べるよう薦める。不思議と空腹を覚え、パンを食べる母親。悲しみを癒す術は、結局のところ、人とのかかわりや語り合いから生まれることが、じんわりと伝わってくる。

「引越し」は、どうしようもない母親と、その母親のことがいつも心配で、やっかいと思いつつやっぱり気にかけて止まない息子の話。血の繋がりとは、とても切ないものなのだということを上手く仕上げている。(ちょっと説明が難しい)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ささやかだけれど、役にたつこと」

レイモンド・カーヴァー 著   村上春樹 訳

中央公論社

|

2007/12/17

ライオンと蜘蛛の巣

ライオンと蜘蛛の巣
手嶋龍一 著
幻冬舎

随分前に大学図書館にリクエストしたが、なかなか新規購入リストに入ってこなかったので、あきらめていたところ、入りましたとの連絡を受け、嬉しくて早速借りに走った。
著者は元NHKの海外特派員で、私はこの人の現地からのリポートはなんとなく人間味を感じ好きだった。表情や言葉の端々に何か深いものを持っていることを感じさせたのだ。
本書は特派員時代の出来事を題材にしたエッセイ。読了とともに感じたのは、著者は、思った通りの人だった、ということだ。それから、インテリジェンス(情報)の世界の裏話の要素も多分に愉しめる。手嶋氏が追ってきた米ソの冷戦の終結と、その体制がその後の日本や世界にどう影響しているかなどが、彼が出会った様々な要人のコメントや彼らのその後の姿を通して、手嶋氏の優しい思考のフィルターにかけられて伝わってくる。思えば、ここ20年は激動の時代だ。最中には固く閉ざされていた第一線の人達の口がいま徐々に開かれ、一般の私たちに、そういうことだったのか、と唸らせるのだろう。今後もこの著者の書に注目したい。

(出張途中の電車にて。初めて携帯からアップ。うまくいくかな。)

|

2007/10/21

City of Glass

「ガラスの街」

ポール・オースター著 柴田元幸訳

雑誌 Coyote No.21 October 2007

51jsyr4lnfl_ss500_

すでに文庫本化されている同小説を、いま人気の翻訳家である柴田元幸が新訳として発表したということで、ここ一週間、仕事のあとの楽しみとして読んでいた。以前読んだときもどきどきしたに違いないが、今回も先が知りたくて知りたくて(一度読んだのにすっかり細部を忘れていたせいで)、毎日見切りをつけて本を閉じなければならないのが惜しいほどであった。部分的に山本氏と郷原氏の訳したものと読み比べてみたりもして、やっぱり柴田元幸は上手いなぁ、と思う。村上春樹なんかもそうだけど、やっぱり、自身も小説を書く才能がある人が翻訳すると素晴らしい。また、柴田はオースターと対談をもしている。しかも、ブルックリンにあるオースターの自宅で!

この物語の出だしはこうである。

「そもそものはじまりは番号違いだった。真夜中に電話のベルが三度鳴り、電話線の向こう側の声が、彼でない誰かを求めてきたのだ。」

舞台はNY、原書の出版年は1985年である。

これだけで、もう本のなかに引き込まれてしまう。

一瞬、これは探偵小説なのかと間違われそうだが、違う。そして、結末は読者の期待どおりではなく、だからといって決して期待を裏切るものでもない。しっくりこないようで、焦点をスティルマンではなく、主人公クインにあてると、不思議なことに合点がいくように思える。クイン自身のストーリーとして置き換えることによって。

途中、クインがマンハッタンを徒歩で南へ北へ、東へ西へと彷徨うシーンがあり、南へ下ったときに、世界貿易センターの一方のタワーのロビーの公衆電話から電話をかける箇所がある。タワーが、この小説に登場していたことにちょっと興奮してしまう。何故って、ここでは永遠に在り続けるのだから。

|

2007/10/13

A Thousand Years of Good Prayers

41esfp46lbl_aa240_ 「千年の祈り」 イーユン・リー著 篠森ゆりこ訳 新潮社

新潮社 CREST BOOKS から発行される本が結構好きである。表紙のデザインもセンスの良さを感じる。

「千年の祈り」(短編集)の著者は、北京に生まれ96年に渡米、以来アメリカで暮らしている。執筆は英語で行うそうだ。

タイトルにもなっている「千年の祈り」と「あまりもの」がよかった

いずれも、中国人がストーリーの主人公となっている。

「千年の・・・」のほうは、アメリカに暮らす娘が離婚し、そのことを案じて父親が初めてアメリカにやってくる。娘はなかなか語ろうとせず、父はその無口さを責めるが、かつての父親も家庭で自分のこと、仕事のことを何一つ語らなかったではないかと逆に責められる。その途端に、秘めていた(はず)の自身の人生が甦り、後戻りできない事実にさいなまれる。父親はアメリカに来て、毎日近くの公園でイラン人の年配の女性とお互い、片言の英語とそれぞれの母国語で語り合う。言語は100%通じないけれど、不思議と言いたいことは通じ合う。過ぎ去った日々のあやまちは修正できない。だからといっていま嘆いても仕方のないことで、それが自身の人生だったのだ。ただ、いまいるのは異国の地アメリカであることにこの父親は大いに救われている。娘とは平行線だけれども、公園で出会った友人の存在にも大いに救われている。ことを早く解決したいけれども、人の生き方、ましてや娘の生き方など、そう簡単に自分の思うようにいくはずはない。

中国のことばに「修百世可同舟」というのがあるそうだ。誰かと同じ舟で川を渡るためには300年祈らなくてはならない、という意味らしい。この父親がイラン人の女性と異国アメリカで出会ったことについて、また、人は偶然親子になるのではないということを、このことばを用いて表している。こうやって互いが会って話すには長い年月の祈りが必ずあったと。親子ならば千年の祈りがあったのだと。どんな関係にも理由があるのだと。

また、この短編は、未知の中国を垣間見させてくれるとても興味深い作品だ。90年代の混乱の時期、私たち外国人には動乱についてのおおまかな情報のみ、見聞きされることだったが、何億という慎ましやかな中国の人々の日常がそこにはあり、時は流れたのだということにハッとさせられる。

|

2007/06/16

GARAKUTA

がらくた

江國香織 著

新潮社

A413h5g89oxl

まず装丁が好き。何故だかわからないけれど、私はアメリカのすっきりした木造の家屋を描いた絵に惹かれる。

この「がらくた」は、二人の主人公が交互に語るスタイルで構成されている。「冷静と情熱の間」を思い出させる。同じ空間に存在しても、人は相手がどう自分を見ているかについては未知の世界。だからこの小説のスタイルは面白い。ただ、「冷静と・・・」が異なる作者によって二人の人物を描いたのに対し、「がらくた」は江國ひとりから生まれた2つの感情だということが終始頭から離れず、であった。(結局、ひとりの人間から生み出された、ということが)

江國香織の小説に出てくる人の名前が好き。柊子とか桐子とか。ちょっと冷たい感じのする名前。冷静な人のような印象を与える名前。実際、小説のなかの登場人物はみな冷静な人たちだった。

私は二人の主人公のうち、自分に年齢の近い柊子にどうしても感情移入していた。結局、夫婦や恋人の本心をコントロールすることはできない。自分の希望どおりにはいかない。ならば、そのことも引き連れてしまおうという柊子のスタンスが、冷めているように見えて実はとても情熱的な気がした。

読んでいて気づいたのは、むやみに漢字を使わないこと。「飲む」は「のむ」と、「開ける」は「あける」としてある。なるほど、そのほうがいい、と思う。

以下、気に留まった文章(本文より)

■雨が続いている。私は秋という季節が好きだ。物がみな、あるべき姿に戻る季節という気がする。(柊子)

■私は思うのだけれど、あの一家はみんな、目の前にいる人間を目の前にいる人間としてしか見ないのだ。・・・略・・・ だから私は存在できる。(美海)

■私は自分の気持ちが正しい位置におさまっていくのを感じる。(美海)

|

2007/05/28

for them who couldn't say the word "love"

「愛」という言葉を口にできなかった二人のために

沢木耕太郎 著

幻冬社

知人(後輩?)より薦められて読んだ。沢木耕太郎はノンフィクションを中心にたくさん本を書いているが、私は「深夜特急」シリーズしか読んだことはなかった。今回の本は、映画に関する32編のエッセイで、薦められたから言うわけではないが、とても気に入った。その理由は、内容が映画評に留まっていないからだと思う。沢木という人が、映画そのものを味わえる人のように思えた。私はその映画の監督が誰だとか、そういうことにはあまりこだわらないほうだ。そして、作品のなかにたとえあり得ない(考えられない)ことが描かれているとしても、それを帳消しにする何かがあれば、そんなものは吹っ飛ばせる。(気にしない。)このエッセイを読んでみたら、そんな部分が共通すると思えた。映画の見方とでも言おうか。

現時点での私の生涯の5本に入る「ライフ・イズ・ビューティフル」についても書かれていたことも気に入った。この映画の中に主人公のグイドが強制収容所で、以前ナゾナゾ解きで親しくなったドイツ人医師と再会する。グイドは収容所からの脱出の手助けをしてくれるのではないかと微かな望みを抱くのだが、ユダヤ人にとって地獄の収容所内にあっても、このドイツ人医師には、グイドとのつながりはナゾナゾ解き相手以上のものはない。このシーンを、沢木はエッセイで、人間には、自分と無縁の不幸に対してはどこまでも鈍感になれる本質がある、と述べている。この映画のその部分に着目して言及しているところなど、ピタッときた。

そのほかにも、「ブロークバック・マウンテン」や「ブラス!」など、なるほどとうなずける見方をしている。そして、全ての作品について、これから見る人のために、種明かしはしていないところもいい。

|

2007/03/18

Liebesfluchten

「逃げてゆく愛」

ベルンハルト・シリンク 著   松永美穂 訳

新潮文庫

「朗読者」の著者(ドイツ人、フンボルト大学法学部教授)による短編集。

亡くなった妻のもとに、見知らぬ男性から1通の手紙が届き、動揺しながらも、その男に近づき、真相を探ろうとする夫の心の中を描いた作品や、現代のユダヤ人女性とドイツ人男性の、それぞれの民族の重い過去を背負った恋を描いた作品など、どれもこれまでにあまり味わったことのない感覚を覚える。

|

2007/01/25

One day in the afternoon of the world

W サローヤン 著

今江祥智 訳

新潮社

日本語タイトルは「ワン デイ イン ニューヨーク」。

1950年代ニューヨークが舞台の著者の自伝的な物語。劇作家(アルメニア系)イエップ、かつては一世を風靡した主人公だが、今は落ちぶれて舞台女優である妻とも離婚して、ニューヨークから離れて暮らしていたが、ある秋の始まりの日に、懐かしいNYを訪れ、妻や子供たち、懐かしい友と触れ合う。ほんの2~3日のNY滞在中のストーリーである。彼は今や冴えないように思われるが、実はとても魅力的な人間に思えてくる。妻の演技を優しくアドバイスするところなどにそれが表れている。(恐らく彼女はイエップの魅力にそのとき初めて気付くのだろう)

NYの5番街を中心にイエップは歩き回るのだが、50年代のNYを想像しながら読み進められる。

|

2006/12/17

ニューヨークでがんと生きる

千葉敦子 著

文春文庫

新聞記者を経て、フリーランスのジャーナリストとして活躍した筆者が、自らのがん闘病をレポートした内容。乳がんの再々発の不安を抱えながら、ニューヨークに移り住むことを選択し、そこでアメリカでの最先端のがん治療を受ける。日米の当時の(80年代)医療方針の違いを克明にレポートしている。現在は日本も、インフォームドコンセントが進んできているが、医療については、医師が絶対的であり患者は訳もわからず言いなりになっているようなところが散見されると私も感じる。著者ががん治療を受けた80年代はそれが顕著であった。その治療がどんな副作用をもたらすかなど、患者には充分な説明がなされていなかったという。アメリカではどんなことでもいいから医師や看護師に質問しなさい、とされていたという。それが患者の役割だと。また、その病気に対する情報量の面でも、日米では格段の差があったとも書かれている。80年代のアメリカではすでにオンラインや論文や書籍などあらゆる文献から、患者自身が治療についての情報を得ることができたそうだ。いまはきっと、その差は縮まっていると思う。もし、千葉さんがいまも生きていたら、インターネットを駆使して、便利な世の中になったと喜ぶに違いない。

千葉さんが亡くなる直前の87年2月に、千葉さんの居るニューヨークに私は確かにいた。あのニューヨークを彼女はこう記している。

「毎朝起きたときの“ウェルビーイング”(幸福感、満ち足りた気分)にわれながら驚く。ひどく気分の悪い朝でさえ“何か意外さが待ち受けている一日”への期待感に胸をふくらませて目を覚ます。これは間違いなくニューヨークのせいだ。」

もし自分が病気により死を意識せざるを得ない事態に陥ったとしたら、どんな行動をとることができるだろう、と深く考えさせられた。ただただ途方に暮れるようなことだけはしたくない。そのためには、強い精神力と豊かな知識も必要とされるだろう。苦しさと闘いながらも、何か意義のあることを残すことができるように。または、自分が幸福と感じられる場所に行く行動力を湧き立たせられるように。

アメリカの医療も、富裕層と貧困層とでは、受けられる医療内容に大きな差があり、社会問題にもなっているという。しかし、この千葉さんのレポートによって、自分でも病気についての勉強をし、疑問点は医師に確認するという前向きさの必要性、治療の辛さを忘れられるほど熱中できること(仕事だっていい)を持つことの重要性などを学んだ。

本書にヴィレッジにあるNY公立図書館の分館であるジェファーソンマーケット図書館のことが記載されていた。千葉さんお気に入りの場所として。私も訪れたことがあり、なんとなく親近感を覚える。

webで調べたら、ニューヨークタイムズ紙に千葉さんが87年7月に逝去した際の記事があった。がんと闘った日本のジャーナリストと。

ニューヨークには千葉敦子という人の生き様が息づいているのだ。

|

2006/10/07

とるにたらないものもの

江國香織 著

集英社文庫

著者が日々愛しく思うもの、好きなものなど簡潔な文章で書かれたエッセイ。ここのところ、毎晩眠る前のお楽しみの読み物となっていたが、あっというまに60編読み終えてしまった。なかに「石けん」というタイトルがあり、真っ先に読んだ。

「石けんは、この上なくシンプルで可憐なかたちをしている。」(本文より)

実は私も、石けんが好きだ。基本的には洗顔も入浴時にも石けんを愛用する。石けんの何が好きなのだろう、と考えると、やはりそのシンプルさ、なんだと思う。

外国に行くと、自宅へのお土産は決まって石けんだ。そんなにたくさんは買わない。大抵2~3個。旅から戻り、現実に引き戻されても、新しく石けんを下ろして、それをころころと手の中で回して泡立てているときは、ちょっとだけ旅のことを思い出したりする。買ってきた石けんは「とっておく」ことなんかしない。それらは、しばらくは洗面台の鏡のうしろの棚に仕舞われているけれど、順番を待って使われる。

ハート型のモスグリーンの石けんがあった。パリのサンジェルマン・デ・プレ教会脇の路地にあった雑貨屋で買ったもの。ハートの形にも惹かれたが、それよりも石けんに刻まれた模様とバラの香りが気に入って2個買った。シリア製とあった。毎朝、その石けんで洗顔すると、ちょっとした幸福感があった。勿論それはすでに消費されてしまったが、またいつかあの石けんを手に入れたいと思っている。

|

2006/09/28

パリは眠らない

ミシェル・ルブラン著

藤田真利子 訳

教養文庫

私大連の研修で同じグループだった方と、2回目の合宿で旅の話や小説の話になり、お互い行ったことのあるパリの話は特に盛り上がった。そして3回目の合宿でこの「パリは眠らない」を頂いた。わざわざ持ってきてくださったことが嬉しくて、頂いた夜から読んでいた。パリの街角が随所に出てくる。ストーリーはミステリー仕立てで、ある年の5月1日の未明に、その晩すれ違う数人の登場人物のそれぞれの苦悩をスリリングに描いている。悪人は全てを失い、善良な市民は苦悩から開放されるという結末が後味よい。

|

2006/07/06

パリから見たニューヨーク 1987~1989

谷口正子 著

舷燈社

フランス文学者である著者が、夫の赴任の関係でニューヨークに滞在したときの日記。発行年は2001年だが、滞在時期は80年代。私が「黄金の時代」と思っているNYの滞在記。時折、フランス文学のことなど、私の知らない世界についての記述があるが、気にしないで読み進められる。ちょっとだけ、当時のNYの空気の匂いを伝えている。私の知らない、しかし興味のあるアカデミックな世界も垣間見ることができる。これを読むと、やはりNYは素晴らしいと感じる。街中に文化や学問が溢れている。大学も開かれている。

|

2006/06/13

わたしのマトカ

片桐はいり 著

幻冬舎

今日から読み始めたので、まだ1/5ほどしか読みすすめていないのだが、書かずにはいられず。なぜかと言うと、私の分身のような人だと思ったからだ。著者が仕事で訪れたフィンランドでのことを中心にエッセイにしている。旅先で優先することとか、現地の人との触れ合いで感じることがとても似ている。それから、極端に計算が苦手というところも。著者いわく、チップを計算するくらいなら、タクシーを使わず、地下鉄とバスを乗り継ぐほうがどれだけラクか、と思うところ! 私との大きな違いは、帯にも「名エッセイ」と書かれているとおり、見事な文章力だということだ。うぅーんとうなってしまうほど、よく書けている。読み終えるのが惜しくなるような・・・ ところで、途中、ニューヨークの話が出てくる。地下鉄の駅名を見るだけで、その駅の地上がどんな景色かが分かるほど通なようだ。ローワーマンハッタンについて「そうだな~」と思わせる一文があった。それは、WTCがあったときは、“ローワーマンハッタンで道に迷ったときは、あの双子のビルを目印にして道を選んだものだ。”というくだり。確かにそうだったなぁ・・・と思う。

ところで、不意に思い出したのだが、学生のときに私は授業が終わるとよく映画を見に出かけていたのだが、何の映画だったか・・・確かメル・ギブソンの「燃えつきるまで」だったように思う・・・、そう渋谷の映画館で私の隣に片桐はいりが座ったのだ。お互いに一人だったと思う。映画が始まってから何気なく横を見たら、見覚えのある横顔が。すでに彼女はメジャーだったから、ピンときた。もちろん声などかけることはしなかったけれど。

まあ、そんなことはどうでもいいことだが。

この本、装丁もとても素敵。

|

2006/06/12

1月のニューヨーク

三井千絵 著

碧天舎

タイトルに惹かれて購入した。届いたその日と翌日で一気に読む。社会に出て10年を迎えた著者が1ヶ月のNY短期留学を果たし、その毎日を日記風に綴った内容で、読んでいるうちに一緒に1ヶ月間NYで過ごしているような気分になれた。留学先はコロンビア大学。数年前にこの大学を見学したことがあったので、校内の様子がなんとなく想像できた。寮でのインターネットの接続の様子とか、地下鉄やバスの様子など、詳細に記載されている。また、インターネットのことで接続会社に電話をかけるときの著者のドキドキ感などが、とってもよく理解できるような気がした。興味を持ったら、一人でもレクチャーに出かけていったりする著者の行動力には勇気づけられる。

|

2006/05/22

Once In A Lifetime

ニューヨーカー誌に久しぶりにジュンパ・ラヒリの短編が掲載され、がんばって読んだ。毎晩眠る前の時間と、仕事帰りのコーヒータイムを利用して。ほぼ10日ほどかかった。いつものタッチで書かれている。ベンガル系移民家族の、ボストンでの人生の一時期を、主人公がそのときに一緒に過ごしたもう一つの家族の自分より少し年上の男の子に、そのときの自分の心境を交えながら、あえて語りかけるという切り口が新鮮。

なんでだろう。この独特の世界は私にとって完璧な居心地のよさだ。終盤は思いがけない展開に、少し驚いた。でも、それが人生というものなのだろう。

翻訳されるのが待ち遠しい。

|

2006/05/13

レキシントンの幽霊

村上春樹 著

文芸春秋

旅先で読んだ短編集。まだ、2編しか読んでいないが、1番目のタイトルにもなっている「レキシントンの幽霊」は気に入った。レキシントンはニューヨークのアヴェニューの名前かと思ったら、ボストンにある地名だった。この中で、幽霊の話よりも、主人公の友人の話が興味深い。恐らくこの2つの柱は、繋がるべきなのかもしれないが、どうも私にはその繋がりは理解できないままである。さて、その友人の話というのは、父親がその妻を亡くしたとき、自分が父親を亡くしたときに、それぞれが数週間眠りつづける(途中で軽食はとるものの)という内容。肉親の死というものは、深い悲しみと孤独を招き、恐らく眠るしか術がないといつも考えてしまうせいか、いつまでも深い余韻を残し、繰り返し読んでも良いと思える作品だ。

|

2006/03/01

ニューヨーク遥かに

常盤新平 著

集英社

大原という初老の主人公が、間宮というやはり初老の友人に会いにニューヨークへ行く。間宮は80年代にマンハッタンで寿司屋を開店し成功をおさめた人物であるが、最近、突然経営から身を引く。大原はその理由を求めて、自らも愛着のあるニューヨークで一週間を間宮と過ごす、という内容。フィクションとあるが、私は、大原は著者である常盤新平自身、そして間宮も実在の人物がモデルになっていると思う。それは、最近までに出版されてきた著者のエッセイなどを読んでいれば、誰もが想像ついてしまう。その点が、常盤新平は、小説家としては下手なのかもしれない。でも、不思議なことに、この小説にのめりこんだ。読み終えて、なぜかと考えると、著者のニューヨークへの思いが、自分のそれにとても近いことを感じるからだと思う。以前は本や映画のなかだけのNYが、旅行がたやすくできる時代になり、実際訪れてみると、やはり想像どおり魅力的で。気に入った部分はとことん好きで、何度も足を運んだり。それは、たいしたことないハンバーガー屋だったり、古本屋だったりで、高級なレストランや有名ブランドショップではない。ただ街を歩いているだけで感慨深くなる。そして、お気に入りの場所を歩きながら、過去を振り返ったり、これからのことを考えたりとニューヨークを見物しながら自分自身を見ている。そんなところを自分と重ね合わせて読んでいた。

|

2006/02/05

ライオンハート

恩田陸 著

新潮文庫

時代を越えて再び出逢えることがあり得ると思えてしまう。誰かと出逢ったとき、シグナルがあったり、懐かしさを少しでも感じたなら、もしかしたら、時をさかのぼって自分が生まれるずっと前に、自分の魂をもった別の自分が、その人の魂をもった別のその人と出逢っていたのかもしれない。それとも、何百年か後に再び出逢うかもしれない。

そんなことを考えさせる物語。

|

2006/01/24

フィンランドについて

いま、読んでいる「それがぼくには楽しかったから」は、Linux(コンピュータのOS)を開発したリーナス・トーバルズの話。Linuxについては、まったく知識がなく、その部分について読んでもチンプンカンプンなのだが、フィンランドのこと、ヘルシンキのこと、フィンランドの人々の気質や生活のことなどの記述もあるので、結構楽しめる。実は、フィンランドについて書かれた本って意外に見つからないものだから。世界最高の学力を保持しているこの国では、大学の授業料は無料なのだとか。それから、各アパートメントには共用のサウナがあって、各家庭の利用日時が決められているのだとか。長い陰鬱な冬のことなども書かれている。そして、リーナス・トーバルズとビル・ゲイツの比較も面白い。ただ、翻訳があまりうまくないのが残念。

| | コメント (8)

2005/12/25

さいはての二人

鷺沢萠 著  角川文庫

今週、上野駅の構内にある書店で購入した文庫本。

すごく危なっかしいけれど、これ以上密着した関係ってあるだろうか。分かり合うということは相手の全てを知ることではないということを気づかせてくれる。この世界には、きっとお互いを必要としている人はいて、めぐり合えたらそれは素敵なことだ。最後はとても切なかったけれど、奇跡を携えて終えているところが、鷺沢という人の強さだと思った。

| | コメント (0)

2005/07/26

幸福な結末

辻 仁成 著
角川書店

映画「ロスト・イン・トランスレーション」が思い出される。外国人(西洋人)が見た東京の描写の部分で。馴染みのある東京の風景も、外国人の主人公の目を通すせいでか、異国のように思える不思議な感覚がある。エンディングがとても気に入った。

| | コメント (0)

2005/07/16

ソウルで逢えたら

松岡圭祐 著
徳間書店

誕生日に贈られた一冊。
「冬のソナタ」は一通り見たけれど、韓流ブームには乗れずの私であったが、時を同じくして3度ほど韓国に行っており、本書の舞台であるソウルの街は馴染みがあり情景が目に浮かんで楽しめた。同じ作者が書いた「千里眼」もそうだったが、スピード感がある作風だと思う。恐らく作者は韓国を何度も訪れ、韓国の芸能界にある程度精通していると思われる。
それから、韓国に割り勘の習慣はないとか、満員の電車では座っている人のひざの上に立っている人は荷物を置いていいとか、まだまだ知らなかったこともある。ただ、後者は怪しいな。本当だろうか。電車内で物を売る人はよく見かけた。ソウルの地下鉄で思い出深いのは、地下から地上に出て、漢江(ソウルを南北に分ける幅のとても広い川)を渡ったときのこと。電車から見たソウルを象徴するあの川の広さ。
この本を読んでしばらく眠っていたソウルでの出来事を思い出している。

| | コメント (0)

2005/05/29

サヨナライツカ

辻仁成 著
世界文化社

表現がちょっとクドい感あり。
しかし、テーマは悪くない。
ほんの一時でも激しく人を愛したら、それは永遠になりうる。そういうことが理解できる人であれば、この小説は受け入れることができるだろう。

人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトとにわかれる  (本文より)

私は思う。
みんな愛したことを思い出すのではないかと。
もし、愛したことのほうを思い出したなら、その人生は意味のあるものになるのだとも。

| | コメント (0)

2005/04/10

水曜の朝、午前三時

蓮見圭一 著
新潮社

とにかく読んでほしい。
今の自分に後悔はないけれど、もしかしたら、もう一つの人生があったかもしれないと思う人は特に。

| | コメント (0)

2005/02/27

対岸の彼女

角田光代 著
文藝春秋

この小説の要素の多くが自分と共通するようだった。ただ、「いじめ」については自分自身、それに周囲にもまったくと言っていいほどなかったので、その部分だけは想像の世界である。

最後のところで、ナナコが葵にあてた手紙を小夜子が偶然読んでしまう場面がある。その裏側にこの小説が伝えたいすべてがあるような気がしている。この手紙を読む間、泣けて泣けて仕方がなかった。20年近く前に書かれたその手紙は他愛もないものだけど、揺るがしようのない友情が存在したことを間違いなく伝えている。

大人になると、利害ばかりが先に立って、学生時代に普通に存在した純粋な友情って成立しにくいかもしれない。けれど、本当は自分次第なのかもしれない。年齢は関係なく、人の言うことに惑わされることなく、自分の目で心で人を見て選んでいく、そういう毅然とした態度で行くこと、それが大切である。

この一冊は、一言では言い尽くせない感情が湧き上がってくる感覚がある。それだけ、深いものを伝えているのだと思う。

| | コメント (0)

2005/01/02

ダ・ヴィンチ・コード 上下

ダン・ブラウン著
越前敏弥 訳
角川書店

キリスト教聖杯伝説について、新しい解釈がブームになっていたなんてぜんぜん知らなかった。驚きの内容である。トリックそのものよりも、歴史上の名士が名を連ねる組織のことや、ダ・ヴィンチの描いたフレスコ画「最後の晩餐」の詳細を知るにつけ、鳥肌が立ってしまう。

| | コメント (0)

2004/10/17

ニューヨーク空間

有吉玉青 著
新潮社

10年ほど前、私はこの本を買って読んでいる。
もうその本はどこかに行ってしまったが、先日図書館で懐かしく手に取り、借りて読み直した。著者は作家であった有吉佐和子の娘である。ニューヨーク大学大学院に通う著者がNYでの体験や感じたことを一冊の本にしたものだ。

読み返してみて、特に印象に残ったところ、それは人種差別について書かれたもの。私たちはアメリカでの人種差別を想像するとき、おそらく多くの人が自分自身(日本人)を白人側に置いて考えるのではないか。著者もそうであったという。あるとき、住んでいたアパートメントのエレベーターで、家政婦に間違えられ、作業用のエレベーターを使えと住人の一人に言われたとき、ハッとそのことに気づいたということだ。見た目でいえば、私たち日本人は有色人種であり、大きなくくりで考えたとき、白人ではない側なのだと。人種差別は徐々に薄れてはきているかもしれないが、無意識のうちに自分自身が自分を優位側に置こうとしていることからもわかるように、この問題はそう簡単に解決するものではなさそうだ。

| | コメント (0)

2004/10/16

「アメリカの61の風景」

長田弘 著
みすず書房

なかなかのものなので、心に残った箇所をここに記しておきたい。

○ある日ウォールデン・ポンドで
「ソローを、あなたはどう思うか。あるいは、ソローを、あなたは読んだことがあるか。アメリカ人に、またアメリカに関心をもつ人にそう聞けば、その答えだけでその人がどんな人かわかるだろう。」
折りしも、ソローの「森の生活」を注文したところだったので、読むのが益々楽しみになった。

○クーニーの三冊の絵本
「ひとの人生の記憶をかたちづくるのは、あるときの、ある瞬間の光景だ。そのときはそうは思わない。しかし、あとになって、そのときの一瞬の光景が、自分の人生の大切な記憶の絵として、まざまざとよみがえってくる。」

○ストリート、リヴィングネス
「何でもない言葉が一つ、また一つ、胸底に落ちて、忘れられなくなる。ニューヨークはとりわけ、そんなふうに平凡な言葉がふいに粒だってくる、そういう印象をのこす街だと思う。この言葉のこういう意味を、このときこの街で、こういうふうに感じとったという記憶が際立ってのこる街。」

○アウターバンクスの夏
「アウターバンクスには、海の他には、何もない。海を見つめる。だが、海を見つめていると、そのとき見つめているのは、ほんとうは時間なのだということに気づくのだ。」

まだ、途中だが、アメリカ大陸を車で旅しているような味わいがある。カナダとの国境のメイン州など、行ってみたい土地がまた増えてしまいそうだ。

ホッパーの絵、Cape Cod Morning が表紙なのもいい。

| | コメント (0)

2004/10/04

外套

ゴーゴリ著
平井肇 訳
岩波文庫

あまり期待せず読んだところ、意外にも良い内容だった。
ペテルブルグに住むさえない主人公が外套を新調することに多大な勢力を注ぐことがなんとも愉快に描かれている。その反面、結末があまりにも衝撃的だが、悲壮感は残らない。主人公アカーキエウィッチが外套を作るために、切り詰めてお金を貯めるところは、物を買うための努力の原点を見たような気がする。それに、外套の布地やパーツを買い求める場面など、高価なものを買うときのこれというものを選ぶ楽しさに共感できる。愛着をもって物を使おうと思い起こさせてくれる。そして、誠実につつましく生きる主人公が不運によって死んでしまうところは、現代社会にも形を変えて似たような現象を見ているような気もして、いろんなことを考えさせられる一冊である。

| | コメント (0)

2004/09/17

ニューヨーク秘境探検

浅井秀剛 著
日本経済新聞社

書店に並べられているありふれたガイドブックとは違うニューヨークの楽しみ方を紹介している一冊。

探検Ⅰ~Ⅵと6つの散策を提案している。その中で私がまだ体験していないのが、探検Ⅱに記載されているルーズベルト島へのエアリアル・トラムウェーだ。これはマンハッタンとイーストリバー中州のルーズベルト島を結ぶロープウェーで、恐らくこのトラムから見えるマンハッタンはすばらしいと思う。今度行くときはぜひ乗ってみようと思っている。

NYのありきたりなガイドブックに飽きた人は楽しめると思う。NYのエリアがある程度頭に入っていれば、読んでいるとき自分もそこを歩いている気分になれるはずだ。

| | コメント (0)

2004/08/25

その名にちなんで(The Namesake)

ジュンパ・ラヒリ著
小川高義 訳

とうとう読み終えてしまった。もっとずっとずっと読み続けていたかったと思える作品だ。
親子二世代に渡る物語。故郷カルカッタを思いならが新天地アメリカに渡る夫婦の人生と、アメリカで生まれ成長する息子の人生。長編のなかにそれらが絶妙に絡まり合っている。親はアメリカに渡ってからも、思考はインドで培ったそれを変えることはできない。息子はスマートなアメリカ式の思考回路に慣れていて、親のスマートには程遠い考え方に苛ついてしまうのだが、時が経って特に父親の死を境に気持ちが変化する。「苛立ち」が「尊重」という形に変わっていったのではないかと思う。

また、母親の人生がひとつのモチーフになっていることに気づかされる。夫なしでは何もできなかった女が、夫の死後たくましくなる。その過程がうまく描かれていて感心せずにはいられない。

小説の中の情景が筆者の繊細な描写によって、目の前で見ていると思えるほどである。それぞれの描写がやわらかく描かれていて馴染む。

この作家については、実は秘密にしておきたいと思うほどである。

| | コメント (0)

2004/08/07

萌野

大岡昇平 著
講談社

1972年、著者がNYで暮らす息子夫婦を訪問した際の記録。夫婦にはまもなく子供が生まれるところで、タイトルの萌野(もや)はのちに孫の名前となる。このとき著者は60歳を過ぎていたのに、NYでは毎晩オペラや芝居を見に行ったり、美術館へ通ったりしている。滞在先はヒルトンホテルということもあり、私がはじめてNYへ行ったときのホテルと同じことにも親しみを覚える。息子を心配する父親の心境が伝わってくる。息子はNYの建設会社で設計の仕事に就いており、そこそこ安定した収入を得ているが、父親としては日本に帰ってきてほしいのだ。息子は60年代からアメリカへ渡っている。そのころの日本人のアメリカでの暮らしぶりを知ることができて興味深い。自分と同世代の72年生まれの萌野という人物がその後、どのような人生を歩んだか・・・想像を膨らませてしまう。

| | コメント (0)

2004/07/26

ニューヨーク・ウーマン・ストーリー

幸田真音 著
浩気社

ちょっと乙女チックな内容ではあるが、舞台となっているNYの描写が正確であるので、興味深く読めた。それと債券の運用について勉強になった。登場人物ではゲイの満が一番魅力的に思えた。満のアパートメントは私が泊るホテルの通りの1本隣りという設定も気に入った。
登場人物が日本の社会とアメリカ社会を比較して討論する場面があり、外国で生活する日本人は、日本から「吐き出された」と語られている。日本はたったひとつの価値観だけを食べて生きている化け物だとも。私も最近偏った考え方をしがちだったような気がしてハッとさせられた。そうだ、もっといろんな見かたをしなくっちゃ。いろんな人がいるのだと認めなくっちゃ。

| | コメント (0)

2004/07/15

かわいい子には旅をさせるな

鷺沢萠 著
大和書房

同世代の作家が書いたものには共感できる部分が多い。こんなことではいけないのかもしれないが、私は世代が下の作家のものを読むのは抵抗がある。著者は私より若干年下であるが、同世代。生きてきた時代が一緒ということは、それだけで受け入れられるのだが、それに加えて私は彼女の考え方がとても好きだ。
自ら命を絶った直前に書いたと思われるエッセイが最後にある。
その中で、心の移り様について書いている。ココロの角質化について。
人はいつまでも同じ気持ちでいられるわけじゃない。そのときどき感じることというのは、そのときでないともう二度と感じないのだ。
そのときの気持ちを思い出すことはあっても、決して同じ気持ちにはなれない。そういうことを言っている。
そのことを思うと「切ない」と。
サギサワという人は、自分のことがよくわかっていた人だと思う。えらいなぁと思う。

| | コメント (0)

2004/07/12

コイン・トス

幸田真音 著
講談社

9・11をテーマにした小説。
あれから3年の月日が流れてしまった今、この小説を読んであの日が甦る。
あの出来事はWTCに何らかの形で関わっていた人、ニューヨークを訪れたことのある人ほど記憶に深く刻まれているのではないだろうか。もちろん、そうでない人にとっても同じ時代を生きた世界中の人が忘れられない出来事として記憶に留めていることは言うまでもない。
著者はかつてディーラーとして米国系金融業に就いていた経験から、WTCとも深い関わりを持っていた一人で、多くの友人、かつての同僚をあのテロでなくしたことでしばらく書けなくなってしまったということである。しかし、あえてそのことをテーマに小説を書くことで乗り越えようとしている。
この小説を読んで「グラウンド・ゼロ」は「爆心地」という意味を持つことを初めて知った。攻撃の対象になったのはWTCであったけれど、日々平穏を感じて暮らしている多くの人々に衝撃を与えたという意味で、確かにあの場所は爆心地である。
物語を読み進めるにつれ、私にこれだけの感情や思いがあるように、あのテロの犠牲になった人々にもそれぞれの人生があったことを思い、胸が締め付けられてしまうが、それでも生き残った私たちは前進しなければならない。そして、小説の最後、まさか、という結末に「奇跡」があることを思わずにはいられない。

小説の中で主人公が恋人を探して訪れる7番街の病院の前を、私はテロ後に通った記憶がある。そのとき、病院の外壁やフェンスに行方不明の人々の写真がたくさん貼り付けてあった。私はできるだけ多くの写真を見ようとしていたと思う。見なければいけないと思った。

人間には心やすまる時代は到来してくれないのだろうか。でも、困難を自らの意思で明るいものに変えていけるのも人間なのかなぁ、と思う。

コイン・トス。確率は50%だ。
何かのタイミングであの日の生死が逆転した人も多いだろうと思う。
思えば、人生そのものがそんなはかないものなのかも知れない。

私にも「何かが違っていたら、自分もあの朝、あのビルにいたかもしれない」という友達がいる。

| | コメント (0)

2004/06/19

ニューヨークの古本屋

常盤新平 著
白水社

「老い」を意識しはじめた著者が、過去訪れたニューヨークを振り返り、また99年に「最後になるだろう」ニューヨークを訪ねたときの記録となっている。常盤新平という人は、NY通中のNY通なのだと思ってきたが、この本を読むと決して「通」ではないように感じる。ただ彼は自分の「好きな場所(書店やホテル、バーなど)」に繰り返し通いつめ、味わっている、ただそれだけだ。

さらに著者はこれまで私生活については言及してこなかったのだが、本書では繰り返し自身のことについて触れている。いわゆる「不倫」を実らせた少数派であることを、私は初めて知った。本書のなかでその過程を語っているわけではない。ただ、新しく妻となった人が時折現れる。それはあたかも、長い年月中途半端な状態にあった(作家として表現してあげることのなかった)相手を、この本をもって正統化してあげているかのように思われ、常磐新平という人の人間性を感じることができた。70歳を過ぎた現在、人生の終盤を迎え、遅まきながら相手にしてあげられる唯一のプレゼントのように私には思えた。

文章の数ヶ所に「(NYの)ここに来るのは最後だろう」という文章があり、淋しさを覚える。

| | コメント (0)

2004/06/12

オンリー・ミー

三谷幸喜 著
幻冬舎文庫

日記にも書いたが、思わず噴出してしまう一冊。
落ち込んだときに読むと、かなり立ち直れるんじゃないかと、ちょうど落ち込んだときに読んだ私は心から思う。読み終えたあと、人生ラクに行こうと思い直せる。

| | コメント (0)

2004/05/15

日のあたる白い壁

江國香織 著
白泉社

全て私の絵に対する思いを代弁してくれているかのような内容。
絵の好みが100%一致している。

| | コメント (0)

2004/04/04

大聖堂

レイモンド・カーヴァー著
村上春樹 訳
中央公倫社

短編集。
カーヴァーの作品が好きな理由は、普通の人々の日常のあるひとコマを切り取って淡々と表現していることだ。主人公たちはそれぞれ局面に立たされている。周囲の人達との関わりを描きつつ、不安から安心、安心から不安、さらには状況の消化、再生へと繋がっていく様子を読み手は愛情をもって受け入れることができる。それは、私たち自身の身に降りかかってくるかもしれないことであり、あるいは身をもって体験したことであるからではないだろうか。

| | コメント (0)

2004/03/26

ニューヨークで見つけた気持ちのいい生活

渡辺葉 著
青春出版社

著者は椎名誠の長女。
NYのチェルシーのアパートでの暮らしを綴っている。
アパート内の写真なども掲載されていて楽しい。
彼女の日常を楽しんでいる様子がすごくよく伝わってきた。特に真似したいのは…書かれていること全て真似したい。毎日使うものは本当に気に入ったものを厳選して(決して高くなくてもよい)購入し、愛着をもって使うところとか、オシャレについての考え方とか、共感できることばかり。チェルシー地区には質の高いスリフトショップがあるようで、今度行くときは必ず立ち寄りたいと思う。そのスリフトショップは、収益はすべてHIV感染者などに寄付されるということ、店に持ち込まれる品は全て寄付ということが素晴らしい。そういう目的のお店に品物を持って行く人が使ったものなら、中古のものでもまた引き取って使うのが素敵なことのように思える。
チェルシー地区は以前はただの倉庫街でパッとしない地域だったが、かつてソーホーがそうであったように、90年代からスタイリッシュな街と化している。あちこちに大小のギャラリーがあったりする。(実際、えっ?こんな建物に?というような中に素晴らしい空間が広がっていたりする)あと、まだ行ったことがないのだが、チェルシーマーケットで美味しいものを買い込んでみたいなぁ。

| | コメント (0)

2004/03/11

号泣する準備はできていた

江国香織 著
新潮社

短編集
この作家は成長しているという感想を持った。
特に気に入ったのはタイトルにもなっている『号泣する準備はできていた』と『そこなう』だ。彼女のちょっと冷めたような感性が何故か心地よい。自分とよく似ているように思う。

| | コメント (0)

2004/01/13

AUTHOR PHOTO portraits, 1983-2002

Marion Ettlinger photographer
SIMON & SCHUSTER 発行

アメリカで認められている作家たちのポートレート集。
トルーマン・カポーティの横顔の写真が大きく表紙になっている。
これらを見ていると、作家には美男美女が多いことに気付く。それと内側から知性がにじみ出ているのがその美しさにプラスされている。
村上春樹が、唯一、日本人で掲載されている。

この本は大学の図書館にあります。
ただし、1週間くらいは私の手元にあります。

| | コメント (0)

2004/01/09

チャリング・クロス84番地

ヘレーン・ハンフ著
江藤 淳 訳
中公文庫

第二次世界大戦直後から1969年までの、ニューヨークに住む著者とロンドンの古本屋との手紙のやり取り。ヘレン・ハンフのストレートだが、思いやりのある気質と、ロンドンの書店のスタッフの温かさが伝わる。

| | コメント (0)

2003/12/12

キミと歩くマンハッタン Guide to Manhattan with you

常盤新平 著
講談社

私のマンハッタン感をうまく表現してくれている箇所がある。

「マンハッタンのいつもの朝。下を見れば、馬車とタクシーが客待ちしている。ホテルの窓から見る眺めはいつも変わっていない。それでほっとする、安心する。
これはあたりまえの平凡なことであるが、安心できるものがあるのはいいことで、ニューヨークにはそれがある。それだけ、土地に異邦人をなじませてくれる。
ニューヨークに来て、同じところを2度も3度も訪れるのは、なじむためだ。たった1度では何もわからない。わかったことにならない。酒場だって美術館だって公園だって。」

| | コメント (0)

2003/11/12

ニューヨーク 知ったかぶり

常盤新平 著
ダイヤモンド社

著者が訪れた80年代のニューヨークがぎっしり詰まった本だ。
常盤新平のニューヨークは、私の知っているニューヨークと重なる部分が多い。(共感できる)
それに、ピート・ハミルやニューヨーカーの編集長に取材をしているところなどは尊敬に値する。
以前に何度も書いているのだが、80年代のニューヨークを見たことがあることは、私にとって大きな宝物であり、この本は当時のNYに関心のない人にとっては古い情報に過ぎないかもしれないけれど、私にとっては違うのである。今読んでも不思議なことにワクワクするのだ。

このなかに「ベスト・オブ・ニューヨーク」というコラムがある。
雑誌『New York』に1985年12月に特集されたニューヨークのベストを選ぶという記事を紹介している。

名士たちにニューヨークのベストとワースト。
当時の市長であったコッチ市長のベストはメトロポリタン美術館、ワーストは落書きだらけの地下鉄。
イヴ・サンローランのベストは『ヴォーグ編集長』ダイアナ・ヴリーランド、ワーストはエイズ。
ニューヨーカーの作家ヴェロニカ・ジェングのベストはメッツ、ワーストはヤンキースのオーナー、スタインブレナー。
不動産業者のモーティマー・ザッカーマンのベストはメッツのピッチャー、ドワイト・グーテン、ワーストはアパートの修理。
作家ジェイ・マキナニーのベストはニューヨークの夜、ワーストはニューヨークの朝。

編集者や執筆者が選ぶニューヨークのベスト。
床屋のベスト:リージェンシーホテルのフランス人レイモン・ジェフロワ
刑事のベスト:ニューヨーク市警察のロバート・ギャラガー、38歳
ホットドックのベスト:カーネギー・デリのホットドック(4ドル25セント)
映画のベスト:『成功の甘き香り』(1957年)
摩天楼のベスト:クライスラー・ビルディング
エレベーターのベスト:クライスラー・ビルディング
エスプレッソのベスト:ヴィレッジのカフェ・ダンテ

などなど。

私にとってのベストは、ニューヨーク公立図書館。
ワーストはエンパイヤー・ステイト・ビルディングの展望台へ並ぶ長蛇の列。

| | コメント (0)

2003/09/24

人形の家 トーベ・ヤンソン・コレクション

トーベ・ヤンソン著
冨原真弓 訳
筑摩書房

トーベ・ヤンソンは、ムーミンシリーズの著者であるが、大人向けの小説も沢山残している。人形の家は短編から成り、どのストーリーの主人公も個性的で魅力的な人物である。個人的にはそのなかで、「人形の家」「連載漫画家」「自然の中の芸術」が気に入っている。

フィンランドの人々の慎ましやかな生活も感じることができる。

| | コメント (0)

2003/09/18

停電の夜に

ジュンパ・ラヒリ著
小川高義 訳
新潮文庫

この夏のニューヨーク大停電の際の新聞のコラムにこの本のことが紹介されていて、なんとなく興味を覚えて取寄せた。文学的に素晴らしい内容だ。個人的には「ピルサダさんが食事に来たころ」と「三度目で最後の大陸」が好き。主人公や登場人物の心の変化をうまく描いていると思う。そして、それぞれの場面が脳裏に温かく浮かんでくる。心配から安心へ、なんとも感じないことから、愛情へ… そういう変化を見事に表現していて、何度でも読みたくなる一冊だ。

| | コメント (0)

2003/08/25

キャッチャー・イン・ザ・ライ The Catcher in the Rye

J.D.サリンジャー著
村上春樹 訳
白水社

とりあえず読破。
最後のほうはちょっと飽きてきてしまったのが自分でも意外だ。
以前、古いほうの訳で読んだときほどの感動がない。
主人公の考えをうのみにすることは危険だと思った。なぜなら彼はまだ高校生なのだし。ただ、彼にとって現代社会はとてつもなく凝り固まった考えややり方ばかりで、息苦しいのかもしれない。そういう点では現在の自分が感じていることと一致するのかもしれない。

| | コメント (0)

2003/08/06

デッドエンドの思い出

よしもとばなな著
文芸春秋

いつものよしものばななの色がちゃんと出ている。
人は、どんな最悪の状況からでも、再生できるという過程が切ないほど純粋に表現されていると思う。
5つの短編からなるが、特に好きなのはタイトルにもなっている“デッドエンドの思い出”だ。デッドエンドとは袋小路のことだと辞書を引いて知った。その中で登場人物の西山君が、幸せを感じるときについてこう言っている。“俺は自由な感じかな。これからどこに行っても何をしてもいいけど、冴えない気持ちじゃないとき。そういうとき、おなかの底から力がわいてきて、どこにでも行けるような気がする。実際どこに行くかじゃなくて、その力のわいてくる感じが幸せ。” あぁ、これって私と同じだと思った。

出先で一気に読んで夕方帰宅すると、いつもの場所に祖母がいて、父が親戚のおじさんと囲碁をしていて、母が夕食の支度をしていた。よしもとばななの小説を読んだあとは、いつも家族が恋しくなるし、あたりまえのようにいつもある光景が、なぜかとてもいとしく、大切なもののように思えてくる。

| | コメント (0)

2003/08/01

ブックストア Bookstore

リン・ティルマン著
宮家あゆみ訳
晶文社

NY Madison Avenue at 74th Street に20年間存在し、オリジナリティある選書、若手ライターの応援、著名作家によるリーディング企画などにより、その存在価値を高めてきた書店 Books & Co.を愛してやまない人々と創設社のジェーン・ワトソンの証言を重ねる形式により構成されている。登場人物のほとんどは、私には馴染みのない人達ばかりだが、彼らの書店への思いがとてもよく、率直に伝わってきて、読み終えるのがもったいないような気持ちで少しずつ読み進めた。70年代から90年代にかけて、ニューヨークという文化圏において、独立系書店の果たした役割を理解する資料となり得る本ではないだろうか。

| | コメント (0)

2003/07/27

鍵のかかった部屋 The LOCKED ROOM

ポール・オースター著
柴田元幸訳
白水Uブックス

下記のシティ・オヴ・グラス、幽霊たち そして本書は、ニューヨーク三部作と言われている。
80年代に発表されたところが特に自分にとって興味深い。

Paul Auster
1947年生まれ
コロンビア大学卒業後、各国を放浪
写真を見るとハンサムである。

三部作の中で一番好きなのは、あえて言うなら最初に読んだシティ・オヴ・グラスだろうか。

| | コメント (0)

幽霊たち GHOSTS

ポール・オースター著
柴田元幸訳
新潮文庫

| | コメント (0)

シティ・オヴ・グラス City of Glass

ポール・オースター著
山本楡美子・郷原宏訳
角川文庫

| | コメント (0)

2003/07/19

草の花

福永武彦 著
新潮文庫

小説の構成が巧みだ。
汐見と千枝子のそれぞれの考えの両方がとても重く感じられる。それはきっと汐見のノオトと千枝子の主人公への手紙の両方を読者が読むという形式にしているからだろう。
戦争への恐怖と宗教(キリスト教)と孤独。
汐見は孤独のなかに答えを見つけようとしている。
人間の苦悩を神と関連づけるより、己のなかで模索するほうが、当時の日本においては納得できる唯一の方法だったかもしれない。神がいるなら、なぜ戦争が起こるのか。なぜ人と人が殺しあわなければならないのか。
その答えは今の時代にも見つけることはできない。
汐見と千枝子の考え方の違いを小説のなかに見つけることができる。千枝子が「信仰の悦びは自分だけがそれに与っているのは惜しいような、そんな種類のもの」と言っているのに対し、汐見は「真に謙虚な人間が、ただつつましく聖書を読み、神を信じて、その信仰をただ彼の心の中にだけそっと保つこともある」と言っている。
この小説にはもうひとつテーマ(同性への憧憬とでも言おうか)があるのだが、そのことについてはここで言及するのは難しい。ただ、とても美しく表現しているし、難しいテーマをうまく読者に伝えていると思った。


| | コメント (0)