2015/09/05

低地(The Lowland)

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ジュンパ・ラヒリ 著

小川高義 訳

昨年の夏の終わりごろ、待ちに待ったこの長編が出てすぐに購入したのに、少し読みかけて中断したままだった。この夏再開。そのあとは、この作家の小説を読むときにいつも感じるように、「一気に読むのはあまりにも惜しい」と思ってしまうほど味わい深い作品だということに気づかされる。

設定はいつものとおり、ベンガル人が主人公で、舞台はカルカッタとアメリカ東部を行き来する。外国からの移民や留学生のアメリカでの暮らしに興味をもつ自分にとって、彼女の描くアメリカでの様子には引き込まれるものがある。

語りはひとりからだけではなく、複数の登場人物からなされる。この入れ替わる語りと章の構成が巧みで、400ページ以上からなる大作を滑らかに読み進めることができるのである。

激動のカルカッタでの悲しい出来事によって登場人物の人生の変化が始まる。ある人は残された人を助けたいと思い、ある人は助けに身をまかせる。また、そのあとに思いがけない展開が待ち受けている。その展開に心が定まらなくなる人がおり、自分のなかでなんとか消化しながら生きる。物語全体をとおして、スッキリしない悶々とした空気が漂っている。でも、最後に、すべてが浄化され、ぱっと目の前が開ける瞬間が用意されている。ウダヤン(弟)のその瞬間(ここでは伏せておきます)の描写がこれ以上にないと思えるほどの表現で描かれているから。

小説は、悲しい内容でも最後に「希望」が用意されているほうがよいと思う。人は、一生のうちにいつまでも悲しみに浸っていたり、くすぶっていてはならないし、努力して前向きに生きれば、希望は見えてくると思わせてくれる作品だと思う。

訳者のあとがきによると、ベンガル系を主人公にしたこのスタイルはこれで書きおさめだとか。つぎはどんな世界を描いてくれるのか楽しみ。

2015/03/27

波の音が消えるまで

「波の音が消えるまで 上・下」 沢木耕太郎 著

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沢木耕太郎の新刊ということで興味は大いにあったのだが、博打の話というところが若干迷ったところだった。でも、舞台がマカオで主人公がサーファーでカメラマン(だった)ということが、やっぱり読もうと思わせた要素。このあたりの設定が上手いと思わざるを得ない。

この小説の主人公はバリ島から日本に帰国する際にたまたま香港に立ち寄り、さらにマカオを訪れる。香港に降り立った日はまさに中国に返還される前日のこと。そしてマカオでバカラにハマってしまう。

バカラに魅せられ格闘する主人公の様子を表現して、読む側をぐいぐい引き込む小説だが、わたしは主人公と、彼がマカオで知り合う何人かの人たちとの人間模様を描いている部分のほうがよかった。もちろん、バカラの場面と人間模様がうまく絡み合って個性を感じる作品なのだろうけれども。

主人公はハワイのビッグウェーブに挑戦するほどの本格的なサーファー。サーフィンをする場面の描写は、サーフィンをしている人を納得させると思えるほど正しく書かれていると思う。それから、カメラマンとしての主人公像がこの人物の魅力を高めている。

マカオで命を落としかけたときの主人公の冷静さというか、自分を客観視できるところなど、どうすると人はこんなふうになれるのかと考えさせられた。

後悔しない生き方。

この小説を読んで、そんなことを思う。

マカオのリスボアをいつか見てみたい。

2014/08/27

バージェス家の出来事

「バージェス家の出来事」

エリザベス・ストラウト

小川高義 訳

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ニューヨークで暮らすやり手の弁護士ジムと心優しい弟のボブのもとに、ボブの双子の妹スーザンからある日電話がかかってくる。息子ザックが事件を起こしてしまったと。スーザンは兄弟の故郷メイン州に残り暮らしていた。このことがきっかけで物語は動き出す。そして、それまで落ち着いた暮らしを築いていたかのように思えた兄弟は、幼少のころに起きた父親の死の原因について心に傷を負っていて、ザックが起こした事件と並行して次第に読者の興味を引いていく。ただ、ザックの事件はあくまでもこの物語の動き出しの「きっかけ」と三兄弟それぞれの心の在りようを見せるこれも「きっかけ」であり「主」ではないように思う。人生において誰もが常に何かに悩み葛藤していると思うが、それを小説であらわすには巧みな仕掛けが必要だ。そう考えるとやはりこの小説は絶妙だと言える。長い年月、心のなかにはびこってきた鈍感な痛みは、そう簡単には消えないけれど、考えては肯定と否定を繰り返し、少しずつ痛みは癒えながらいつしか自分の一部になるのだ。それがなければ自分ではないかのようなものになるまで。

また、登場人物一人だけの視点から描かず、それぞれの視点で描かれているので(複数人の考えが表されている)、物語がとても立体的に構成されている感じがした。これは「オリーヴ・キタリッジの生活」と共通しているといえる。

アメリカ東部のメイン州の田舎町と大都会ニューヨークを行ったり来たりしながらの展開もよい。

何があっても兄弟は兄弟で、ここは夫婦と違って、崩れてしまったように思える絆も細々とでも繋がり再生の手助けになることを描いている。絆と呼ぶほど大げさなものではないかもしれないけれど。そして、物語では何一つ解決するわけではないのにラストはとても清々しい。よくわからないけれど、たぶん「なんとかこの先もやっていけそうな予感」が主人公たちにもたらされるからだろうか。

「オリーヴ・キタリッジの生活」が好きな人はオリーヴに愛着を覚えたように、「バージェス家の出来事」では多くの読者がボブを好きになると思う。

2014/08/14

首のたるみが気になるの

ここのところずっと読書を怠っていたので、今月は本を読む気満々だったのだが・・・なかなか充実の読書月間とはいかず・・

そんななか、書店に立ち寄って見つけたのがこの本。

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「首のたるみが気になるの」

ノーラ・エフロン

阿川佐和子 訳

ノーラ・エフロンというと映画「ユー・ガット・メール」「めぐり逢えたら」「恋人たちの予感」などの脚本や監督で有名。これらの映画が大好きなわたしはすぐにこのエッセイが目に飛び込んできて、即購入。一日で一気に読了。

本の著者紹介で、ノーラ・エフロンは2012年に急性白血病で亡くなっていることを改めて認識する。

内容はときおりちょっと意味が伝わってこない箇所もあったものの、実に軽妙なタッチで書かれている。(阿川佐和子の翻訳も上手なのだろうと思う)著者のニューヨークでの生活の一部も垣間見ることができて、それに共感できるところもいくつかあった。たとえば、わたしの場合「バッグは嫌いだ」である。冒頭、こんな記述になっている。「ここに書かれているエッセイは、ハンドバッグ嫌いの女性、あるいはハンドバッグに手を焼いている女性のためのものである。(中略)ハンドバッグの価格が五百ドルから六百ドルすることにいちいち仰天する女性にも、このエッセイは気に入っていただけると思う。」このあと、ハンドバッグの中の小宇宙がこれ以上にないほど面白おかしく、しかも真剣に語られている!読んでいて、さすがにわたしはそこまでではないなぁ・・と思いながらも、わかるなぁ・・と。わたしの場合、日々の洋服に合わせてバッグを変えないし(半年くらいはほぼ同じバッグで通す)、数万円もするバッグを買うには抵抗がある。ちょっと気を抜くとバッグの中が荒れ放題になりそうな無頓着さがある。著者の場合、最終的に行きついたのがグランド・セントラル駅の交通博物館で買った26ドルのバッグというか袋だとか!

それから、著者が愛して止まなかったアッパーウエストのアプソープ・アパートメントの話も興味深く読めた。以前は家賃安定化条例により守られていたニューヨークのアパートメントの家賃が、その後の条例の廃止で家主が適正市場価格まで家賃を引き上げてよくなり、そのときの自身の状況を、この有名なアプソープ・アパートメントの場合として書かれている。著者がこのアパートに住み始めた70年代か80年代頃(?)から現在に至るまでのこのエリアの変化がわかりやすく描かれている。結局、アッパーイーストに引っ越した著者が、セントラルパークを挟んだこの両エリアについて比較していて、要は両サイドともに便利なのだが、イーストサイドのほうが天気がいいというのにびっくり。イーストサイドのほうがウエストサイドより日差しが明るく冬暖かいと書いてある。なるほど、その地域にじっくり住んだことのある人でないとわからないことだのだろう。面白い。あ、それと、値段が高いものについて、そのコストがいかに格安かを証明するために最終的にカプチーノ一杯分の値段にまで換算するところも面白い!

とにかく、息抜きに何か読みたいと思う方にこのエッセイは最適です。

それから、現在「バージェス家の出来事」もちょっとずつ読んでいて、これは「オリーヴ・キタリッジの生活」の著者の新作なのですが、また感想は後日書こうと思います。

2013/08/31

世界を回せ

『世界を回せ』 上下

コラム・マッキャン著

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最初は重苦しい展開で息がつまりそうになったのだが、なんとか最後まで読むことたできた。最近よく見かける手法で書かれている。それは、主人公が複数いて、それぞれの主人公が交錯するという手法。巧みに交錯していると思った。ついさっきまで主人公だった人物が、違う場面ではただの脇役で感情までは伝わってこない。でもその人物のことをよくわかっているので深みが増す、というような。すごく巧みだ。

ニューヨークが主な舞台というのも、手に取った理由のひとつで、世界貿易センタービルが完成した頃(1970年代)の時代設定。アメリカは、ベトナム戦争の泥沼化、ドラッグの蔓延、経済の減速など、暗さただよう時代のように思える。その時代背景で、苦しみを抱えている何人かの人たちを描いている。そしてあの貿易センターの2つのビルの屋上にワイヤーを渡して綱渡りした大道芸人もモチーフに加えている。モチーフの大半がフィクションであるのに対し、綱渡りだけは実際にあった事である。いまは跡形もないビルの間を、一人の男が空を渡ったという揺るぎない事実が(伝説的な事実が)編み込まれていることで、物語がリアルに感じられたと思う。

個人的には、ベトナム戦争で息子を失った境遇の違う母親同士のふれあいがよかった。もう元には戻らない喪失感ややり場のない悲しみの対処の方法などどこにもない。心に穴が開いたまま日常をやり過ごさなければならない。唯一の救いは「理解」なのかもしれない。そして同じような体験をした者同士ほどの分かりあえる相手はいないのであろう。時に慰めの言葉は、それが真の思いやりから生じたものであっても残酷に立ち入ってくることもある。ただ、同じ悲しみを背負った人の発する言葉や行為はすべてが許されて沁み入るのかもしれない。

また、WTCを綱渡りしたフランス人について、もっと知りたいと思った。本も出ているし映画化もされていたようだ。一番の関心事は、どうやってWTC間にワイヤーを渡したかということ。あの高さを命綱なしで綱渡りするなんて凄すぎる。目撃した人はどう思っただろう。目撃したかったなぁ。

2013/06/01

夏の嘘

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夏の嘘

ベルンハルト・シュリンク著

新潮社

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新聞の書評を読んで図書館で借りる。

「嘘」がどの物語の根底にも流れている短編集で、個人的には一番目の『シーズンオフ』が読み終わったあともずっと頭に留まっている。

『シーズンオフ』では、怪我で療養中の主人公がシーズンオフの海辺の保養地で、運命的に思える出会いをするのだが、その女性は実は大金持ちで、保養地の別荘などのほかにマンハッタンのイーストサイドにも高級アパートを所有している。主人公もマンハッタンに住んでいるが、一介の音楽家(フルート奏者)で収入はやっと暮らしていける程度だ。療養中、主人公は彼女に自分のことについて音楽家であること以外ほとんど話さない。真実を言わないことがあるい意味「嘘」になる。

たのしい数週間を過ごしたあと、彼はひとりマンハッタンへと戻るが、自分のアパートに戻ると、そこで急激に現実へと引き戻されるのだ。この引き戻されるところの描写がとても巧みで、音のない世界から喧騒の世界に移ったかのような、そんな感覚をいだいた。

その後の二人がどうなるかは語られていない。

ところで、この短編に惹かれた理由は、「シーズンオフ」というタイトルにもある。避暑地や観光地の、人の盛りが過ぎたその場所が好きだから。ようやく素顔を取り戻して、地元の人たちの息づかいまでもが聞こえそうな、そういう時期にその場所を訪れることが好きだ。この短編の舞台はまさにそういう場所なのだ。

2013/05/05

旅する力

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旅する力 ~深夜特急ノート~

沢木耕太郎 著

新潮社(新潮文庫)

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ここのところ、自分のなかに『深夜特急』ブームの第二波が押し寄せてしまっている。ずっと前に第一波は経験済みで、どっぷりハマった時期があった。

(第一波から第二波への)経緯はこうです。

テレビで『劇的紀行 深夜特急』というドラマとドキュメンタリーが折り混ざったような、大沢たかお主演の番組が放映されて、わたしにとっての『深夜特急』との出会いは、まずこれだった。ただ、いま思い返すと、香港・マカオの部分、つまり初回は見逃していたのではないかと思う。なぜならば、テレビの影響で原作である沢木耕太郎著『深夜特急』を全巻購入して読んだが、香港・マカオ編は流し読み程度で済ませていたように思うから。夢中になって読んだのは、インド以降だと記憶している。その後しばらくして、自分自身が香港に行くようになって、香港は好きな都市のひとつに収まっているわけだが、その頃にはすっかり書籍の『深夜特急』も、テレビ番組の『深夜特急』も頭から離れていた。

そういうわけで、わたしの『深夜特急』はテレビ番組ありき、だった。

大沢たかおがバックパッカーとして、ユーラシア大陸を乗合バスを乗り継いで旅する情景がなんとも魅力的で、すごく引き込まれた。だから、本を読んでいても、主人公の姿は「大沢たかお」だった。それほど、テレビの企画が優れていたし、彼は適役だった。

井上陽水の挿入歌もよかった。

それで、最近になって『深夜特急』熱が再び出て、さて本があったはずだと探してみてハタと気づいた。その本6冊すべてを職場のある方に貸したままだということを。そして、その方(Y氏)はこの3月で定年退職してしまった。Y氏は中国内地とかシルクロードとか、一般の観光客があまり行かないようなところを、これまで何度となく旅行していて、ことあるごとに色々な話を職場で聞かせてくれた。それで、『深夜特急』にきっと共感するだろうなぁ・・・とこちらから一方的にお貸ししたのだった。あるいは、Y氏にはピンと来なかったかもしれない。そしてついに「あの本は?」と聞けず・・・

結局、買い直している。一冊ずつ買おうと思って、まずは香港・マカオ編から。読み始めると、前回流し読みした1冊目に深くハマる。自分自身が行ったことがあるというだけで、こうも感情移入ができるようになるものなのだなぁ。もちろん紀行本は返還前の香港。あこがれの時代。それから、テレビで見逃したと思われる大沢たかおが香港に滞在する回も、いまではYouTubeで見られることを知り、香港・マカオ編が大いに味わえたのだった。

そして、なぜか2冊目として買ったのは、6巻目の南ヨーロッパ・ロンドン編。今回は後ろから読んでみようと思って。

いまはインターネットが普及して、世界のいろんな場所から自身のことを発信できる。だから、旅先から、また旅から帰ってから個人のブログなどで旅行について紹介できてしまう。これってすごいことだと思う。旅している間も、このことを紹介しようなどと考えを巡らせたりして楽しいし。でも、沢木がこの旅をした時代はこうではなかった。だからか、インターネットが普及する前の紀行文はすごく魅力的で貴重に思えてくる。

と、経緯が長くなってしまった。

『旅する力』は、『深夜特急』執筆にまつわるエピソードや、沢木耕太郎自身のことや旅について思うこと、『深夜特急』に書かれていない旅のつづきなどが書かれている。『深夜特急』の買い直しのため書店に行った際、この本の存在を初めて知ったという次第。

わたしも、年に一度程度だが旅をするので(といっても、沢木耕太郎のそれとは次元が違いすぎるけれど・・・ 何せ正味5日~7日程度のこじんまりしたものだから)、旅先でよく思うことがある。それは、このスタイルの旅はいまじゃなければダメなんだよなぁ・・ということ。『旅する力』にも、旅にはその人が望む旅の「適齢期」があると綴られている。

プロが綴る紀行文とわたしの拙いブログとでは、天と地の差があるにせよ、共感した箇所がもうひとつある。それは、旅について書いたそれが世に出たときに、その旅はひとつの死を迎えることになる、というくだりだ。書く前に自分の内部にあったことが、表現されることによってそれまで維持していた生々しさが消えてしまう。このことは旅についてだけのことでもないと思うが。その感覚はわたしにも少しあるような気がする。だから書かない方が良いということではないのだが。

このタイミングで『旅する力』を読んだせいでか、改めて『深夜特急』を読むと、主人公が大沢たかおから沢木耕太郎の姿になっているのが不思議だ。

旅への思いは人それぞれ。各自が条件と折り合いをつけながら、日常から少しの時間だけ離れる人が大多数だと思う。深夜特急のような旅には多くの人が憧れるけれど、実行するのはむずかしい。でも、いつか自分も少し長めで、大雑把な予定だけの、あるいは無計画な旅に出てみたいと『深夜特急』は夢見させてくれる。

それにしても、沢木耕太郎が旅したころ(70年代)といまとでは、アジアから中東、東欧など情勢が変わっていて、同じ旅をしようにももう不可能だ。大沢たかお主演の番組が放映されたころ(90年代?)は、まだ沢木耕太郎の足どりの余韻が残る時代だったと思う。その後急速に変化してしまった。香港、マカオの返還、中国やインドの経済発展、東西冷戦の終結、西南アジアの深刻で不安定な情勢、ユーロ圏の成立などなど。わたしたちは、まったくすごい時代に生きている。

2013/02/09

点子ちゃんとアントン

よく拝見するブログに、エーリッヒ・ケストナーの『点子ちゃんとアントン』についての記事があり、確か以前、映画では見たことがあるが本はまだ読んだことがないので、わたしも早速図書館で借りて読んでみることにした。

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↑挿絵は司修です。これがなかなか素晴らしいのです。

この物語が発表されたのは1931年。舞台はベルリン。第二次世界大戦前(ナチス台頭前)であり、ベルリンが東西に分断されるのはさらにずっと先のことだ。だから、暗い影を落とす前のベルリンを想像しながら読んだ。パリやウィーンといったほかの都市と同列にある、「特異性を持たないころ」のベルリンの情景を思い浮かべながら。

795pxberlin Wikipediaより

舞台はベルリンの中心部フリードリヒ通り駅周辺のようだ。Wikipediaに1900年当時の駅の写真があった。この時代にしてこの駅舎とは・・・周囲の建物も重厚だ。物語には点子ちゃんのお父さんがリムジンを所有していたり、ウンターデンリンデン歌劇場に行く、など上流階級の様子も垣間見られる。一方、アントン母子のようにその日の暮らしにも事欠く市民もいて、作者は物語を通じて貧富の差という社会問題を読者(子どもたち)に考えさせている。

図書館にあったのは、昭和44年に刊行された高橋健二訳で、ことばの言い回しにやや固さや古さを感じるが、20世紀初頭という時代の物語なので、かえってしっくりきたと思う。

この物語の魅力は、なんといっても点子ちゃんのアントンに対する思いやりと、彼女の独創性に尽きる。決して押し売りの優しさではなく、子どもながらの素直な優しさが読む者にせまる。そして彼女の勇敢さにも拍手喝采なのである。(点子ちゃんがアントンの担任の先生に会いに行く場面では、不覚にも読んでいた病院の待合室で泣いてしまいました)

とにかく、今更ながら読んだこの児童文学、多くの大人に読んでもらいたい一冊です。

2012/08/12

THE BROOKLYN FOLLIES

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『ブルックリン・フォリーズ』
ポール・オースター 著  柴田元幸 訳

順風満帆な人生を継続することはとても難しい。仕事、結婚生活、健康の維持・・・ 思いどおりにいかない人生はなんと多いことか。
それでも人は生きていかなければならない。
この本は、挫折や問題をかかえた人々が、身近な人物とのかかわり合いのなかで、徐々に好転していく物語だ。とりわけ、物語の語り手であるネイサン(癌の再発が心配な初老男性)が周囲の人々を、彼の人生経験から成せるかかわりかたで導いていく。(ネイサンは結婚に失敗し、娘との関係も悩みの種という人物だが、死を覚悟して終の棲家をブルックリンにするため引っ越してきてからかかわる人々から、信頼を寄せられる)

ネイサンの言動を読むにつれ、わたしも、もうそろそろ、誰かの役にたつようなはたらきをしてもいいような年齢なんだなぁと、ふと考えたりさせられた。決して豊富な経験があるとは言えないけれど、でも、都度冷静に考えて、誰かのためにそのときにとるべき行動をとる、そうであるべき年齢である。

物語はブルックリンから始まり、ブルックリンで終わる。
終盤、ネイサンが倒れ、一命を取りとめて清々しい気分で退院した朝が、2001年9月11日に設定されている。自分と周囲の人々がなんとか良き方向に滑り出したかと思えた朝に、飛行機がワールドトレードセンターに突っ込むのだ。このあとのことは(いまのところ)読者の想いに委ねられている。

2011/04/14

日本の名随筆-本屋-

うちの大学の図書館に日本の名随筆というのがある。いろんな人が書いた随筆をテーマごとに、これまたいろんな作家や評論家などが編集している。
今回「本屋」というテーマで池澤夏樹が編集した本を借りて読んでいる。
このなかに椎名誠が書いた「中国的直立組手的書店」という随筆があるのだが、これが書かれたのは1987年で、この頃の中国の様子を知ることができて面白い。このあと天安門事件がおこり、中国は急速に変わったのだから。

87年当時までの共産圏の国では、本屋は大都市に1つくらいしかなかったそうだ。その規模はすごく大きいのに本の数が極端に少なく、また販売員は灰色の服を着て直立うしろ組み手で立っているという基本形があったらしい。

でも、これが私が学生の頃に想像していた共産圏の国そのものである。いまとなっては、もうそれはなく、本を頼りに知るしかないのである。

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